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日本人になりたいと思うようになった

大阪入国管理局でビザの更新を急ぐ約200人以上の外国人達に囲まれて自分の受付番号「267」が呼ばれるのを永遠に待つ6月9日。

おっと、日付を書いて思い出した。
また山下との記念日を忘れていた。笑
おめでとう。
山下の写真だけでも載せておこう。

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私が「ジャスミン」「ジャス」そう呼ばれるように仕組み始めたのは日本に来て2年目の夏だった。見た目は日本人(親両親とも日本人なんだから当たり前)、日本語も普通に喋れる、そして本名「山田彩加」の私は、日本で「日本人」としてみられることにためらいを感じていた。友人に相談し、結果できたのがこのあだ名。

日本に来たばかりの頃、日本の当たり前が解らないことが恥ずかしかった。解ることが当たり前と勘違いされる前にカタカナの名前で自己紹介し、なんでカタカナなの?と会話を誘導する。そこから「日本人でない私」の説明を始めた。この流れがいつの間にかマニュアル化していた。

「日本人でない私」を説明することで難しい日本語が解らないことを許してもらえる。日本のルールを知らなくても許してもらえる。そう思っていた。そしてそれが楽だった。そしてちょっと自分でかっこいいとも思ってた。笑


それが日本に来て早5年。
気づけば私は日本人としてこの国に受け入れてもらいたいと思うようになっていた。

多分、日本人として見られてもいいと思えるほど知識もつき、日本に住む上で「外国人」は不利であることに気づいたからだ。

日本国籍である人と同じように税金を払い、同じように暮している。名前だって、見た目だって、親だって、日本人。だけど多重国政を許さない日本は、日本人になりたいならニュージーランドの国籍をなくせという。

まだこの選択肢を与えてもらえていること自体に恵まれていると思う。
でも私母国の国籍を無くしたいとは思わない。矛盾しているところがあるかもしれないけどやっぱり生まれ育った国は捨てたくない。そして、将来子供が生まれたためにもその選択肢を残しておいてあげたいとも思う。母がしてくれたように。

だから私は、日本人になれない。

市役所に行って「山田 彩加」と書くと、「YAMADA AYAKA」に直されると少し悲しい気持ちになる。私は漢字名を持っているのにそれを日本で正式な名前として使わせてもらえない。

日本人になりたいと思うけど、ニュージーランド人でもありたい。
わがままかもしれない。わがままだ。
だけど今の正直な気持ち。

今日も私は日本人の血を引くニュージーランド人として、日本で暮らす。

いつか国籍「地球」っていうくくりができればいいな。

ちなみに2時経ったけどまだ「267」は呼ばれない。

🤷‍♀️

ジャス

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