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天ぷら

厨房のすみに座って、天ぷらを揚げるネパール人のシェフを見ながら、家族と食卓を囲んだ時間が次々とよみがえってきた。もう二度とないかもしれない時間。
やはり、私がつくる日本料理は、ここでは出せない。

ネパールの日本料理屋に招待されて、ネパール流にアレンジされた天ぷらをはじめて食べたときは、衣がやたらカリカリでやはり日本のとは違う、ちょっと残念ぐらいにしか思わなかった。
ネパールではまだまだ日本食は高級。ちょっとした夕食会に誘われて行った日本食レストランでは、マネージャーもシェフも日本に行ったことがないという。マネージャーは、もっとこのレストランの内装を日本らしい雰囲気にしたい、もっと本物の日本料理に近いメニューをつくりたい、と熱心だった。
本格的な日本料理を知りたいから何かメニューを考えてくれと言う。そのうち何か作って持ってくるね、と適当にお茶を濁しておいた。

ただ、やるとなったら話が早いのがこの国。準備する時間を考え、いつまでにやってきてね、と期限を提示する文化はない。
次にこのレストランに来た時、今日はスペシャルなゲストが来るから何か一品作ってくれ、材料はなんでも用意すると言う。

突然何か料理を作ってと言われ、何も準備がなかったが、私もプライドがありできないとは言いたくなかったので、作りなれた鮭のおろし煮を作ろうと思った。
エプロンをつけてキッチンに入り、材料を用意してもらって、若いスタッフと適当に英語で雑談しながら下ごしらえをすませると、シェフは他にもメニューがたくさんあり忙しいのでとりあえず座っていろと。

しょうがなく厨房の端っこに座って、シェフの様子を眺めていた。
するとシェフは、このレストランでは前菜として出す天ぷらを揚げはじめた。

大きな背中のシェフが、粉をまぶした野菜を液につけ、大きな鍋にひとつひとつ入れていく。
聞きおぼえのある、ぱちぱちという油の音。
黄金色の衣にくるまれた野菜を菜箸でとり出し、キッチンペーパーの上に並べていく。

誰かが天ぷらを揚げる姿を見るなんて、久しぶりだなと、ぼうっと考えながらシェフを見ていたら、とつぜん、日本の家族といっしょに過ごした時間を次々に思い出した。

私が子どものころ、いとこや祖父母が集まる席ではいつも祖母が天ぷらを揚げていた。さつまいもやれんこん、かぼちゃ、ししとう、まいたけ、春にはふきのとう。
割烹着を着て台所に立った祖母が次々といろいろな天ぷらを揚げ、母が大皿に盛りつけてテーブルに持ってくる。祖父と父は新聞をみながら話していて、私はリビングでいとこたちと遊んでいる。
10歳ぐらいの時、台所に立って手伝いなさいと言われたこと。
コロナの時期、出かけられないので料理に凝りだした母が、だんだん体が効かなくなって台所に立つのが大変になってきた祖母の代わりに、祖母のような天ぷらを揚げられるように練習しだしたこと。
たくさんの苦い思い出もある。
でも、天ぷらをたべている時間は、みんな笑顔で、幸せだった。

以前ゲストハウスで会った人に料理を出したとき、これ作る人と結婚したくなるような料理ですね、と冗談交じりに言われた。
私が作る、母から受け継いだ料理は、忙しい毎日の中で作る、栄養がとれるように、色々な思いのつまった料理だ。
そんな料理は、ただ味だけを見ておいしいとかおいしくないとか、言われるようなものではない。
人生の中で忘れない、親しみのこもった、思い出になる席でしか出せない料理だ。

ひとつひとつの料理に、思い出がある。もう会えないかもしれない、私の家族との。
やはりこれは、特別な人にしか、出せない。

出されたピーマンの天ぷらを何もつけずにかじると、甘くて、すこしほろ苦かった。

結局、シェフとマネージャーがけんかしたか何かで、鮭のおろし煮は出さなくてよくなった。

それでいい。

またいつか、かけがえのない大切な人たちと、天ぷらの衣のような黄金色の時間を過ごすときに。
また、この料理を作ろう。

(2023年9月)

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