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承認欲求があるのは悪いことなのか、幸せと承認欲求の関係性

人間が承認欲求を感じるのは自然なことです。生き延びるためには承認される必要があります。

今私のなかで対立する概念は、幸せになれるかどうかと承認欲求を満たせるかどうかだと思ってます。この二つを両立させるのは限られた人を除いて難しいのではないかというのが今のところの考えです。

承認欲求を満たそうとすると、際限がなく、他人の目線を常に気にすることになります。一度満たされても、またすぐに満たされたくなります。ドーパミンの作用だと思います。承認されてドーパミンが出て、また承認欲求が沸いてくるというのも、原始時代の人間には必要だったということです。しかし、遺伝子の変化と、現代社会の変化はスピード差がありすぎて、様々な副作用が現れています。

承認欲求を抑えるというのは、DNAや本能に逆らう好意です。誰もが少なからず承認されたいと思っています。

そもそも、人間は幸せを感じないように出来ていて、常に不安と戦うのは生き延びるためです。どこにどういった敵がいて、エサがあってっていう情報を得るのが生存に繋がります。
幸せを感じず、不安に思うということも、原始時代の人間には必要だったということです。
つまり、幸せを追究するってのも人間の性に反する行為です。

上記のことから言えるのは、人間の遺伝子は原始時代からあまり変化していないですが、現代社会に合わせて意識を変えていく必要はあります。

承認欲求が強くて、社会的な成功を常に求めることは悪いことでしょうか?社会全体から見ると、そうした人がいるおかげで資本主義社会は成長してきた気がします。欲望には際限がないです。手に入ったらまた次のものが欲しくなります。無知は幸運みたいな英語のことわざがあった気がしてて、言い得て妙だなと思います。ignorance is blissでした。知らないから幸福を感じるんですね。承認欲求を喚起されないから。

私の結論が変わりつつあります。80:20の法則でしたっけ、優秀な20%の人間が80%の仕事をするみたいなやつです。
優秀だと思うなら承認欲求の赴くままに登り詰めるのが良い気がしてきました。いつか才能や壁にぶつかります。そこが、幸せを追究しだすターニングポイントだと思うのです。まだ私は若いのでもう少しだけ夢を見させてください。

重要なのは、自分の行動が承認欲求ベースであることを自覚することだと思います。
皆から認められたくて、インスタに載せたくて資格の勉強をするとか、海外旅行に行くとかでも良いと思います。
承認欲求を利用して、自分の理想に近づく原動力にする。
何度も述べてますが、承認欲求は無限ですから、そこをメタ認知しておかないと、他人の目線を気にし、他人軸の人生を生きることになります。

人によって、能力は異なります。社会的に成功を見込めるかどうかを見極めて戦略を立てるってのも俗にいう幸せかもしれません。
幸せの定義を、快楽とか不安を感じないという風に置いた方が分かりやすいですね。承認欲求を追究しつつ、幸せを追究するようなリスクヘッジも重要だと思います。上には上がいますから。


今、サピエンス全史という本を読んでいるのですが、またいつか哲学や進化人類学の本を要約したり紹介しようと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。


どうか私に慈愛の心をお恵みください。今から与えられる人間になりましょう!