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「私」 というと・・・ (vol.6)

〜「じゃれっと・きむ」の 人生の備忘録 〜

『南ヶ丘ゼミナール』

勤勉さ、競争心との葛藤、メリハリの付け方、人脈の大切さを知った時期がこの学舎に通った3年間でした。勉強が楽しかったのは、問題が解けるから。やっぱり、解けることって楽しいですね。今からは考えられませんが、この頃、数学が一番好きでした。

🍀模擬テスト結果と塾長

小学6年生の3学期も2月の終わり。
塾には行った方が良いかなぁと考えてはいましたが、お金が掛かるし、部活もしたいので、まあ、様子見ながら塾には行けば良いかと思っていました。そんなとき、自宅の目の前に建設中のビルに「南ヶ丘ゼミナール」という塾が入るというチラシが入ります。思ったより月謝が安いし、塾長が『森田修学館<通称モリタ塾>』(厳しい塾として有名)出身の方だということ、そして何よりも自宅前だから通いやすいしということで、お試し模擬テストを受けてみることにしました。

数日後、なんと、塾長が直々に模擬テストの結果を持って自宅(当時は美容室をしていたのでお店)までやってきます。試験の結果が良かったようで、入塾の勧誘のために急いでやって来たようです。そんなことだけでも驚きだったのですが、結局、塾長の熱心な勧誘もあって、中学の3年間、通うことになりました。

🍀卓球室

この塾にはクラスが学年毎に「A」と「B」の2つのクラスがあって、上位成績者が「Aクラス」に入ります。定期的に入れ換えのテストがあったような気がしますが、その時の成績によってクラスが入れ替わるんですね。私は、ずっと「Aクラス」でしたけど、その分、勉強はとっても頑張ってやっていたと思います。やっぱりクラスは落ちたくなかったから。

塾にはいくつかの教室があったんですが、その2つクラスの部屋とは別に、10畳くらいの小さな部屋がありました。会議室的な感じの部屋です。
その部屋には何故か、開塾当初から『卓球台』が1台、置いてありまして、塾長から「休憩時間の憩いの場所」をという説明で、その息抜きが「卓球」だったんですね。卓球は塾長も好きだったようですけど、私も小学校の時は卓球クラブだったし、中学もギリギリまでバスケットと卓球を迷ったくらい卓球は好きだったので、休憩時間になると、勉強はそっちのけで卓球室に向かい、せっせと卓球をしておりました。

結局部活はバスケットボール部に入っていましたが、小学校のクラブ活動では、案外、上手な方だったと思います。というか自分で言うのも変ですが、結構うまいです。そんなこともあって、塾の日は勉強もさることながら、「卓球をやる時間」となっていきました。

🍀夏の九重合宿

「南ヶ丘ゼミナール」では恒例の夏合宿というのがありました。
九重は長者原にある「国民宿舎コスモス荘」へ毎年行っていました。現地までの道中は、まだ国鉄だった頃の九大本線の普通列車に揺られながら、仲間とワイワイ騒ぎながらの楽しい一時。当時は、普通列車にも車内販売が来ていたような記憶がありますが、もしかしたら「急行ゆふ」に乗っていたのかもしれません。
塾の合宿といえば、現地ホテルで缶詰学習って感じのイメージかと思いますが、塾長の方針だったか、夏合宿は思いっきり夏を満喫するのが目的で、勉強時間は一切ありませんでした。勉強づくめの日々からの解放をと考えての夏合宿だったのでしょう。2泊3日の間、くじゅう登山をしたり、花火大会(ロケット花火対決)をやったり、夜も遅くまで部屋でワイワイやって、楽しいことしかない時間でした。
でも、そんな楽しい時間は、戻ってからの学習の集中力を上げてくれましたし、合宿が原因で成績が下がるなんてありませんでした。

🍀塾なのに遊んでばかり?

この塾での想い出というと、正直言って、楽しかったことばかり覚えています。勿論、勉強をするための塾ですから、課題ワークや模擬テストも次々とやっていましたけど、基本的には学校の授業の予習的なカリキュラムでしたから、学校での授業がとてもスムーズで、学校の授業に課題が出てこない分、自宅ではプラスαの学びが出来ていたように思います。

言い過ぎかもしれませんが、塾には遊びに行っていた感覚がありますけど,勉強をしなかったという感覚はありません。自ら計画的に学習することが身に付きましたし、部活もしながら、一定の成績を保つことが出来ました。
生涯唯一の自慢はこれしかありませんが、中3の3学期の成績表は念願のオール5。まあ、内申点には関係ない3学期だったので、おまけな感じで先生が付けてくれたご褒美ですかね。成績が良かった最後の良い想い出です。

実は、最終的にこの後の高校受験では、志望校からワンランク下げることになってしまいました。受験直前の模擬テストで偏差値が5も下がり「62」となってしまったのが原因。これは塾の責任でもなんでもなく、私の家庭状況の問題が原因だったんですが、学区内トップ校を諦め、2番手の高校へ。私立は西南学院高校に受かっていましたけど、家庭に問題があるので私立には到底行くことができない状況があり、学区内トップ校を受ける気持ち的余裕が私には無くなっていました。

もちろん、2番手の公立校ですから、ボーダーラインを大幅に超えて合格したのですが、自己採点をしてみたところ、一番校を受けていてもボーダーラインギリギリで受かっていた点数でした…。

一番校を受けるかどうかギリギリまで悩みました。自分がチャレンジできないのは、家庭の問題があって、万が一でも私立に行くことができないと言うハンデがあったから。

いえ、単に自分に勇気がなかったんだろうな。
自己選択、自己決定に、ちょっとしたズレが出始め、何となく人生が狂いだしたのは、この頃だったかもしれません。

次回は、『おろくとりょうじ』です🙇‍♂️


고맙습니다〜😊 
 じゃれっと・きむ🍀


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