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バンドを続ける難しさはここにある

僕ははじめてバンドを組んだのは中学3年生。
近所の仲の良い友人らと集まって、友人の家で練習した。
その時点で「技術」「思い」の差がある。
「10代で興味持つのはBANDだろ」
という青春の中の通過点や儀式のように楽器に触れる人と、
「音楽って素晴らしい。一生続けよう」
と人生を左右するきっかけをみつけた人とはタイプが違う。

皆人生でしてる時計が違う。

当時のメンバーのヴォーカルは「絶対デビューしようぜ!」
と真夜中の路上で缶コーヒー飲みながら熱く語っていたが、
この前、地元に帰ってその話をしたら、彼はそのことを覚えてもいなかった。。。w

プロになる、ならないは別にして、環境は大きい
両親が音楽に疎ければ、家にピアノやギターなど楽器もないし、兄弟がいて音楽が好きなら「TOTO」や「Stevie Ray Vaughan」のように兄弟同士が影響し合い、
音楽をはじめる可能性を秘めている。

僕は母が地元で音楽を教えており、バッハやヘンデルなどを歌う合唱団に入りドイツにも行ったことがある音楽人だ。
当然小さいころから家にピアノがあり、ギターがあった。
おかげさまで僕は作曲を始めたころ、母に譜の書き方を教わり、15歳になるころには20曲近く曲を書いていた。
当時の神奈川県川崎市の中学生としては早かった方と思う。

しかも男3人兄弟の末っ子ということもあり、
音楽の影響は常に兄。BillboardのTOP40から、HR/HM、
TOTO、ボズ・スキャッグスまで家にかかっている音楽はすべて僕を刺激した。

やがて地元の友達とのバンドをやめて、刺激のある年上のバンドにはいったり、進歩を求めた。何百曲も書いた。

でも、通らない道(音楽ジャンル)が必ずいくつか存在する。それが僕にとっては
「Blues」「JAZZ」「日本のロック」だった。
大学の途中で音楽事務所のスカウトがあるまで、
「JAZZ」など聴いたことが無かった。

だから今もその影響が薄い。
後になって聴きまくり
「こんないい音楽を何でもっと聴いてこなかったんだ?」と思ったものだ。

僕の好きなギタリストのVivianCampbellが現在も在籍する
人気ロックバンドDefLeppardのギタリストになった際にこんなインタビューを残している。

VivianCampbell:「10代の最後でロニー・ジェームス・ディオに拾ってもらい、華々しいギタリスト・デビューを飾った。同時代のギタリストに負けじと必死に弾きまくったよ。そのおかげで僕は音楽の幅を狭めた。
若くて一番いい時期に、聴くべき音楽を聴いてこなかったんだ。今はその代償がどんなに大きかったかわかる。
だからギターキッズよ。若い時にいろんな音楽を聴かないと駄目だぜ。僕がいい見本さ(要約)。」

この時代の「同時代のギタリスト」というのは
イングヴェイ・マルムスティーンやジョージ・リンチ、
ブラッド・ギルスやスティーブ・ヴァイだろう。

DefLeppardにはすでにギターソロに巧みなフィル・コリンがメンバーに居た。そのせいでソロを弾かないのかと思っていたら、「長いギターソロ?もうそういうのは卒業したんだ。バンドのグルーブにあわせてアンサンブルする。
今はそれが一番だと気づいたんだよ」

最近になってWHITE SNAKEというビッグバンドのギタリストを辞めた(クビになった?)理由という記事をみた。

この記事を見ると、Vivianの気持ちはもうWHITE SNAKEというか、80年代に猛威を振るった”ギターヒーローバンド”に身を置くことに飽き飽きして苦悩していたのではないか?

バンドを継続するのは本当に難しい。
自分が変化するからだ。
それぞれの生活も変化するからだ。
義兄弟のように仲の良かったJOHN BON JOVIとRIchie Samboraすら袂を分かった。

なのに明治学院卒のTHE ALFEEさんは、
”結成50周年”という快挙だ。

僕は高校でも、大学でも、事務所に入ってもバンドに入った。でもやっぱり長く続かなかった。。。。
その中100曲以上書いてきたと思うけど、

「売れる曲ってどういうもの?」
「名曲ってどうしたら作れる?」
「音楽はやはりセンスのみ?」

Vivianのように「俺はどうなってしまうの?このままでいいの?」と苦悩し、離れ、自分の音楽を探しながら、居場所を見つけるようにバンドを点々とする。

答えはあるのかもしれないけど、
見つけるのが難しいのは間違いない。

僕は20代後半で再びクラシックギターに没頭した時、
なんとも気落ちが安らいだ。バンドを離れ、
もう人と揉めながら音楽を続ける必要が無く、
1人で解決する音楽があると感じたからだと思う。

今日、あるライブハウスで大学生が楽屋で演奏する曲を
「ああでもない、こうでもない」と話してる様子がなんとも懐かしく、あの頃の風が頬に触れた。

その直後、僕は同じステージにあがりJAZZのセッションにはいり、はじめて一緒にやったベーシストと肩を合わせながら楽しんだ。
あんなに10代のころ聴いてこなかったジャズでw。
あんなに苦しんだバンド人間関係に身をゆだねてる。求めてる。

苦悩は絶えないが、

「音楽を続けること。それこそが才能だ」

と言いたい。
楽器弾くのも、PAなど裏方やるのも、曲書くのも、CD聴くのも、楽器売るのも、皆同じ。

100年しか生きない人生の中で、毛穴からにじみ出るような充実感を感じることが、なにより大切なんだ。

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