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ソムリエ・ワインエキスパート試験【#9 ワインの歴史②】紀元後

※この記事は「ワインチャンのワインラジオ」の台本です。「台本のみ」、「音声のみ」の内容もありますのでご了承ください。本編が気になる方は、ぜひstand.fmにて、下記ラジオをご清聴くださいませ。

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はじめに

こんにちは。ワインエキスパートのワインチャンです。

今回は紀元元年以降の歴史、ワインの広がりについてお話していきます。

話に入る前にここでひとつ、ソムリエ試験を受けるにあたり、朗報です!

試験内容として、ソムリエ教本に載っている歴史の年号は覚えなければいけませんが、2021年度、昨年度の傾向としては、歴史の年号が問われるような問題はガクッと少なくなったようです。また生産量や栽培面積といった単に数字が問われるような、単純な暗記問題の数も減ったそうです。

私も一次試験、二回受けましたが、肌感としても、年号や栽培面積の問題はほとんど出題されなかった記憶があります。CBT方式なのでもちろん人によっては想像よりも多く出題されたかもしれませんし、2022年も同様に数字が問われる問題が少ないかどうかは定かではありません。ただ、細かいところまで何としてでも数字、年号を暗記しなければならない、というように考える必要はないのかなと思いました。大事な年号や数字は何度も出てきて自然と覚えますので、大丈夫です!今回お話ししていくような全体の流れをつかんでおくことで理解の定着をはかることが、より大切なのかなと思います!

ワインチャン

ワインの歴史(紀元後)

それでは、中世から始めていきます。
伝統的な西洋史の時代区分における中世とは、一般的に5C~15C、西ローマ帝国滅亡(476年)~東ローマ帝国滅亡(1453年)頃のことです。

中世のワイン文化を支えたのは修道院です。フランス・イタリア・ドイツなど中世の知識と技術、権力を独占していたローマ・カトリック教会の修道院において、徐々に高品質なワインが造られるようになりました。この時代のワインは信仰・ミサのため、また、薬用・薬替わりの役割が中心でした。

中世末期には、ワインが貴族から農民レベルへ普及し、ワインを飲む習慣が根付きました。ワインが食事の一部であるという考え方は、この中世末期頃から現在まで引き継がれています。16Cにはイタリアで、ソムリエの先駆けと称される、ローマ教皇のワイン担当者(サンテ・ランチェリオ)の存在が言及されています。また、16C~17Cにかけてはガラス瓶とコルク栓も開発され、瓶内熟成の考え方も広まり始めました。

16C半ば(1550年代)ニューワールドのワイン生産国の登場です!

チリ・アルゼンチンのワイン造りの歴史はこのころから始まります。アメリカ大陸にはワイン用ブドウ品種、ヴィティス・ヴィニフェラは自生しておらず、コロンブスによるアメリカ大陸発見以降、キリスト教の伝道師によって、スペインからヴィティス・ヴィニフェラがもたらされたとされています。その品種はスペインのパロミナ・ネグラがカナリア諸島を経てリスタン・プリエトとよばれ、チリではパイス、アルゼンチンではクリオジャ、また北米ではミッションとして伝わりました。

17世紀の大航海時代には、南アフリカにおいてもワイン産業が始まります。南アフリカのケープタウンはオランダからインドへの食品供給を行う船の寄港地でした。南アフリカは、ワインが始めて造られた年月日が残されている珍しい場所で、ケープの初代総督ヤン・ファン・リーベック1655年にブドウ栽培を開始、4年後の1659年2月2日に『ケープのブドウから、最初のワインが造られた』ことを日記に記録しています。また、この17C頃、宗教迫害を受けたフランス人、主にロワール地方の人々が入植してきます。彼らのおかげでワイン生産がより活発になり、ヴァンドコンスタンスとよばれる甘口ワインも誕生しました。ヴァンドコンスタンスはヨーロッパの皇帝や貴族の間で人気を博し、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンやナポレオンに愛されたワインとして有名になりました。

 現在、2月2日は『南アフリカワインの日』になっています!

18世紀、アメリカ・オーストラリアでもワイン造りがはじまりました。

当時アメリカ大陸に自生していたブドウはラブルスカ系がほとんどで高品質ワインの生産には適していませんでした。アメリカではチリ・アルゼンチンに遅れること200年、1769年にフランシスコ修道会によって、メキシコから現在のカリフォルニア州にかけて、スペイン原産のブドウ(ミッション)がもたらされたことが始まりです。

このミッションという名前、フランシスコ修道会など、スペインのカトリック教会の宣教活動と伝道所などの施設の総称をカリフォルニアミッション、またはSpanish missions in Californiaと呼ぶので、その宗教的な意味も持ち合わせています。

同じく18世紀のオーストラリア。オーストラリアのワイン産業の起源はニューサウスウェールズ州(NSW州)にあります。1788年イギリス海軍のアーサーフィリップ大佐NSW州シドニー周辺にブドウ樹を植え、19Cには現在のNSW州の銘醸地ハンターヴァレーにもブドウ樹が植えられたとされています。同時期にタスマニア州、西オーストラリア州もブドウ樹が植えられ、日本で人気の高いマーガレットリヴァーなどでもワイン造りが始まりました。

19Cには、南オーストラリア州(SA州)にも最初の移民が入植します。SA州は現在ブドウ栽培面積・ワイン生産量共にトップを占める主要な産地です。ドイツ系移民が多かったこともあり、リースリングが植樹され、現在でも銘醸地が多く存在しています。また、現存する中で、世界で最も古いシラーズのブドウ樹があるのもSA州です。ドイツ移民の入植直後の1843年、バロッサヴァレーへシラーズが植えられたとされています。

近世

ワインの歴史は、ブドウの病気や害虫による被害を乗り越えてきました。

1855年パリ万博でボルドーメドックの格付けが行われた直後、19C後半には、ブドウの三大病虫害による被害が世界中で蔓延します。三大病虫害とは、カビ菌によるべと病、うどん粉病、またフィロキセラという北米原産の昆虫のことです。特にフィロキセラは、1863年アメリカからヨーロッパ各地に伝搬し、甚大な被害をもたらしました。

その後、1900年代、徐々に各地でワインの品質が向上します。1935年にはフランスでワイン法である原産地統制呼称(AOC)法が制定されます。これにより偽物のワインの規制や市場の安定化が促進されました。1960年代にはほぼ現在のワイン造りの形態が定着していたといわれています。

イタリアでも1970年代に急速に近代化が進み、現在ではイタリアワインルネッサンスと称されています。最先端の栽培方法や近代的な醸造技術による、法律や基準の枠にとらわれない自由な発想で造られる「スーパータスカン」と呼ばれるワインも誕生しました。 

またアメリカでは1976年( 独立・建国から200年)フランスとカリフォルニアの銘醸ワインを比較する、のちに「パリスの審判」とよばれるイベントが開催されます。赤はバルドー種、白はシャルドネ種でのブラインドテイスティングでしたが、赤白共にカリフォルニアワインがボルドーやブルゴーニュを抑えて優勝し、カリフォルニアワインの品質の高さが国際的に認知されました。

ニュージーランドワインが世界的に注目を集めはじめたのもこの頃です。1980年代後半にはソーヴィニョン・ブラン、その10年後の1990年代後半にはピノ・ノワールが登場しました。ここ30~40年のつい最近のことにです。

1990年以降、自然や環境に優しいサステイナブルな栽培法へ、生産者も消費者も、意識が広がりつつあります。

おわりに

以上、中世から近世、近代までをかなりかいつまんでお話ししました。日本ワインについてもこれから触れたいですし、各国まだまだ歴史は深いです。国単位でどのようにブドウ栽培・ワイン醸造が広がりを見せてきたのか、おおまかに理解することができていればOKです。

次回はワイン概論の内容に戻ります。前々回にお酒としてのワインについてお話をしました。ここ2回はそのお酒としてのワインに関連するインプット、ワインの歴史についてお話してきました。ワインとブドウは、完全に切り離すことはできませんが、その視点を切り分けて考えてみようという話でしたね。次回は果実としてのブドウ、その特徴や栽培サイクルについてお話していきます。

それではこれからも、こつこつ一緒に頑張っていきましょう。
おつかれさまです!

※この記事は「ワインチャンのワインラジオ」の台本です。「台本のみ」、「音声のみ」の内容もありますのでご了承ください。本編が気になる方は、ぜひstand.fmにて、下記ラジオをご清聴くださいませ。

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