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自己紹介をすることは大事である

どんなことも、はじめは自己紹介をすべきだと思うのでまずは残しておきたい。
やはり自分がどんな人間なのかは知っておいてほしい。

この文章を書いている人間は、1989年(平成元年)生まれのいわゆるゆとり第一世代として育った。

学生時代に通信簿に毎学期書かれていた言葉は「積極的で正義感が強くお友達が多い」で、生徒会やら、委員長やら、部長やら、自分にできることはすべて立候補し、いろいろと兼任しながら学校行事が大好きな元気で明るい中心人物だった女である。
今思うと恥ずかしい。

家庭環境はというと、何不自由なく暮らし、引くほど両親に愛されて一人っ子で育った。
欲しいものは基本買ってもらえた記憶があるし、やりたいことをすべてやらせてもらえた。兄弟が欲しいと思ったことは一度もない。

成人するまで「箱入り娘」という言葉がこんなにも似合う人はいないと思うほど門限は守った。
こだわりは、ピアスをあけないこと(未だにあいていない)と、たばこは吸わない(吸ってそうなのに)ということ。
そして、一番重要なエピソードとして重宝しているのは、年越しの日は必ず家にいて、カウントダウンコンサートを視聴しながら0時になった瞬間にはリビングにいき、「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」と両親に一礼していたこと。
覚えている限り物心がついてから二十歳まで毎年だ。
自分の中では誇らしい事実である。


両親はびっくりするほど絵にかいたような一般的すぎる二人で、ひとことで形容するなら、「完璧主義者の不器用専業主婦」と「飲みニュケーション大好き酒飲みサラリーマン」だ。
この両親のジャンルが娘の私にとって世の中の当たり前だと思っていたことが数年後には当たり前な家族像はない、ということを思い知らされる。

母は潔癖気味で結構ヒステリックな性格をしている。
流行りの「お母さんヒス構文」の具現化と思ってもらって構わない。
同じクラスにいたら絶対に友達にはならない。
母の武勇伝は「いじめられて保育園を退園させられた」ことだそうだ。
保育園でそんなことある・・・?と少し引いた。
あと、母は小さい頃から牛乳が飲めない。
小学生の時は給食の時間牛乳が飲めなくて居残りさせられたそうだ。
昭和すぎるエピソードで震える。
平成は会いたくて震えたいのに。
性格も顔も私とは似ていないが、エンタメ系の好みや感覚が合い、お互いミーハーなため、映画やドラマの流行に関しての話が一番盛り上がる。
漫画やアニメも詳しいのでその話が通じることが一番うれしい。
3人姉弟の一番上で、19歳だった祖母が産んだ母も私を産む前はいろいろあったらしい。正直人生でトップ3に入るほど驚いた経歴を聞かされたのは私が高校三年の夏だった。
今後お伝えしていきたい。

そんな母と結婚した父はコミュニケーションおばけである。令和的にいえばコミュ力高い系会社員だ。
今とは時代が違うが、私が小さい頃はずっと出張していたので母は今でいうワンオペ状態だし、正直家で遊んでもらった記憶は少ない。
ただ、娘にもコミュ力を発揮していたのか、うまいタイミングで機嫌を損ねないよう構ってくれていたっぽい。
私が父の下着と一緒に洗濯物を洗わないで!と言ったことはないし、嫌いになったことは一度もない。
とにかくお酒の席が大好きで、ポジティブを具現化したような人間なのだ。
アンミカさんとうちの父が揃えば世の中から戦争がなくなるかもしれない。
しかし、のちに家庭環境はすごく複雑だったことを知らされたときは驚いた。父の家庭環境に関しては今後いつかお伝えしたい。
顔も性格も父親譲りの私がこうやって文章を書いている。
「パパは楽歌にそっくり」という母のセリフに父はいつも「違うでしょ?楽歌が俺に似ているんだよ」と返すのが定番になっている。
一つだけ自分の父親として理解できないことを挙げろと言われれば、「父は漫画が読めない」ということだ。
活字だけの本じゃないと頭に入ってこないらしい。
そこだけは、漫画が大好きで幼稚園のタイムカプセルに書いた夢が「漫画家になりたい」だった私が、この人は自分の父親じゃないのか?と思うほど不安になる。

そんな両親から生まれた私も今文章を書いている現在、紆余曲折あって結婚して子供がいる。
この紆余曲折は、想像を絶する紆余曲折だ。

なんとか自分の家庭を持って共働きで子供を育てながら暮らすことができている私である。

ヒステリックママとポジティブパパが育てた一人娘の、つれづれなるNOTE。

今後もぜひご覧ください。

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