年明けは衝撃続き①

元旦、カミさんの実家へ向かう車の中で地震のニュースを聞いた。震源から遠いとはいえ、80代夫婦二人暮しなので心配だった。

被害というものはなくて良かった。

若干、義母の行動にストレスを感じるいつもの正月を過ごし仕事始めに。

5日の仕事も終えて、カミさんと二人でゆっくり安ワインを飲んで眠りに。

6日朝、「父さんから、母さんの状態変だからどうすればいい?って電話かかってきた!」カミさん。

何かイヤな予感がしたので、自分も一緒にカミさんの実家へ向かう。

着いてみると、義母がベッドと壁の間で横になっていて布団がかけられていた。

部屋の気温が外気並みの低さ。

カミさんが暖かい部屋へ移そうとしたが、脳血管関係だとヤバイので、とにかく救急に連絡させる。

義父になぜこうなっているのか聞きながら、隣の部屋にあった温風ファンヒーターを点火。

義父の話では、「トイレにたってから、帰ってくるのが遅かったので、見に行ったら動けなくなっていたので連れてきたが、ベッドにあげることができなかった。救急に電話しようとしたら、電話しなくてもいい!って言われたから、布団かけてこのままにしていた」と。

カミさんから「救急車、今向かったから外に立って場所を教えて」と。寒い中立つこと、五、六分で到着。

救急隊を中に案内。カミさんたちが居ない!と思ったら、二人で保険証探し。見つかっていない。

救急隊から訪ねられても、義父は認知症気味なのでうまく答えられない。

そうこうしていているうちに隊員の一人が「左足硬直始まっています!」と。

ヤバイ!義母は血圧低めだったのに、脳血管系ってあるのか?

カミさんが義母と救急車に。

義父と自分が保険証が入ったバッグを探すも見つからない。義父曰く「オレ、みんなかぁちゃんさ、まがせていだがらわがらねんだよなぁ!バッグって、これか?」と筆入れを持ってきたり(-_-;)

20分くらい探しても見つからなかった。

病院の方が心配なので病院へ。

運ばれてから二時間半くらいたってから、医師の診断では「脳梗塞」と。

もうちょっと検査をしてから、今後の細かい説明をすると言われる。

それから30分後、別の医師から説明。

「残念ながら、梗塞してから時間が経ってしまっているので左半身は利かなくなっています。寝たきりになります。」と言われる。

二日前にも顔を合わせたのに、すぐにこうなっちゃうなんて。

確かにMRI画像で、右側が真っ黒だった。毎年、自分のオフクロのMRI画像を見せられているが、記憶している画像と全く違うものであった。

思わず医師に「こんな風に血行がダメになるまで、どれくらい時間がかかるのですか?」尋ねた。

医師は「この感じだと、10時間くらいだと思う。これ以上進む可能性もあります。そうすれば手足とかの運動以外の機能、例えば内臓の運動機能も不全になり死に至ります。」と。

「なので、三日間はくらいは、何時でもここに来ることが出来るようにしておいて下さい」と言われ、ことの重大さを知る。

延命処置の方法について、義父と子達の意見が別れるし、今後を考えると暗闇のジャングルを進まなければならない2024年の始まりとなった。

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