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〜「じゃれっと・きむ」の 人生の備忘録 〜

令和4年3月。34年間勤めた地方自治体を早期退職で辞めました。
定年まで全うする。そんなこと当たり前と思っていた私ですが、結局、ココは自分の居場所ではない、納得のいく人生が送れない、ということで、5年以上かかっての決断でした。
この大きな人生の転機において、自分の「これまで生きてきた証」をちょっと整理してみよう、残しておこう、そんな風に思うようになりまして、『「私」というと•••』という人生備忘録を投稿していくことにしました。
個人的に残したいものでありますけど、お読みいただきコメントでも寄せてもらえますと嬉しいです。

シオナダ ワークサポート 代表
「じゃれっと・きむ」こと 金子 雄一郎

『昭和44年10月 北九州八幡で誕生』

適応力、行動力の源はここで生まれる?

🍀理容師と美容師の息子として誕生

父は床屋(理容師)、母はパーマ屋(美容師)、そんな2人の長男として1969年10月21日、北九州市八幡東区竹下町(当時七条電停近く)にあった本田産婦人科で生まれました。
 ※本田クリニックhttps://honda-sanfujinka.com/ (現在もありました)

この当時、私が生まれる前までは、すぐ近所叔父の経営する理髪店に住み込みで働いていたようで、叔父の家に間借りし、生活をしていたようです。私が生まれた後は、八幡西区の折尾に移り住み、そこで2歳まで住んでいたらしいのですが、私にはその記憶は何一つ残っておりません。

生まれた当時のことの記憶は殆どない八幡生活ですけど、北九州で出生したことで、幼少期の自分の姿が形作られたところがあります。少しだけ、北九州と私の関わりについて、記録を残しておきたいと思います。

🍀市場のある街を走り回る

幼少期には夏休みなど時間があれば度々北九州へ遊びにいっておりました。私が鉄道好きなこともあり、一人で鹿児島本線に乗って、ちょくちょく訪問していたこの街。実家に帰るかのように行き来してました。叔父の理髪店の近所には昔ながらの「槻田市場」(生鮮食料品)があり、隣近所も靴屋や和菓子屋やクリーニング屋や銭湯等、いわゆる商店街の街。

この街の住人であるかのように私は過ごしましたから、故郷がここじゃないかと、もう決めつけています。北九州は昔から市場が多く存在する地域。槻田市場の様な小規模の市場はたくさんあり、また近くでは荒生田市場といった大規模な市場もありました。この頃から商店街で過ごしたことで、そんな場所が未だに好きなのかもしれません。

🍀床屋と製鉄マンの叔父

理髪店の叔父。叔母と2人で経営していました。遊びに行った時には朝から理髪店の独特の匂い(ヘアトニック?ひげ剃りの泡?)が家中に漂っていますけど、これも清潔感の現れ。お店の待合スペースで漫画を読んだりして過ごす事もありましたが、その時に、客人とお話ししたり、やってきた近所のおばさんと話したり、地域コミュニティの楽しさを実感していました。当時からとてもユニークな方で、いつも親父ギャグを言ってましたが、私はそんなユニークな感じの人間にはなりませんでしたね。その叔父もつい最近ですが、亡くなりました。最後に会いたかった。

理髪店を営む叔父の他にもう1人の叔父がこの近所に住んでいました。仕事は八幡製鉄所。いわゆる製鉄マンでした。この叔父宅に遊びにいっている時は、3交代制の労働だった叔父が、夜の7時頃から仕事に出て行っていたことをうっすらと覚えております。重労働の仕事をしていたようには見えなかったこの叔父。ガタイが良い訳でもなくどちらかと言うと華奢な感じ叔父。どんな種類かは良く分かりませんが、何羽もの小鳥を飼っており縁側にはたくさんの鳥篭があって、いつも緑野菜をすり鉢でドロドロにして(青汁状態ですね)、おちょこのような小さな器に小鳥達に食事を用意する姿をいつも横で見ていました。

製鉄マンの仕事、きっと過酷な労働だったんでしょう。休みの日は小鳥達と静かに暮らすことが必要だったんでしょうね。

🍀チンチン電車が走る街

福岡には、都市圏部に西鉄の市内電車が走っていました。福岡市内線は昭和50年、最後まで残った貝塚線も昭和54年に廃止となりましたが、北九州は本線が平成12年(2000年)まで走っていたので、それを見たり乗ったりするのが楽しみで北九州へ通っていた私でもあります。

親戚と一緒に北九州で移動する際はいつも「チンチン電車に乗りたい」と言ってた私を静止し、自家用車やバスで移動することが多く、地元の人たちにとってチンチン電車の利便性は低かったのでしょう。しかし、幼少期から鉄道マニアの私にとっての移動手段は電車・鉄道に決まっている。この北九州のチンチン電車が無くなった時、とっても悲しい想いをした記憶があります。

🍀北九州が私にくれたもの

私は生まれてこの方、居住地としては福岡から出たことがありません(1年間だけ東京に研修派遣で寮に住んだことがあるだけ)。そして、福岡での殆どが現在住んでいる福岡県大野城市であります。しかしながら、北九州が私の出生地で「故郷」と言っても良いくらい、なぜか強い愛着があります。

北九州が好きだなぁと思うのには色々な要因はありますけど、ここで生まれたことで私が得ることになったものは、商店街(当時は市場)のフィールドで遊び、商店主たちに揉まれ、どんな場所でもなんとなく馴染んでいる、もっというと生きていける適応力みたいなもの。そして、小学校低学年でも、水城から鉄道一人旅で八幡まで行き、市内電車に乗って足繁く北九州まで通うことが好きだったことからの行動力。そんなところでしょうか。

また、親戚の存在も大きいです。2人の叔父、そしていとこらが、歳の離れた私とたくさん遊んでくれましたし、その後、大人になって、いとこらの商業が、教員、国税局、看護師、美容師といった職業に就いていたことで、いとこらからは、しごとについても色んなことを教えてもらいましたし、私の成長に少なからず影響があったりします。

たまに過ごした北九州とはいえ、ここでの出来事全てが、私の人生に影響している。忘れてはならない大切な時期です。
だからこれからも、私の出身は「福岡県北九州市」だと、胸を張って言い続けていきたいと思います。


次回は『2歳から住む街は「新開地」』です🙇‍♂️

고맙습니다〜😊 
 じゃれっと・きむ🍀


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