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人類学は、人と人との関わりあいなんだ

 午前1時半。明日も早朝からバイトだというのに、どうしてだか目が冴えるのはきっと、今日が実りあるものだったからに違いない。
 今日考えたいろんなことを逃さぬように、頭から抜け落ちないうちに書き留めておきたい。そんな誰に語るでもない自分語りをしたい日は、真っ白な紙にきいてもらうのがちょうど良い。

人類学に興味があります


「あなたのご関心を教えてください。」
 2年生の後半、人類学コースに内定してからそんなことを尋ねられる機会が増えた。

「え、ご関心……??」

 入学してから今まで、私の関心は「人類学」以上の何者でもなかった。人類学がやりたい、それだけを考えて突っ走ってきた私にとってそれは、(考えてなかった私があまりにも盲目だっただけの話ではあるが)思いがけず突きつけられた難題であった。

 人類学コースの人に人類学に興味がありますなんて言えないし……。苦し紛れに景観人類学やコミュニティ研究が気になってます、なんてセリフを捻り出してみたは良いものの、それはあくまで突貫工事の産物にすぎず、私が人類学に対して抱いている「ご関心」のつゆも反映していなかった。

これまで、どう言葉にして良いものかとずっと思いあぐねてきたが、結局私の「ご関心」は他のどのサブカテゴリでもなく「人類学」。この言葉が一番良く説明しているように思うのだ。

私と人類学との出会い

 私の人生に初めて「人類学」という概念が登場したのは、高校2年生の冬であった。当時の私の頭の中は「迫りつつある志望大学調査にどこを書くか」で占められていた。

 地方公立中高一貫校にありがちな現象として、成績が一定以上の生徒が先生たちに煽てられ「東大志望」に仕立て上げられることがある。当時の私もその対象とみなされ、ことあるごとに「東大どうですか?」とお誘いを受けていたのだが、天邪鬼な私はその勧誘に屈するのが嫌で、ろくに調べもせず頑なに別大学を志望し続けていた。
(誤解のないように補足しておくと、今は私の人生に東大という選択肢を提示してくれた高校の先生方に大変感謝している。反抗期でごめんなさい。)

 そんな中、私は機会に恵まれ東京の高校生フォーラムに参加することになった。そこで二つの出会いを得た。

 まずは、引率をしてくださった倫理のT先生。二泊三日の行程の中で、雑談から人生相談までありとあらゆる話をした。倫理の先生というのは、高校において異彩を放つ存在である。この旅以前、私の中で倫理の先生は、何か生きづらそうな変な人、というイメージだった。ところがいざ向き合ってみると、その先生の語る言葉、醸し出す雰囲気にいつの間にか惹き込まれている自分がいた。

 へえ、そんなことを日々考えているんだ。私も先生のようになりたい!そう思った。今思えば、T先生と出会い、憧れ、目指したことが人文科学の道への第一歩だったのかもしれない。

 次に、東大に進学した高校の先輩との出会いがあった。その方は、T先生のご紹介で時間を空けてくれ、東京観光がてら相談に乗ってくれた。

 二泊三日の旅を振り返るだけでも分かるように、私は良く言えば人の意見をよく吸収する、悪く言えば人から影響を人一倍受けやすいタイプである。今考えると小っ恥ずかしいし、何なら今もちょっとその余韻が自分に残っているから書くのが憚られるのだが、高校時代の座右の銘は「人間的成長」だった。T先生や先輩のように、尊敬できる人に会うと「自分もそんな人間になりたい」と思う。その気持ちを動機に行動する。だからもっとたくさんの尊敬できる人に出会って、人間として成長したい。こんな話を先輩につらつらと話したような気がする。

 うんうんときいてくださったその先輩は、三日間で倫理・哲学に進む気満々になっていた私に「あなたは哲学よりももう少し現実に近いところで学んだほうが合いそうだね」と言い、教養学部の文化人類学コースを紹介してくれた。かくして、私の人生に人類学が現れた。

ちゃんと出会う

いったいなぜわたしたちは参考文献の一覧のみを掲載して、踏み締める地面や、頭上を移ろう空、山々や河川、岩石と木々、住まう家や用いる一群の道具、さらには生をともに営む人間あるいは人間以外の無数の仲間たちについては、謝辞でひとことも触れないのだろう。これらのものや仲間たちは、たえず私たちを鼓舞し、私たちに要求し、私たちにものごとを告げてくれる。

ティム・インゴルド『BEING ALIVE——生きていること』2021年、左右社

 日々を生きていて、考えること感じることは人それぞれだなあと、最近よく思う。「私がなぜ人類学に惚れ込んだのか?」と言われたらきっと、「この世界とちゃんと出会える思考法だから」と答えるだろう。人類学をしていれば、日々経験する世界が色彩豊かなものになっていく自信があった。だから人類学を選んだ。

 ここでは私がお世話になっている大学講師の先生との会話から考えていきたい。その先生は、普段友人や同僚と長い時間過ごしていても、まだ「ちゃんと出会っていない」と感じることがあるのだそうだ。ただ長い時間過ごしたところで、その人が考えていること感じていることに近づける訳ではない、と思うそうなのだ。

 「ちゃんと出会う」ってどういうことなんだろう。私の頭にそのキーワードがポツンと浮かんだまま悶々としていた。そう考えると、私はこの世界、つまりインゴルドが言うところの「踏みしめている地面や頭上を移ろう空、山々や河川、岩石や木々、住まう家や用いる一群の道具、さらには生をともに営む人間あるいは人間以外の無数の仲間たち」について、ちゃんと出会えているのだろうか。彼らが鼓舞し、要求し、告げてくる事柄にきちんと耳を傾けられているのだろうか。なんだか自信がなくなってしまった。

 私の尊敬する人類学の教授は、お茶を啜りながら「湯呑みが僕に訴えかけてくる何かがある。僕は湯呑みの、より深い普遍に入っていくのだ。」このようなことを言った。私は茶碗から普遍を感じられなかった。同じものを見ているのに私にはベールがかかったように見えないことが歯がゆかった。

 しかし同時に、人類学を学びつづければ今見えている世界のさらに深い部分まで入っていける気がした。長い時間フィールドで暮らし、ときに自己の変容を迫られながらも他者とともに生の可能性を探っていく姿勢。これを身につければ、私の目を覆うベールは解かれるような気がする。
 そういう意味で、私にとって人類学は人やモノに「ちゃんと出会い」、豊かな人生を送るための手段なのである。

私は何者なのか

諸個人は、己の生命を表出するとおりに存在しているのである。したがって、彼らが何者であるかは、彼らが何を生産し、またどのように生産するのかと一致する。

Marx and Engels 1977:42

 人類学者は、フィールドワークの成果を民族誌の形で著す。民族誌は「論文」であるよりむしろ「作品」である。ある事象について、主人公を変えながら繰り返し書いていくことで編みあげられた、分厚い記述作品なのだ。こうして書き留められたフィールドの「声」は、読者の脳内で響き合い、人類学者が体験した空間を立体的に再現する。

 しかも、それが文学と違うのは、現実の人と人との関わり合いを元に描かれていること。だからこそ民族誌には、読者に何かを訴えかける力がある。

 私は民族誌を読む度、それが持つパワーに圧倒される。ときに涙が出ることもある。どんなフィルムよりも人を揺り動かすことができる。もしマルクスやエンゲルスの言う通り、「何をどのように生産するか」が私自身の存在、つまり「何者であるか」ということと一致するのであれば、私はフィールドでそんな文章を書く人でありたい。そう思った。

最近のお悩み、進路のこと

 だからと言って、私はアカデミアの世界に興味があるわけではない。人前で論理的な発言をするのは苦手だし、議論だって向いてない。有名な哲学者を何人も知っている訳でもないし、考え込んじゃって心を閉ざすこともある。そんな人間はアカデミアの世界で「学者」として生きていくことはできないのだろう。私はこんなに人類学が好きなのに、私が人類学をする資格はないのではないか。実らぬ片思いをしているような辛さを半年間ずっと抱えていた。

 そんなとき、面白い人から話をきく機会があった。
 彼は自分自身を「人類学者の皮を被ったニセモノ学者」だと表現した。別に学問の分野で有名にならなくったって良い。あくまで現地にいて、肉体派でたくさんフィールドで人と向き合い続ける人生が送れれば良い。そのための手段として人類学という仮面を使えば良いじゃないって。

 彼の初心も私と似ていて、「人と関わるときにうまくいったりいかなかったりするのはどうしてか知りたかった」ということ。だけど、学問に飲まれて結果を出すこと、つまり民族誌を書くための調査に甘んじてしまった時期もあったそうだ。

 人類学を本格的に学び始めてから約15年が経ち、彼の現在の目標は、「プチブルになる」ことらしい。大学教授として人に雇用されることによって縛られてしまうのをひどく嫌がっていた。その辺の感覚も私と似ているんだよなあ。

 彼はプチブルな人類学者になるため、授業を数日にまとめ、それ以外の日は別の拠点で自分の過ごしたい人々と過ごすそうだ。その資金をやりくりするための法人を立ち上げたり、フィールドで学んだ良い子育て法を実践する組織を作ったり。

 彼のすごいところは、このように生きにくい周りの状況を自分にとって生きやすいように変えていけるということだ。だから、ただ「人類学者」という枠にだけ収まっている訳ではない。「学者たるもの」のあたりまえを疑う。彼は人類学者である以前に彼自身なのだと感じた。しかもそれは、何か一つの首尾一環とした軸を持つ存在として在るのではなく、ただ自由だ。

 別に一つの軸を目指して、いかなくたっていい。自分の好きに自分の人生をスケッチしていいのかもな。別に学者だって、そうでなくたって。
いろんな形があるからさ、議論が苦手でしたくないならそれでも良いじゃない。発言ができないからって、人類学が嫌いだってことにはならないでしょう。私にとって良いように人類学を使えば良い。人類学者にならなくったって良い。良い学者になるのではなく、良い人類学の使い手になろう。

 彼の話をききながらそう思うことができた。

 だから現時点での私の将来のキャリア選択は、この世界を今よりちょっとだけ生きやすくするのに役立つ職を身につけること。それは別に一つじゃないし、稼げないかもしれない。だけど、プチブルな人生でいいなって。むしろそれが自分にとって幸せなら、そして自分の周りがそれで幸せなら、それがいいなって。

 さあ、そのために今、何をしようか。とりあえず、3日後に迫ったレポートを満足に書き上げることかな。その後ゆっくり考えよっと。

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