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流れの正体

指導の現場において、私の場合あえて抽象度をマックスまで上げて「根性」や「気合」という言葉を使うこともありますが、その裏で実は全ての言葉に対して定義化をしています。

さらに言えばそれら「根性」、「気合」、「気持ち」、「ガッツ」、「ファイティングスピリット」、「Battling quality」、「闘争心」といったジャンルの言葉に対しては抽象度を下げた(具体度を上げた)整理がしやすい別名(フレーズ)を用意し、そしてそれら精神論が必要な理由まで説明可能な状態にしています。

例えば心理学でいうところの「覚醒」の説明をするとかです。

今回の話は「根性論」をひも解くためのものでなく、それと同じくらいフワッとしていて抽象的で、なのにその言葉を使っておけばOKという空気に包まれやすい、ある意味努力の不足や拒否を良しとする免罪符のような魔法のワードについて噛み砕いていきます。

「流れ」についてです。

「今は流れが悪いから耐えよう」
「そんなプレーしているから流れが相手に行っちゃうんだよ」

という言葉がスポーツの現場、特に攻撃と守備の機会が均等に割り当てられていないサッカーのようなタイプのスポーツの現場で聞かれ、選手も指導者も人智の及ばない天災のようなものへの態度のように受け止めて接しています。

とはいえ天災までとはいかなくとも、例えば雨や強風などの自然現象には、ほぼ全ての指導者がそれらに合わせた選手の起用や戦術の採択などで対応します。

「今日は雨でピッチの状態が悪いからロングボールを多用しよう」
「裏に出されたボールはバウンドで前に大きく滑ってパスが通りづらくなるからラインを高くしよう」
「追い風の時はミドルシュートを増やそう」
「体の大きな選手を使おう」

等々です。

自然現象に対しても選手起用やシステムで対処するのに「流れ」に対しての一時対応はほとんどが

「今は耐えよう」

です。

もちろん「流れが悪い」時間が長くなるにつれ、優秀な指揮官ほど選手交代やフォーメーション、システムの変更で対応します。

例えば途中から降った雨や吹き出した強風に対して、仮に選手交代やフォーメーションの変更は無くとも指揮官はすぐにプレーの種類を指示します。

いや、指揮官に指示されなくとも、優秀な選手ならば自分たちで当たり前のように状況に合わせたプレースタイルを選びます。

つまり具体的な対応をするということです。

しかしこれは、言葉ではいくら「『流れ』が悪いから」と言っていたとしても、人やフォーメーションの変更で対応している時点で、本来は「『戦い方(戦術)』が悪いから」、あるいは「その状況に陥るまでの『経緯』が悪いから」が正しい表現になります。

そして気づいて対応している時点で、実は「流れ」に翻弄されていないことを証明しています。

好ましくない状況の原因を見つける努力を怠らず、そして具体案を採択する能力も持ち合わせていることを証明しているとも言えます。

私は「流れ」という単語の使い方がおかしい、と揚げ足取りをしたいわけではありません。

このケースでの「流れ」の捉え方とその対処の仕方は問題視していない、むしろ好ましいと言いたいのです。

これに対して、状況把握と問題解決の努力拒否の免罪符として「流れ」という魔法の言葉を使っているときの一時対応はたいてい「我慢」になり、「今は流れが悪いから耐えよう」という状況のほとんどの原因が

①指揮官が相手チームのやっていることが分かっていない。
②分かってはいるけどそれに対する対処法を分かっていない。
③相手のやっていることも一般的な対処法も分かっているけど、相手との実力差がありすぎて自分たちではどの対処法も採択できない、つまり対処法が無い。
④対処法もあるし指示もしている。いつもは相手との実力差もない。なのにどういうわけか自チームの選手がいつも通りプレーしておらず簡単にミスをする。守備面でピンチを招いている。

のどれかになります。

➀と②の場合は監督の能力の問題です。正確には流れではなく、スタッフの能力差に原因があります。

➂の場合も流れというよりもただの選手の実力差なので、本来は本番前にきちんと準備をすること、で解決すればいいのですが、現実的にはそうもいかない相手と戦うこともあります。

精神論(「耐える」)で選手の集中力を上げる、あるいはあえて固くするのも一つの策です。

問題は④の場合です。

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