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〜「じゃれっと・きむ」の 人生の備忘録 〜

『鉄道マニアの始まり』

計画的な行動力が身に付いたのはここが原点だった。

🍀小学一年の時から一人で天神まで病院通い

私は、就学前から難聴気味であったことから、耳鼻咽喉科に通わねばなりませんでした。鼻の調子の悪く、それが耳の調子までおかしくしていたらしいのですけど、詳しいことはさておき、小学校1年の時から、自宅(当時は福岡でも田舎でした)から都心の天神(当時から福岡の街の中心でした)まで、一人で通院をしていました。

自宅近くのバス停から西鉄(西日本鉄道)の最寄駅である「下大利駅」までバスに乗って行く。このバスに乗るだけでも小学1年生が一人ですることではありませんでしたが、駅からさらに電車に乗って西鉄福岡駅まで移動します。当時は約1時間の旅です。

小学校1年生の私。実はこの小旅行をいつも楽しんでおりまして、特に西鉄電車に乗ることが嬉しくて仕方ありませんでした。この頃が「乗り鉄」する様になった始まりです。西鉄電車が主な「乗り鉄」の場でしたから、国鉄に乗り出すのはもう少し後のこと。(と言っても3年生の頃には、国鉄の最寄駅である「白木原駅」(現大野城駅)から博多駅まで頻回に乗ってました。)幼児期から国鉄に乗っていれば、もっと遠方までの「乗り鉄」を試みたはずですし、当時まだ走っていたSLに記憶ももっと残っていたはず。今となってはちょっと残念な気持ちになりますね。

そんな病院通いの「乗り鉄」の楽しみも、次第に難聴の症状が無くなり、通院の必要がなくなったため、2年生の途中頃には終わってしまいました。

🍀一眼レフが欲しくともハーフカメラで我慢

通院の「乗り鉄」が終わるのですが、そのあと直ぐに「撮り鉄」が始まります。これも小学校低学年から始まります。

最初はポケットカメラ。RICOHか富士フィルムか忘れちゃいましたが、自宅にたまたまあったカメラを私が占領して使っていました。ポケットカメラを検索すると、こんなサイトがありました。そう、これこれ!

シャッター押すだけの簡単なもの。勿論、そこまで綺麗には取れません。被写体が動く列車なので、すぐにピンぼけしてしまいます。
フィルムがハーフタイプだったので、フィルム一コマに2枚の写真が取れます。フラッシュもついてましたから、夜の撮影で使っていました。列車の撮影でフラッシュをたくのは御法度。私は駅で停車中の列車を撮影することがほとんどでした。このカメラでは夜間走っている列車を取るなど難しいですね。

そんなカメラと時刻表を鞄へ入れ、自宅から10分程度の鹿児島本線の沿線まで自転車飛ばして行きます。早い時には4時起き。夜も19時ぐらいまで粘ります。どの時間に、どこに行けば、どんな列車が撮影できる。計画的に行動しないと時間が無駄に過ぎるので、撮影前には時刻表を入念に確認しておりました。

中学生の頃に一眼レフ(Canon AE-1)を買ってもらうまでは、このポケットカメラが活躍します。今ではもう何処に行ってしまったのかわかりませんけど、「撮り鉄」のスタートを飾ったこのポケットカメラをちゃんと保管しておくべきだった。
一眼レフの方は今でも手元にあります。ただ、20年前くらいから電池を入れても動かなくなりました。いつか修理をして(きっと修理代が高い)、現代のようなデジタルではなく、フィルムで「撮り鉄」したい。死ぬまでには、実現できたらいいな…。

🍀時刻表大好き、乗り鉄計画も完璧

時刻表はどんな本よりも好きでした。今でこそ、たまにしか購入していませんけど、駅で列車の時間を調べる時には、みどりの窓口などに備え付けの時刻表で発車時間や乗り換えの確認などします。そんな時刻表大好きの私。仕事での出張や普段の旅行でも列車を使うことが殆どなのでしっかりと乗り換え計画を立てます。
壮大な乗り鉄計画を立てたのは、中学生の頃に鉄道マニアがこぞって参加していた「いい旅チャレンジ20,000km」への参加。当然私もチャレンジしました。流石に中学生のお小遣いでのチャレンジは限界があり、完全走破とはいきませんでしけど、このチャレンジのお陰で関東まで友人と行った事もあります。新大阪まで新幹線で、大阪から東京までは、当時憧れていた「急行銀河」という20系寝台の列車に乗車。あの時は本当に嬉しかった。寝台列車ですけど、興奮してほとんど眠れませんでした。

また、旅先までの往復と行った先で乗り放題になる周遊きっぷにもおせわになりましたし、青春18切符も良いですね。これらは時刻表片手に乗り鉄するには絶好の切符。最近でもコロナになる前は青春18切符を使って、大阪訪問時の行き帰りや、東日本の下半分ぐるり旅を在来線のみで計画する旅をしました。

さらに乗り鉄では、韓国1周の旅も実現しました。これもネットからダウンロードした時刻表で綿密な計画を立て、知らない街の初めての駅での乗り換えも問題なく成功。この旅がこれまでの人生で一番ドキドキした乗り鉄かも知れませんね。死ぬまでにやりたいことの一つですけど、世界の鉄道に少しでも多く乗りたいと思っている私。
でももう52歳。あんまり時間はありませんね。

🍀新幹線や寝台列車で1人東京へ

乗り鉄のところでもお伝えした寝台急行列車の「銀河」。これで東京へ行った時期よりも前に、実は、小学生6年生の時に、初めて東京へ、しかも一人で行ったことがあります。往路は博多〜東京間を寝台特急「あさかぜ」に乗車しました。初東京と初寝台列車。今とは違ってスマホなど無いため写真が残っていません。当時、東京に住んでいた叔母のところまで行くのが目的でしたが、道中、連絡する方法など当然なく、心細く思う時間帯もありましたが、初めての寝台列車の嬉し楽しい一人旅でした。
この時、2段寝台の上段ベットが今夜の寝床。普段、国鉄には乗り慣れていましたけど、いつもとは景色がちょっと違います。なんか優越感に浸った感じというか、鈍行列車などとはまた違った気持ちが湧く。優等列車に乗ると味わえるこの感じ。関門海峡を超え、本州に入ると、段々と窓の外は暗くなってきますがその頃、私の下段の席に乗っていた男性(多分サラリーマンか、年齢はそこまで年配では無かったか…)が私に声を掛けてくれます。「一人旅?東京まで?凄いね!」と。そして殆ど話をする間もなく、「一緒に食堂車へ行こう!」と。「え???食堂車???」。一人では食堂車へ行ける筈も無い小6の一人旅。晩御飯、何を食べるつもりだったのか記憶にないのですけど、この時、即決で連れててってもらったのは覚えています。そして注文したのは「ハンバーグステーキ」。夢にまで見たブルートレインの食堂車です。(食堂車は、幼少期と小4の時に家族旅行で東萩に行った時に乗った「特急まつかぜ」での経験はあります。)
ところでなぜ、その男性が食堂車でご馳走してくれたのか未だに分かりません。一人で乗っていた私が不安そうな顔をしていたのか、楽しそうにしていたから誘ってくれたのか、一人旅のこどもは珍しかったので東京まで面倒見てあげようって思ってくださったのか。お礼を言うための連絡先を聞くことも出来てない私。後日、福岡に帰宅した時にこの話を母にしたら怒られました。なんで連絡先を聞いておかなかったのかと。
この旅の東京からの帰りは、新幹線のひかり号。当時は東京博多間が6時間以上かかっていた時代です。夏休みの帰省ラッシュと重なったせいか、グリーンも指定席も取れず、満席の自由席で6時間過ごします。自由席であった事もあり、ずっと座ったままでした。帰りは食堂車も車内販売も利用せずの残念な初ひかり号でした。

この旅で、初めての東京という大都会のダイナミックさを乗り鉄を通して体感(山手線始めとにかく乗りまくりました。)するとともに、人の温かさを知る機会が、あさかぜの中でお会いした下段の男性から始まり、東京5日間の滞在で出逢った叔母の結婚相手とその家族からのおもてなし。連れて行ってもらった熱海の海水浴旅行。東京タワーや鉄道博物館にも連れて行ってもらい、九州、福岡では決して経験できないことを小6の私はさせてもらいます。

一人で計画し、行動したことではありますが、色んな人に支えられている自分がいる。全ての方に感謝です。

次回は『恩師、木村先生』です🙇‍♂️


고맙습니다〜😊 
 じゃれっと・きむ🍀

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