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私が勉強する理由

先日、中小企業診断士の一次試験に合格した。
試験前の3〜4ヶ月間は、休日は勿論、始業前や業後にも勉強していた。
そして今は二次試験の勉強をしている。それが終わったら、英語を勉強しようかなと思っている。

「なんでそんなに勉強するの?」と、周りには不思議がられる。確かに、仕事に直接関係する分野ではないし、資格を取ったところで昇給や昇進があるわけでもない。
だから、なぜかと聞かれると明確な回答ができないわけだが、あえて答えるなら、“勉強しなければよかったと後悔したことが今までなかったから”だと思う。

私は、もの覚えは早いほうだが、忘れるのも早い。だから受験勉強や資格勉強で覚えたことは、合格したら忘れてしまうことが多い。世界史の年号や英単語、税法や会社法、試験前に一生懸命詰め込んだはずなのに、どこかにいってしまった。

知識は使わないと曖昧になるらしい。
「あれ、これ勉強したやつだけどなんだっけ?」というようなことはしょっちゅうだ。

一方で、ずっと残ってるものもある。

例えば、経済学で学んだ“機会損失”。財務で学んだ“正味現在価値”。経営学で学んだ“相乗効果や相補効果”など。
機会費用や正味現在価値の算出式を覚えてるとか、相乗効果・相補効果のメリットデメリットが羅列できるとかそういうことではない。

決断するときには、”機会損失”や“正味現在価値”を自然と考慮するようになり、また何かを分析するときには、“因果関係”“相乗効果”“相補効果”を自然と意識するようになった。なんというか、思考回路が増やしていくような感覚。

似たようなことは、勉強してきた人なら誰しもあるんじゃないかと思う。

生きていくうえで、こうすれば正解とか、これさえやれば間違いないという事は存在しない。何を正解にするかは自分次第だ。当たり前と言えば当たり前だけど、これって結構ハードなことだと思う。
何かを選択するとき、決断するとき、自分の人生だからこそ、いつだってベストを尽くしたい。

では、どうすればベストと言えるだろうか?

私は、「自分なりの基準を持って選ぶこと。」これが大事だと思う。そして、この基準を多様にしてくれるものが勉強だと思う。

未来は予測不能だ。そして、同じ状況は二度と訪れない。だから、「以前うまくいったから、今回もそうしよう」、「あの人がこうやって成功したから、私もそうしよう」 。このような過去の経験や、他人の成功事例で選択・決断するのは安易である(極端な例ですが)。
過去を真似るだけではその先の進歩はない。大切なのは、いかに本質を見抜き、次に活かしていくか。そして、正解のない世界のなかで、自分なりの答えを見つけていくか。

テストで良い点を取るため、資格取得のために始めた勉強であっても、それがどう活きてくるかは未知数。勉強して覚えたことをそのまま知識として持っているだけではもったいない。
勉強することで、自分の基準が磨かれ、人生が豊かになっていく。これこそが勉強する醍醐味であり、私が勉強を続ける理由なのだと思う。

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