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石川憲彦「こころ学シリーズⅡ」『「成長」とは、「発達」とはなんだろう?』エピローグ「生きる『場』が生む奇跡」一部公開。

娑婆で生きていこうとすれば

自然治癒力が育つかどうかは、生きる場しだいだ。

私がそのことを実感したのは、一九七八年の夏。 「親は敵だ」という言葉に触発されて、 あれやこれやと考え出してから三年が経過していました。 

その一年ほど前。私たちは「東大病院医療と教育を考える会」という会を立ち上げ、障 碍児の就学問題について話し合っていました。 子どもたちは、医学的には中等度から最重度の「障害」と診断され、教育委員会からは「養護学校か在宅訪問指導が適当」と 判定されていました。

集中力を欠き目まぐるしく飛び回り、親は三〇秒と目を離せない。

飽きることなく水や砂を手で撒きつづける以外、なににも興味を示さない。

 知的障害のため言葉も指示もまったく通じない。
多種合併障害で、心身ともに乳幼児並みの発育状態。
麻痺のため緊急避難時にほかの子の邪魔になると就学を拒否された。

そんな六歳児たちに、乱暴すぎて手におえないと就学猶予を余儀なくされ、在宅のまま4年間も据え置かれていた一人を加え総勢6人。その親たちと医療従事者、教員、施設職員などで何回も話し合ううち、話はとんでもない方向に向かったのです。

「施設にだけは入所させたくない。ただ娑婆で生きていこうとすれば、経済的問題以上に差別や偏見に苦労するだろう。それを乗り越えるには、大人になってから一人で立ち向かうより、子どものうちから親と一緒に苦労を体験しておいたほうがいいのではないか。親もまだ若いし、子どもと一緒に動ける時間も長く残されている。今から問題に直面したほうが、解決の道や生き方の選択肢を広げやすいはずだ。そんなことを試せる場は、学校しかない!」 。 そんな話になって、六人は教育委員会の反対を押し切って、春から学校、それもなんと 地元の普通学級に通い始めることになりました。

どちらが、この子の人生は豊かなんだろうか

 こんな想定外の結論に到達した理由について、砂を撒きつづける少年の親はこう述懐を してくれました。 ……一歳前から、視線が合わない、しゃべらないなどが気になり、以後六年間専門家にすすめられるままに、あらゆる治療やトレーニングを試みてきた。でも、なんの変化も起きなかった。 ところが最近、たまたま近所の幼稚園の前を通りかかって、はっと気づかされた。お散歩時間で子どもたちが走り寄ってきて、口々にいろんなことをこの子にいう。

「なんで、幼稚園へ来ないの?」 

「病気なの?」

「まだ、赤ちゃんなんだよ」

「だんまりのすけか!」

めちゃくちゃな内容だが、とても新鮮に聞こえた。久々に楽しくなった。

麻痺のため緊急避難時にほかの子の邪魔になると就学を拒否された。 多種合併障害で、心身ともに乳幼児並みの発育状態。 知的障害のため言葉も指示もまったく通じない。

考えてみれば六年間、あらゆる専門家が異口同音に、この子を「重度自閉症児」と診断 するのを聞いてきた。 

でも、子どもたちは、一人一人その数だけちがう呼び方をしてくる。

それから「どっちの世界で生きるほうが、この子の人生は豊かなんだろうか」と考え始めた。 そして、閉ざされているのはこの子のこころより、周囲の人間のほうではないかと思え 陽気で楽天的な集団の影響 るようになった……。

陽気で楽天的な集団の影響

  しかし、そうはいっても、集まった皆も内心では「夏休みまでもてばいいほうだろう。 それだけでもいい経験になる。ただ無理はせず、しんどくなったら、その場その場で次の手を考えていこう」くらいに考えていたように思います。 

 夏にはじっくり次の対策を練るために数日泊まり込んで話し合おう。きっと重い話ばかり出るだろうから、大人も子どももリラックスできる自然の中で合宿しよう。そんな目論見で、キャンプが計画されたのです。 

予想された通り、入学してから四ヵ月間、毎日がトラブルの連続でした。しかし、予想 がみごとに外れたことが一つありました。 

子どもたちが全員、学校生活をちゃっかり楽しく満喫し、すっかりたくましく変身して ていいたことです。それに励まされて、親たちの「トラブルこそチャンス」などと幾分強がっていってきた言葉も、だんだん無理のない 「ふだん着の居直り」 に変わり始めていました。

 九十九里浜の民宿に二泊したのは、総勢六〇余人。会メンバーに加え、通院中の障碍児たちや、二年間外泊せずに長期入院していた重症疾患の子も参加。さらに、そのきょうだいや近所の子ども、病院職員の家族や噂を聞きつけた個性豊かな大勢のボランティアも。

 深刻になるはずの話し合いは、星空ウォッチ、夜光虫探索、そして大人も子どもも入り 乱れてのハチャメチャな大宴会などに変わってしまいました。 

指示の通らない子など皆無。言葉のわからないはずの子も、九十九里の大波を前にすると圧倒されてじつに聞き分けがいい。流れるプールは、三〇秒とつづかないはずの多動児の集中力を、二時間以上継続させる力をもっていました。

生まれてはじめて水中に放り込まれた脳性麻痺の子に至っては、たらふく水を飲み真っ 青になって泣き笑いしながら、 「もっとやって」とせがむ始末。 

誰もが、水を畏 おそ れ、水を恐れないで楽しむ。それは、自然環境だけによる影響ではなかったと思います。入学によって周囲の束縛から解放され、自由に子どもをみるようになった大人たちの陽気で楽天的な集団の影響こそ大きかったのです。

現在の医療に欠けていること

長期在宅の問題児君も、宴会でほろ酔いの大人たちに上機嫌で晩酌サービス。そして最 も重要な変化は、その場に居合わせたすべての人の人間関係に起こっていたのです。 

ふんだんにある水と砂。それを生き生きとひたすら撒いて遊ぶ少年にすっかり魅せられたのが、長期不登校で通院していた小学六年の元優等生君。二人は、ずっと一緒にすごしました。二日目の深夜、彼は夜光虫の光る浜辺に私を呼び出し「学校でなくした人格が、今日戻ってきた。そしたら、学校に人格を育てられる教師になりたくなった」と語りました。 

言葉通り、彼は二学期から復学し、中高ではクラスの人気者になり……大学では進路変更……やがて後進の育成には定評ある研究者になりました。 

病院では経験したことのない体験でした。

自然の威力を人間を活かす力に変える力を、解放された場に生きる集団はもっています。そういった場が、現在の医療には欠けているのです。 

それまでも、治療キャンプの経験はありました。スタッフも道具も環境もすべて準備万端、事故などの責任も病院が負うので気は楽です。参加者も入院患者よりずっと軽症の子ばかりなので、医者としても気軽に楽しんでいました。 

ところが今回は、治療が目的の会ではありません。誰でも自由参加で、参加者は全員対等・平等(もちろん会費も完全割り勘)が原則。念のためにと救命救急具、酸素、輸血、輸液そのほかの治療用品は持参したものの、スタッフは少ないし泊る場所も民宿。すべて個人責任で参加し、責任問題は生じないはずなのですが、正直いって少し心配でした。

 しかし、すべて杞憂に終わりました。その代わり予想もしなかったような難題が、キャンプ中には次から次へと起こりました。

気管切開している子を、どうやって海に入れるか。出血傾向の強い子も、飛び回る子もみんなごちゃまぜでニアミス続出。目を離したすきにいたずら三昧する子や、 気がつくと誰かが迷子、などなど。 

治療目的ではないので、指揮系統はバラバラ。そこに病院では考える必要などまったくなかった、子どもの遊びや生活に即した工夫が常時求められます。それら一つ一つに医者や看護師など治療のプロは、解決策をもっていないので深刻に悩むだけでした。

 困りきったとき「こうできるよ」とか「こうしたら」という新鮮なアイディアを出してくれたのは、専門家でも親たちでもありません。きょうだいやボランティアの中・高・大学生から思わぬ妙案が出てきたのです。気がつけば、専門家の悩みは楽しい遊びに変えられていました。念のためにと持参した医療器具は、手をつけることなくもち帰ることになりました。

乳児から初老期まで約六〇人。ただ、皆で、遊び、食べ、疲れた人から寝る。ただそれだけの時間でした。しかし、起こったことを逐一を報告しようとすれば、本一冊では足りないでしょう。

非日常と遊びが生んだ内面の変化 

医療に馴染みのない人が、それもいろんな年齢の様々なタイプの人が多ければ多いほど、生活面でも医療面でも多様な可能性や選択肢が広がる。私が、そんなことをはじめて 実体験した三日間でした。 

非日常の、しかも遊ぶだけの場。そんな特殊な場だからこそ、そのときだけそうできたにすぎない。最初は、幾分クールにそう割り切りました。 

ところが、この遊ぶだけの場が非日常では終わらなかったのです。場は、広がり、つながり、新しい場を育て……と、次々に想定外の展開をみせていきました。そして気がつけば、非日常のはずの場が日常的な関係の中で育っていったのです。 次々と新しい仲間が増え、一〇年後には五〇〇人くらいの会に成長したこと。これも想定外でしたが、定例会以外のキャンプも、夏だけでなく冬のスキー、春の討論合宿などとして定着します。

 その中で知り合った人が近隣同士で連絡を取り合い、日常的に支え合うグループも形成されていきました。 

しかし、最も重要なことはこういった目にみえる形式的な変化が、一人一人の内面の変 化を呼び起こしていったことです。 

たとえば、砂を撒きつづけた少年。彼は入学後少しずつ変わり始め、なんと三年後に言葉を話すようになりました。 これは当時どの専門家も(もちろん私も) 、可能性を一笑のうちに否定したような想定外の変化でした。

突然生まれてはじめて筆をもって

まさに奇跡としか表現できないこの経過は、編集の都合上ほかの巻に書きます。代わり にというと語弊がありますが、別の奇跡を紹介します。 

キャンプには、重度自閉症と診断された少年がもう一人参加していました。養護学校に 通う小学四年生で、長年ある大学病院で心理療法を受けつづけていました。 

変化はまず、両親に起こりました。六人の新小学生たちの変化を目の当たりにし、親たちの話を聞いて転校を決意します。そして、家の前の地域の学校に通い始めてすぐ、奇跡が起こったのです。 

養護学校では立ち歩くか、奇声を発するだけ。他人の行動や所属集団への関心などは、 ほとんどみかけられないと判断されていました。それが、まるで急に憑物がついた?(落 ちた?)かのように、突然生まれてはじめて筆をもって字を書き、絵を描いたのです。

第Ⅲ章を除く扉裏の絵がその一部です。とりわけ画用紙いっぱいに描かれた子どもは、 彼自身のように生き生きと誇り高く輝いています。

 転校。それは、親にとってはこれまでの常識を覆す「非日常」的決断でした。そして多分、彼にとってはきっと新鮮で魅力的な「遊び」だったのだと思います。

専門家のルールには当てはまらないこと

 非日常と遊び。 

そこには、現代人が自然治癒力を再発見できるチャンスがたくさんひそんでいます。しかし、常識的な専門家が指導する科学的な発達指導に、そんな場は想定されていません。発達は「一定の法則に従い、順序だって行われる」とされ、 「実現可能な目標設定を行い、正しいルールに則り学習を日々積み重ねる」ことが重視されます。 ところが人間の育ちには、そんなルールに当てはまらないことがよくあります。

(エピローグだけは、HPで全公開しています)

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