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AIがプラトンの「イデア論」を現実化する日

最近、AIに関する論文で「The Platonic Representation Hypothesis(プラトン的表現仮説)」というのが出ました。この論文によれば、AIモデルが1つに収斂しつつあるとのことです。

どういうことかというと、昨今、様々な機関でAI、特にディープニューラルネットワークの開発が盛んですが、これらは、アーキテクチャの違いや扱うデータ形式(テキスト/画像/音声/数値等)の違いに関係なく、モデルのデータ表現がどんどん類似してきているらしいです(データ表現とは、モデル中のデータポイント間の距離構造のことをいいます)。

AIを開発する各機関は、それぞれの目的(ビジネス、研究)に沿ったタイプのAIモデルを、ライバルと競い合って開発しています。論文等で情報交換はするものの、示し合わせて同じモデルを作ろうとしているわけもなく、むしろライバルを出し抜いて決定的に優れた独特のモデルを作ろうとしているはずです。であるにも関わらず、結果的にAIモデルは1つに収斂しつつあるというのは、一体どういうことでしょう。

ここで、この論文の著者は、1つの仮説を立てました。このように収斂していくAIモデルは、最終的にどこに至るのか。著者は、収斂先のモデルは、「我々の観測を生成する基礎的な現実の統計モデル」かつ「シンプル」であると予測します。つまり、「理想化された現実世界」のモデルです。そして、著者は、このモデルの表現を、「プラトン的表現」と名付けています。
すなわち、収斂先のモデルを、プラトンの「イデア論」における「イデア」に見立てています。

AIが、最終的にイデア論を現実化する方向に向かっているとは、目から鱗が落ちるような気分になりましたが、言われてみれば妥当性のある腑に落ちる説明のように思えます。モデルの訓練というのは、基本的には現実世界のデータを濃縮する作業とも言えますので。そのような日が本当に来るのでしょうか。

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