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『障がい者立位テニス』を応援したい

ここはアメリカ テキサス州 ヒューストン。
パコン、パコンと小気味よい音が屋内テニスコートの会場に響き渡る。
テンポの良いラリーが続く。
このまま終わることなどないのではないかと思うほどの時間だったが、最後にはバコーン!!と鋭く重いスマッシュが会場を揺らした。
張り詰めた空気は一気に打ち砕かれた。


拍手喝采の観客。


喜びに声を上げる選手。
その選手は、片脚が短かった。


悔しさにラケットを落とす選手。
その選手は、片脚が義足だった。

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 2016年12月、私は障がい者立位テニス国際大会の会場にいた。障がい者立位テニスって何?聞いたこともなかった。でも気がついたらアメリカのテニスコート施設の観客席だった。

 私の父は、職場での事故で片腕を失った。事故に遭う前からテニスが好きで、片腕を失ってからも続けていた。そんな父に、あるテニス仲間が声をかけた。
「一緒に、アメリカで行われる障がい者立位テニスの国際大会に出場しないか?」
柴谷健さん。骨肉腫で片脚を失い、義足を履いていた。

 父が行くと返事をしたので、私もついて行くことにした。
障がい者立位テニスって何?車いすテニスじゃないの?そんな疑問は浮かんだが、まあどうでもよかった。海外旅行に行ったことがない私は、とりあえずアメリカに行くことができるチャンスと喜び、父より張り切って準備をした。

 飛行機で14時間。空港から車で小一時間。
 会場に着くと、チリ人の男性がハグで出迎えてくれた。彼は片麻痺だった。
 初日は練習日ということで、父と柴谷さんがコートで練習していると、アメリカ人の男性が混ぜてほしいとやってきた。彼も柴谷さんと同じく、義足を履いていた。

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 次の日は開会式から始まり、出場選手が一堂に会した。
11ヶ国から28人。
義足を履いている人を始め、腕がない人、杖をついている人、装具をつけている人、片麻痺の人、身長が低い人。
もともとこれまでは南米で大会が開かれており、この大会が初の北米での大会だったそうだ。どうりで、日本で「障がい者立位テニス」なんて聞いたことがないわけだ。

そこから3日間。
私はいろんな人の試合を見た。

驚愕。
ただただ、驚いた。

素早いボールに食らいつく義足の選手。
ボールがどこへ行っても反応して、縦横無尽にコートの中を動き回る。
パラ陸上で義足の選手が走っているのを見たことがある。だから、ある程度速く走れるということは予想していた。
しかし、一打一打、ボールに合わせて最も良いポジションまで縦横斜め関係なく素早く移動する。
下腿義足の選手は、もう全く健常者と見分けがつかない。

鋭いショットを幾度も放つ、身長の低い選手や、片麻痺の選手。
ボールは相手の体の横をすり抜け、ラケットを出すことさえ叶わない。
時折、彼らの見た目からはとても想像できないような強烈な一撃が放たれる。強くコートに叩きつけられた球体は、激しく形を歪める。溜まったエネルギーがビュンッと弾けて跳ね上がり、風を切る。

勢いよく伸びていくサーブ。
鮮やかなドロップショット。
途切れないラリー。

極めつけは、両腕が無い選手や、それに加えて片脚が義足の選手(つまり3肢が無いのだ)まで、普通に”テニス”をしていたことだ。

 私が見た両腕が無い選手は、厳密に言うと「両腕が短い」という感じで、肘くらいの長さまでは腕があった。片方の腕の先をラケットの三角形の部分“スロート”の中へ入れ、もう片方の脇の下にグリップ側を挟んでラケットを固定する。
健常者に比べて、明らかに体からラケットの距離が近い。
本当に打てるのだろうか?と疑問に思うが、選手たちは巧みにラケットを操り、ものすごい回転量のボールを放つのだ。手を伸ばしてボールを捉えることができない分、コートの中をとにかく俊敏に走り回る。
両腕の短さを弱みではなく、強みに変えるプレーに、会場は大いに沸いた。

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3日間
勝負の行方をハラハラしながら見守った。
ハッと息を飲む瞬間が何度もあった。
素晴らしいプレーに思わず拍手を贈った。

心が震える。
これは、紛れもなくスポーツだ。
テニスの試合なんだ。

 結局、初めて行ったアメリカでの4日間は、テニスコートと隣接するホテルの往復のみだった。観光に行ってしまうのが惜しいほど、見応えのあるプレーから目が離せなかったのだ。

 障がい者テニスと言えば、デフテニスやサウンドテニスもあるが、有名なのはやはり車いすテニスだ。でも、アメリカで見た"障がい者テニスプレーヤー"たちは、テニスをするために車いすに乗る必要はない。

というか、車いすに乗ったらテニスができなくなる人もいる。
例えば腕が無かったり、麻痺があったりすると、車いすを操作しながらラケットでボールを打ち返すことができない。

どうして、パラリンピックには車いすテニスしか無いのだろうか。
座ってテニスをしたい人がいるように、立ってテニスをしたい人もいる。
そんな人たちがなぜ思い切り力を試す場がこれまでなかったのか。

 帰国後、柴谷さんが中心となり、2017年に日本障がい者立位テニス協会(通称JASTA)が発足した。すると、全国から仲間が集まり、翌2018年には一般社団法人格を取得、2019年には第1回全日本障がい者立位テニス選手権大会を開催した。

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全日本大会は、純粋にとにかく楽しかった。
試合以外にも、義足体験のコーナーや選手とラリーができるコーナーもあり、大賑わいだった。ゆるキャラも応援に駆けつけてくれた。
なかでも名物企画となっていたのは「いろんな手と握手」のコーナーだ。
JASTAにはいろんな手の人がいる。先天性奇形のある手の人、切断して先が丸くなっている手の人、装飾義手の人、筋電義手の人。そんないろんな手の人と一気に握手ができる機会はそうそう無いだろう。


 現在はなかなか集まって練習会をできる状況ではないが、以前は関東と関西で月2回から3回の練習会を行っていた。
 ある練習会の日、小さな女の子がやってきた。彼女は生まれつき右足首から先が無い。テニスは初めてとのことだったが、キラキラした瞳でボールを追いかけ、思い切りラケットを振り抜いていた。すっかり楽しくなったようで、それ以降、「あと何回寝ればテニスができるの?」と話しているらしい。
これこそが、障がい者立位テニスが必要とされる理由なのだ。


 2016年以降も、JASTAから毎年数名の選手が国際大会に出場し、素晴らしい戦績を残している。障がいによってカテゴリーが分かれており、昨年は、優勝3人、準優勝2人、3位1人、ダブルスも1ペアが優勝した。 
 その国際大会が今年5月に日本で開催予定だったが、新型コロナウイルスの影響を受けて中止となった。
日本人選手へのリベンジを誓ってやってくる世界中の立位テニス選手の激闘を観ることができず、とても残念だ。
 でも、安心して世界大会が開催できるようになったら、絶対に日本で開催して、世界レベルの立位テニスをたくさんの日本の観客に観てほしい。
 世界大会以外にも、また全日本大会を開催したり、地方大会を開催したりして、日本中どこでも、立ってテニスをプレーしたい人が希望を叶えられるようになってほしい。


テニスは人気のあるスポーツだ。
どうか、
テニスをやってみたいと思う全ての人にチャンスがありますように。
病気やけがをする前からテニスが好きだった人が、再びコートに入ることができますように。
病気やけがをした後に、新たにテニスを始めることができますように。
障害のある子供が、テニスに触れることができますように。


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障がい者立位テニス。私の応援したいスポーツ。
もっと広まれ。
テニスを通して、世界に笑顔が増えるように。
ヒューストンで聴いたラリーの音が、いつかパラリンピックの会場にも響き渡るように。

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