目標を見失った僕
どうも、今回は雑談形式というか思いつくことをぽつぽつと書いていこうかなと思います。
今年ももう2月の半ばということで、なんだか社会人になってから時間の進みが早いなぁと思う次第です。
大学生のころなら今頃冬休みを迎え、ダラダラと夜中に起き上がって夜食でも作って、ギターを弾いていたことでしょう。
うって変って、いまは土日の時間いっぱいまで楽曲の製作を行ったり、noteのネタになりそうなものを探したり、ゲーム製作やエフェクター製作もやりたいなぁと思いながら結局寝てしまったりゲームしたりという日々を送っています。
大学生に戻ってもっと有意義な時間を過ごせたらと思う人もいるでしょう。ダラダラと過ごさなければよかったと。
僕はそうは思いません。なぜなら多くの友人と多くの経験、成果物を残せたと思っているからです。
ですが、この時期になると大学2年生のこの時期に始まったコロナ騒動で奪われてしまった機会が、チャンスがあればどんなにもっと多くの人と多くの経験ができただろうかと思いを馳せずにはいられません。
鬱屈してしまった大学3年生を取り戻せたらと思わないことはありません。ですが、コロナのおかげで大学3年生を二回やらずに済んだという側面もあります。
コロナの功罪という言葉を耳にしたことがあります。上記の経験は、僕にとっては功罪と言えるでしょう。
存在しない時間を憂うことに意味はありません。ですが、存在しない時間を取り戻そうとすることには意味があると思います。
今回は随筆のような形式ですので、とりとめのない内容になってしまいます。
今僕は大学生のころには想像もしていなかった土地で生活をしています。
静岡県の東部生まれの僕には、雪の降るこの土地で暮らすことは非常に心理的につらいものがあります。
思い描いていた仕事ではないことを受け入れていくことが辛いです。
ですが、職場の方々は優しいです。少なくとも無関心でいてくれます。
それが僕にはつらいのかもしれません。
コロナ疲れやコロナ鬱という言葉を耳にしたことがあります。適応障害とか、うつ病とか、そんな言葉で自分をとらえてしまうことがあります。
僕の現在地はどこにあるのでしょうか?病院に行けばわかるのでしょうか?誰にも教えてもらえないことは確かです。
今、目標を見失った僕が何かをすることは危険でしょうか?時間は立ち止まりはしないことに、無意味に焦ってしまいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?