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見返りのない愛~リーガルハイとNARUTOより~ how difficult it is to love someone without asking love back, from Legal high and NARUTO


人間とは愚かで醜い動物である、リーガルハイ最終回より

最近時間があり、堺雅人主演ドラマであるリーガルハイと漫画NARUTOを久しぶりに見ました。それなりに考えることがあったのでまとめます。
まずリーガルハイからです。特に印象的だったシーンはシーズン2最終回で、羽生君が古美門に罵倒されるシーンです。

一部抜粋します。
羽生「人間の美しさを信じることです。醜さではなく、美しさを見ることです。誰しもそれを持っているから。」「僕のどこが間違っているんです?」
古美門「間違っていないと思っているところだよ」「わがままで勝手でずるくて、汚くて醜い底辺のゴミ屑ども、それこそが我々人間だ」
羽生「だからそれを導こうと。。。」
古美門「それが違うんだよ、まずそこから降りろ。自分も醜い底辺のゴミ屑の一匹であることを自覚しろ」「自分の賢さに自惚れ、人のために尽くす自分が大好きで、侵す危険に酔いしれる。」「皆を幸せにしたい。win-winにしたい。だが、それはしょせん君個人の欲望だ。」
羽生「僕だって一生懸命やっているのに泣」
古美門「もし君が、皆が幸せになる世界を築きたいと本気で思うなら、方法は一つだ。」「醜さを愛せ」

かなり名シーンだと思います。
羽生君は自分がヒーローになりたい、win-winにしてることが気持ちいいということを無意識に思っていたはずです。後述しますがナルトもその1人だと思います。しかし、古美門はその羽生君が抱える欲望に気づいていましたし、おそらく全ての人間が自身の欲望に忠実に動いていることを知っていたのだと思います。それを醜さというインパクトの強い言葉で表現していますが、愚かさとか欲望、理想、欲求、効用、希望とかでも表現可能です。

ここから言えることは、キレイごとを言ったとしても、結局のところは自分自身が満たされたいだけであり、それを俯瞰できなければ2人以上の人間がかかわる物事においては上手くいかないということです。だからこそ、古美門はその醜さ(人間が欲望に忠実なこと)を愛せ(自身も含めて理解しろ)と言ったんですね。


見返りのない愛とは、NARUTOにおける具体例

次にNARUTOです。
NARUTOは物語の全てにおいて見返りのない愛や無償の愛が含まれています。ナルトとクシナ・ミナト、サスケとイタチ、サスケとナルトについて話します。
ナルトの出産に伴い、九尾をオビトに狙われた際に、クシナとミナトはナルトを守るために自らの命を犠牲にし、九尾を封印しました。これは間違いなく見返りのない愛だと思います。個人的に見返りのない愛とは、親から子供、家族内にしか存在しないのではないかと思います。特に一時的なものではなく、永続的となると親から子のみだと思います。

イタチは、里の任務を遂行するためにうちは一族を皆殺しにしますが、サスケだけは守り抜きました。自分は抜け忍の名を負い、弟から恨まれても守りたかったのです。しかも、穢土転生で再開した時には、「お前は俺を許さなくていい。この先お前がどうなろうと俺はお前を愛している」というセリフまで残しています。これは間違いなく見返りのない愛です。
逆の目線になりますが、サスケもイタチ兄さんのことが大好きでした。しかし、虐殺があったあの日以来、憎むようになりました。これは愛憎という言葉があるように、愛しているからこそ、相手からも愛してほしいと期待してしまいます。その期待や見返りを裏切られた時に、愛が憎しみに変わってしまうんですね。これは写輪眼の説明でも使われています。つまり、愛と憎しみは表裏一体なのです。

これは、元カレ元カノにも言えるのではないでしょうか。今、思い当った人は、愛を求めすぎていたがゆえに憎しみも大きくなってしまったということです。
これを解決するための方法の一つは、相手に期待しない、つまり見返りのない愛を与えるということです。果たしてこれが親から子以外の関係においても出来るのかというのが、今回のテーマになります。タイトルからは想像もつきませんが、テーマは恋愛です。
長いですが、もう少しお付き合いください。

サスケとナルトは成功例です。サスケはイタチを苦しめることになった里のシステムなど全てを破壊しようと終末の谷に移動します。ナルトは、サスケが一人ですべてを背負っていることを想像し、痛みを共感しています。だからこそ、それを解決したかったのです。見方を変えれば、ナルト自身のもつ欲求でもあります。ナルトが共感すればするほど、ナルト自身も苦しくなってしまうため、それを解消したいという欲求です。

結果的に、ナルトの思いは功を奏しました。かつて私自身は回避性依存症というものについて調べたことがあります。傷つくのが怖くて、人を避けてしまうというものです。サスケもある意味、傷つくのが怖くてナルトを避けていたかもしれません。この回避依存症の解決策は、安全基地を持つことだそうです。つまり、何があっても愛してくれるような人間関係を持つということです。ナルトは片腕を失ってまでしてサスケを止めました。諦めない姿勢や行動に根負けし、心を打たれたということです。ナルトの場合は、見返りは求めていたと思います。自分自身の痛みを解消したいという欲望です。ただ、それを得るために片腕を失ったというのはサスケにとっては大きな意味を持ったはずです。

結論としての見返りのない愛

リーガルハイでは、全ての人間が欲望の動物であるということを学びました。
NARUTOでは、親から子への無償の愛は命をも犠牲にすること、イタチからサスケへの無償の愛も確認できました。これは家族内の話です。
ナルトからサスケは、家族ではありませんが、ナルト自身の欲望を満たすために腕を犠牲にしました。
ここから言えることは、「見返りのない愛」は、2軸で表せるのではないかということです。
1つ目は、求める見返りです。
相手にただ幸せになってほしい⇔相手から見返りがほしい(自分が満足したい)という軸です。
2つ目は、犠牲の大きさです。腕や命など身体を犠牲にすることや、時間や金銭を費やすことが当てはまりそうです。

こう見ると、ナルトの欲望はサスケに幸せになってもらいたいという欲望でもありそうです。古美門先生的には、ナルト自身も欲望を持っていて、たまたまwin-winになっただけとも言えそうです。ナルトは自身の欲望を俯瞰しなければいけないです。
そして、この2軸を基準にした見返りのない愛であるかどうかの判断は、それを受け取る側の他者が行います。自身ではないというのがポイントです。


恋愛への適用


恋愛における結論を考えます。見返りのない愛は上手くいっている間は上述した2軸を意識すれば実在しますし、より上手くいくようになると思います。
しかし、重要なのは上手くいかなくなった場合です。人間は頭でわかっていても、見返りを求めてしまうものです。なんで私はこんなに尽くしているのに、相手は何もしてくれないのと憎んでしまうこともあるかもしれません。人間は醜く愚かですから。ただ、破局最中に見返りを求めることを防ぐというのは、なかなか難しいです。あなたがマザーテレサでもない限り。そもそもなぜ見返りを求めるのか、これは相手に執着しているからです。他の趣味に執着していれば防げるかもしれません。たとえ付き合ったあとでも、自分のことは自分で満たすくらいの心構えが必要かもしれません。
なので時系列で話すと、付き合う前までは、過度に執着し過ぎず、付き合ってからは2軸を意識し、破局後は速やかに忘れてください。憎しみは何も生みません。失敗してしまった後は、気休め程度に、自分は結局は自分が愛されたいという欲望を満たそうとしているだけだったと、客観視でもしてください。彼氏彼女とはいえ、他人ですから、思い通りにならないこともあります。変えられるのは自分だけです。

より重要なのは、失敗を防ぐことだと思ってきました。その意味では、2軸にあるように、普段から姿勢や行動で愛を示すくらいはしたほうがいいと思います。相手を幸せにするために頭を使って行動してください。見返りは求めないでください。それが人間としての成長に繋がります。おそらくそれが出来るようになれば、慈悲とか慈愛の心を持った神様に近い存在になれると思います。私への自戒も込めて、皆さんは与えられる人間になってください。ただただ相手の幸せを祈り、与える人間になる。EXILEの歌にもありました。幸せを願うことこそが愛~。
慈愛の意味を調べたら仏教でも似たような考えがあることが判明し、何千年も前から人間の真理を言い当てる人がいたということに驚いています。人間の本質は2000年ほどでは変化しないということでもあります。遺伝レベルでの変化は何万年とかかるそうです。急速に変化する現代社会にも上手く適応していきましょう。

かく言う私も、似たような体験をしました。それを整理し、モヤモヤを解消したいという醜い欲望に付き合っていただき、ありがとうございました。
留学をしていたころに、キリスト教の友達からは「君は明るいvibesを持っている。それが周りの人を寄せる。」ということを言われました。与えられる人間になろうと努力し、精神レベルを向上させることができれば、周りの人々のレベルも高くなるかもしれません。それが巡って、良いパートナーに出会えるみたいなこともあり得ます。またいつか、人生における幸せや理想のパートナーについても整理したいと思います。
繰り返しですが、私も含めて与えられる人間になりましょう。

どうか私に慈愛の心をお恵みください。今から与えられる人間になりましょう!