Jimi Hendrix から見る音楽史

・はじめに

 皆様、ご無沙汰しておりました。音楽史シリーズも3回目ということとなり、だいたい2回で飽きてしまう私からするとある意味での節目を迎えております。さて、前回のThe Smithsから見る音楽史のイントロ部分では音楽の扱われ方について述べましたが、ここで重要になっていくのは、アルバムとシングルの関係になっていくかと思います。
 なぜならば、両者の違いとは収録枚数、つまり再生時間に差があるため、アルバムのほうがより鑑賞にかかるコストがかかり、アルバムとシングルの扱われ方を見ていくことで、芸術としての音楽、BGMとしての音楽の違いが見えてくると思われるためです。
 ポップミュージック史において最も売れたアルバムはマイケル・ジャクソンの「スリラー」だといわれております。売上枚数は約7000万枚で、1982年の人口が45.92億人、1家族4人としますと、全世帯のおよそ6%の家庭のレコードプレイヤーで流れていたこととなり、なんで計算したのかというぐらい微妙な数字になってしまいました。
 ではシングルはどうでしょうか?同じ1982年で比較してみるとSurvivorの「Eye of the Tiger」となっており、その枚数は850万で、前述のスリラーと比較すると一桁ほど違いがあることがわかります。もう計算はしません。
 さて、この違いから何か発見するためには当時の音楽産業についてよく知る必要があるでしょう。
 当時、流行っていたものとしてはMTVなどのいわゆるミュージックビデオ文化、そしてディスコなどのダンスクラブ文化である。ここからわかる通り、「スリラー」の成功は、マイケルジャクソンというビッグネームであることは間違いなくあるだろうが、マイケルの”(二重の意味での)踊れる歌手”というスタイル、そして”踊りたい人々”、という供給と需要のマッチングの結果かと思われる。
 さて、ここで、一つ疑問が出てくる。それは音楽に合わせて”踊る”という行為は”鑑賞”という行為に入るのだろうか?つまり、音楽が芸術として扱われる場合の状況と合致するのだろうか?それともあくまでも主体は”踊り”であり、音楽はBGMとして、ただ消費されるものとして扱われているのだろうか?これに関してはさらに研究の余地があるかと思うため、次回に持ち越したいと思う。(戦略的撤退)

・Jimi Hendrix、その音楽性


 さて、賢い読者の皆様はイントロ部分を飛ばしていることなどもう3回目なのでお見通しである。
ここからは本題、Jimi Hendrixの音楽性を見ていこうと思う。

The Jimi Hendrix Experience
・結成、解散年:1966年-1969年
・メンバー
Vo Gt    ジミ・ヘンドリックス
Bagt   ノエル・レディング
Dr    ミッチ・ミッチェル
・ディスコグラフィ
Are You Experienced
Axis:Bold as Love
Smash Hits
Electric Ladyland

Band of Gypsys
・結成、解散年:1969-1970年(約2か月)
・メンバー
Vo Gt ジミ・ヘンドリックス
Bagt   ビリー・コックス
Dr    バディ・マイルス
・ディスコグラフィ
Band of Gypsys

 Jimi Hendrix 、ギターミュージックの革新者であり、ヒッピーカルチャーの生んだ伝説。彼を中心とした歴史は主だった活動期間である4年間だけを見ても非常に語るべきことが多い。まずは、彼を見出した「朝日の昇る家」で有名な"英国のバンド"、Animalsのベーシスト、チャス・チャンドラーである。チャスの働きは後世に大きな影響を及ぼしている。チャスは英国で既に成功した業界人であり、ヘンドリックスは米国人ギタリストである。チャスはヘンドリックスを米国で見出すと、彼を英国で活動させている。このように"米国生まれ、英国育ち"というバンドやアーティストはヘンドリックス以後、ロック史に数多く現れる。代表的な例としてはThe Strokesがそれにあたり、このように米国でハネなかったバンドが英国で受け入れられるという流れはポップミュージックカルチャーの規則性となっているように思える。米国バンドの流行の次に英国バンドの流行、その次は米国のバンドというサイクルがヘンドリックスの活動していた時代にできつつあったのだ。
 さらにヘンドリックスの周辺のミュージシャンを見ていくとエリック・クラプトンやジェフ・ベック、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、マイルス・デイビス、ビートルズなど、サイケデリックロックやフュージョンを築きあげていった人々が山のように居て、それらのジャンルそのものがヘンドリックスの影響を少なからず受けていたことが推測できる。
 更にサウンドの面で見ればスティービー・レイ・ヴォーンやジョン・メイヤー、そしてそれらに影響を受けたトム・ミッシュなどの、所謂ジミヘンフォロワーという括りで見ることができるミュージシャンも数多く存在する。
 また、前述のようなブルースロック勢以外にも、DeepPurpleのリッチー・ブラックモアやウリ・ジョン・ロートなどのクラシックとロックの融合を成したギタリストも、ヘンドリックスの影響を語っており、ヘンドリックスの影響を受けていないギタリストを探すのは白いカラスを探すようなものかもしれない。(ジミー・ペイジは同時期に活動しながらヘンドリックスのステージを見ていないと語る記事も存在するが果たして真相は不明である。)
 また、彼が楽器業界にもたらした影響も絶大であり、ヘンドリックスが愛用したファズフェイスは、現代でもヘンドリックス流の使い方で鳴らされていたり、フェンダーのストラトキャスターはヘンドリックスが使用することによって人気が再燃している。このようにスタープレイヤーの使用によって人気が復活したギターにGuns and RosesのSlashの使用によって再流行したギブソンのレスポールがある。また、ヘンドリックスが用いたオクターヴファズなどを製作したロジャー・メイヤーなど、ギタリストに専属するギターテクニシャンという立場が生まれたのもこの時期なのではなかろうか?
 次に、ヘンドリックスの特徴として既存の曲のカバーであるにも関わらず、全く新しい音楽として聴こえるということがある。代表的な例としてはボブ・ディランの「All along the watch tower」があり、原曲が判別できるがサウンドとしては革新的になっているものがある。加えて、「Machine gun」のようにギターによってギター以外の音を再現するという手法を取り入れたことで曲に世界観を与え、歌詞以外でも世界観を伝えることができることを示している。
 このようにヘンドリックスを中心として見ていくと、ベースであるブルースを拡張するだけでなく、音楽業界に大きな影響を与えていることがわかる。俗っぽく言えば、ヘンドリックスのおかげで飯が食えているヤツは多いということである。

・さいごに

 今回はジミ・ヘンドリックスというかなり挑戦的なテーマに挑んでみた。黒人と白人ミュージシャンの混合バンドであることやジミヘンのSGかっこいいよねなど、触れなければならない事に触れられていないことが残念でならない。個人的には久々に書いたので文章がかなり固くなってしまっていていつものお茶目120%感が無いことも悔やまれる。また、ここに書いたことは多くが断片的な記憶とネットの情報であるため、読者の方々のジミ・ヘンドリックス観と大きく差が出てしまっていることは間違い無いだろうが、仕方ないと思ってほしいし、足してほしいことや間違いがあればコメントを頂きたい。
 こんな形で第3回を迎え、これからも頑張らずに続けて行こうと思いました。
 これからもよろしくおねがいします!

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