食事

食事についての人生経験を書いていこうと思います。

今の俺は食事についての拘りが全くありません。
お腹空いたご飯食べたい。
が普通だと思いますが俺はお腹空いたご飯食べなきゃ。です。
美味しいものを食べたい。って願望が全くなく食べれるならなんでもいい。美味しい、不味いとかではなく食べれれば。異常な不味さじゃない限りはなんでもいい。
味覚は集中して食べればこれはいい食材、これは添加物が多い、と分けて判断できますが何が美味しいかなんて人それぞれなんでその感覚自体が無駄だと思っています。
高級食材は美味しいってか希少価値が高いだけで俺は高級トリュフよりじゃがいもの方が美味しい。1番はこれ大切に育ててできた野菜なんだって渡されるものが1番美味しい。

小学生の頃は母親からご飯粒を残すな、好き嫌いは許さない、箸をちゃんと持て、箸を持たない手は手首までしかテーブルにのせるな。背筋を伸ばせ。と毎日言われていた。
弟が嫌いなものを口に入れて飲み込めずそのまま風呂に入り、口にご飯を入れながら風呂の中で寝て口からドバッとだしてた記憶があるなあ。
小学高学年から共働きになり夜ご飯まだかなあと毎日待って、ご飯もないし家に親もいないから勉強も分からないしサッカーしかやることないしサッカー好きだからサッカーをやっていた。よくばあちゃんがご飯だけ作りに家に来てくれていた。ばあちゃんが母親と父親に子ども達がかわいそうだからご飯くらい作ってあげなさい。こんな環境は絶対にダメよ。と言っていた記憶がある。俺は部屋でこっそりそれを聞いた。
土日に母親がいない日限定で父親が作ってくれるご飯が好きだった。
肉とソーセージを焼いて目玉焼きがあるだけの食事だったがそれが1番好きだった。父親が自分のためにご飯を作ってくれてる姿を見るのが好きだったから。いつも台所で横で見てご飯が出来るのを楽しみにしていた。
小学生低学年まで家族で食卓を囲み食事を楽しんでいて高学年から食卓を囲む機会が激減していった。

母親のおかげで今もご飯粒は残さず好き嫌いが1つもないのは感謝している。

中学生の頃の食事は何も記憶にない。
見事に何も覚えていない。
何を食べていたか、どんなふうに食べていたか、何も思い出せない。
食事に限らず中学頃の家族に関する記憶が全部思い出せなくなっている。何を食べてたのかな。
あ、弁当が冷凍食品だらけだったかな。

高校を辞めて社会人になり初めての給料で自分の好きな物が食べれる!と食べたいものを自由に選べることが嬉しかった。
学校を辞めてから、母親は俺にだけご飯を作ってくれなくなった。

家がなくなって金もなくなって友達の家のご飯を食べたり、盗んで食べたり、何も食べる気力がない日々があった。
留置場ででてきたご飯が不味すぎてやたら覚えている。麦飯が不味すぎて麦飯に醤油をかけて食べていた。その時醤油の美味さにびっくりしてたな。10日間、水しか飲めなくて食事を食べた時はあり得ない少量の食事で満腹になってた。

その時期に食事が毎日用意されていた時は幸せだったな。ご飯て美味しいんだな。ありがたいんだな。と身体で経験することができた。

今になって食事に思うことは、
情が乗っかってる食事が1番美味しい。
これだけは断言できる。食事は身体の栄養となりエネルギーになる。感情が人や生物や自然に伝わるように食事は感情を乗せて人の身体に伝えてくれる。農家が何年もかけて情を入れて育てた食材を、感情なき料理で提供しては感情が料理の段階で遮断されてしまう。
飲食店でもそうだと思う。チェーン店やマニュアル化された料理と個人店の母がやっている料理は味が違う。

母の手料理に勝る食事はないのは
正にそれを証明している。

食は、食べれることで十分。
ばあちゃんはよく今でもこのご飯一粒を食べたくて死んじゃう人がいっぱいいるんだからね、食事は感謝して食べなきゃダメよ。
と言っていた。
人口が世界で増え続けている時代でいつどのタイミングで飢餓が起きるか分からないし今でも飢餓がある中でなんでも美味しく食べることが大事で想像して感謝して食べた方が自分の為になる。

食事が想いを紡ぐような循環になったら嬉しいなあ。

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