自分が燃え尽き症候群になったときのことと、そのとき恩人からもらった大切な言葉
自分は25歳のときに「雀荘の開業資金を稼ぐ」という目的で上京した。そしてそれを達成したのが28歳の春だった。
この3年間はあっという間…ということは全く無く、自分の人生でもかなり濃度が濃い期間だったと思う。今思い返しても3年とはとても思えないくらい長く感じた。
その一番の理由は「麻雀のキツさ」だったんだと思う。
麻雀で結果を残し続けるということは本当に大変で、長期で不調を引くこともある。
2か月毎日麻雀を打っていてロクに勝ちを増やせず
「ただ、今までが好調だっただけなのかな…俺はもう運に見放されたのか…」
といったことを考えたこともあった。今にして思えば愚かな悩みだが、2か月間もの期間、毎日不調を引くと思い悩むこともある。
それでも店で麻雀を打つときは正着を打つことだけを心掛け、それが終わったら家でその日の麻雀のミスを洗い出す。そして唯一の休みの日はセットで何十万という額が動く麻雀を打つ。
そんな濃い日々を毎日繰り返し、28歳のときに自分が決めていた「独立資金を稼ぐ」という目標を達成したとき、自分が感じたのは達成感ではなかった。
そこにあったのはただの空虚だった。
「もうこれで終わったんだ」
まずそんな気持ちが訪れた。目標を達成したとき、喜びよりもそんな感情の方が遥かに大きかったのを覚えている。
そしてその気持ちは長い時間が経っても変わることは無かった。ずっと目標にしてきたことを達成したのに、いつまで経ってもプラスの気持ちは沸いてこない。
自分はこれからどこに向かえばいいのだろう…雀荘の開業のためにやっていたはずなのに、心は全く前を向かない。
ここまでの道のりが長すぎて、力は全て使い果たした。次のゴールを目指す力も沸いてこない。
雀荘の準備も手がつかず、空虚な日々を送る中で自分の戦術本のコラムの中に、自分が開業資金を貯めるという目標を達成した瞬間のことを書くことが決まった。
自分の目標を達成したシーン、自分はそのシーンに
「これで全て終わった」
といったような表現を使った。
これは正直に自分が感じたことで、いうなれば達成した瞬間に全てを失ったような、そんな気持ちをそのまま込めた。
そしてこれを編集長のもとに送り、校正されたものが返ってくる。
原稿を読み返していて思ったのだが、編集長はほとんど自分の文章を弄らない。漫画原作をいくつも作り、数多くの本を手掛けた編集長からすれば、自分の表現なんて変えるべきところばかりの拙いものだろう。それでもほとんど手を加えないのは「筆者の表現を大事にしたい」という彼なりのプロ意識なのだと自分は思っている。
そんな編集長なのだが、一つだけ変えていた表現があった。それが先に挙げた
「これで全て終わった」
という表現だった。
そこには終わったという表現の代わりに、こう書かれていた。
「これで一区切り」
その表現が、当時の自分の心にすごく響いた。
長い間目標にしていたことを達成したとき、これで全て終わったと思っていた。
でもそうではなく、これは一つの区切り、次に繋がるためのステップの一つなんだと。
その言葉は目標を失い、未来を見失っていた自分への編集長からのエールにも思えた。
あとで編集長にその話をしたら「いやいや、エールとかでは全然ないですよ、作品の都合上変えただけです」と笑っていたけれど
それでもあの瞬間、自分はあの言葉に救われた。
現在、自分は雀荘の経営者になった。経営者として新しく決めた夢や目標を達成したとき、必ず「一区切り」という言葉を心の中で呟く。そのとき、昔のように空虚な気持ちに襲われることはない。
そして恩人からもらった大切なこの言葉の後ろに、自分の言葉を乗せる。
これで一区切りだ
まだ終わってない
さて、次はどんな夢を見よう
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