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〜「じゃれっと・きむ」の 人生の備忘録 〜

『高校生活①〜右肩下リの3年間の始まり〜』

自分の居場所は自分で決めたい、納得がないと継続しない、環境が整わない時の自分の弱さ、そして乗り越える力があったことを知る、気持ちがジェットコースターのようにアップダウンする、まあまあ辛かった高校3年間の話。


🍀臨まない『英語の特クラ』

 私は昭和60年、福岡県立筑紫高校に入学しました。高校入試では第1志望校を断念したこともあり、問題なく合格出来ました。入学式の前だったと思いますが「クラス分けテスト」なるものがありまして、その結果、私は『英語の特クラ』だという1年4組に配属されました。『特クラ』とは特別クラスの略です。何故か英語の成績が良かったのでしょう。実は私、数学が一番好きな科目で自信があり、出きれば理系に進みたかった人。

 高校受験は第2志望の高校を受験し、高校では理系に進む事がなかった私。もちろん、得意な数学も、1年生の始まりから、徐々に成績が落ち始めます。『英語の特クラ』という自分が進みたいと考えていた方向ではない道にはまったことで、私のキャリア形成っておかしくなり始めます。

 ちなみに『英語の特クラ』とは書きましたけど、本当にそんなのがあったのか、今となってはよくわかりません。『英語の特クラ』という認識も、後から誰から聞いたことで知った事実。つまり、『英語の特クラ』のせいで生成が落ち始めたのではなく、成績が落ち始めたことを『英語の特クラ』のせいにしたかっただけだったようです。

 まさに、アドラー心理学でいう「目的論」。本当に分かりやすい、残念な私です。

🍀ラグビー部かバスケ部か

 中学ではバスケット部でした。紆余曲折の中学バスケ人生を過ごしたところでしたが、なんとか中学3年の時にはレギュラーにも戻れ、このまま高校でもバスケット部に入ることを何となく決めていました。

 入学してすぐ、部活紹介のイベントがありました。迷うことなく、バスケ部の部屋へと向かっていたところ、突然、ラグビー部の先輩から声を掛けられます。「ラグビー部に入らないか」と。

 ん?なんで? 

 突然のごっつい体格の先輩から圧倒されるかのような雰囲気のなか、私は「バスケ部行きたいのに」と戸惑っていたところ、さらに不思議なことが起こります。

「つくしヤングラガーズに居ただろ?」

と聞かれたのです。実は私、小学生の頃に1年間だけ地域のラグビーチームに「つくしヤングラガーズ」に在籍したことがあるです。どうしてその事を知っているのだろう、別にラグビーで目立った活躍など全く無い、どちらかというと炎天下の中で走り回ってぶつかり合うラグビーは当時も嫌いだったし…。

 結局、私は、バスケット部に入部するのですけど、ここで面白い話。

 中学の時もそうでしたが、「全国大会出場した卓球部」には入部せずに、バスケット部へ。高校も「県大会決勝進出常連のラグビー部」には入部せずに、バスケット部へ。中学の時と同様、高校のバスケ部も県内では弱小チームでインターハイも、毎年、1回戦敗退のチーム。
 ラグビー部は福岡県民なら誰もが知っている超強豪校で、毎年、花園出場を果たしている東福岡高校と決勝で争っている。
 あくまでも結果論ですが、私はそんなエリート部ではなく、バスケット部へ、私の自己選択、自己決定で入部します。

 しかし、そんな高校のバスケット部生活も、2年の秋、家庭の都合で退部することになります。小学4年生から始まった私のバスケット人生。ココで終わりました。

🍀進路が立たれる2年の秋に「担任との対立」

 私は高校3年間に教師と2度もぶつかった経験があります。しかも2度目はその教員の指示を完全にぶちぎります。

 1度目は高校2年生の担任だったK教員(体育)と。ちょうどこの頃、私は大学進学を諦めねばならず就職する方向が決まっていました。進路相談も就職で臨んでいた訳です。私は当時、とにかく、教員になるため、改めて、学校へ行くためのお金を稼ぐことしか考えていませんでしたが、就職先は、出来れば好きなことをしたいと、「飲食関係」希望していました。何も特技がない私でしたが、幼少期は母親が美容室を営んでいたこともあり、夕食を自分で料理(ご飯を炊いたり、簡単なものの調理)し、自分と妹だけで晩ご飯を食べたりしていましたし、高校時代は既に両親が離婚していたこともあり、普段の食事の準備等は当たり前のように自分でしていました。そんなことから料理は比較的出来る方だし、また料理自体は好きな方でしたから、何となくでも、就職するんだったら「調理人」が良いだろうな、手に職が付く仕事だしと、そんな風に考えていました。
 学内の課外活動でも「家庭科クラブ」に入っていた期間もありました。クラブでは毎回、調理実習がありますけど、一緒に調理していた先輩女子から「たまねぎをみじん切りにするのが上手いね」と褒められたこともありましたねぇ。私って、案外、料理人に向いているかもと感じていました。

 進学を諦め、唯一、見つけた就職へのイメージ。しかしこの選択を進路相談時にK教員がズタボロに意見し、私の前向きな気持ちを壊してきます。就職する生徒の支援などやったことないのか。それとも「調理人」という職業を見下していたのか。それは、将来性のない就職イメージを抱く私への警告だったのか。若しくは、私の高校は進学校で就職指導とは縁がない学校、だから、そんな指導が当たり前だったのか。

 いづれにしても、まあまあ事情があった私の事情など何の考慮もない。私のキャリアを共に考えてくれるような教員ではなかったことは確か。そんな中で、私はこの先どうすべきか、しばらく、路頭に迷うことになります。

🍀グングンと落ち始める成績

 志望校をワンランク下げ、1年生の時には望まない「英語の特クラ」にいた私。2年2学期が終わる頃には学年で最下位に近いところをウロウロとしていました。2年の2学期期末試験の後、英語の点数が10点以上足らない(私の高校は赤点が50点でした)ということで、3学期は100点満点で最低でも60点は取れないと留年となることを英語の先生から通告されていました。
 当時は、勉強に全く身が入らず、成績は奈落の底に落ちていました。成績が落ちても結果的にどこか入れる大学に入ればいいという展開は、就職組の私にはありません。大学進学を諦め、就職しないといけない状況な訳ですから、勉強する気にならないのも当然。自分の歩む道が見えていない訳ですから。

 元々、理系科目が好きだった私。2年生の時は文系クラスに進み、3年生は私立文系クラスへ進んでいましたから、単に履修科目が少ない楽な方を選ぶしか無かった学力。この先どうなるのかと不安しかなった状況でしたけど、案外、私自身はそこまで悲観的な感じはありませんでした。「就職すればいいのだから」とその時はなるようにしかならない、そんなふうに考え過ごしていたように思います。

 ちなみに、2年3学期の英語テスト、確か、62点か63点かくらいだったと思います。留年は何とか免れました。

次回は、『高校生活②〜仲間に支えられた3年目の夏〜』です🙇‍♂️

고맙습니다〜😊 
 じゃれっと・きむ🍀


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