ノー残業は「働き方改革」ではない

働き方改革から、どんな企業も個人も逃れられない。馬車馬のように働いたバブル期を抜け「あれ?なんか世界的に見ても効率悪過ぎちゃう?なんでこんな無駄に働いてるん??」と気付いちゃった私たち。日本も結構豊かになったし、物質主義は遠く昔の話。好きな人たちと小さなコミュニティに属し、好きなことして好きなように働いて、少ない投資で小さな幸せがもらえたらそれでいい。なんていう人が増えているように思います。

どの企業も個人もこの流れはきっと感じているでしょうし、何かしらアクションを求められているかと思います。「え!定時で帰るの?超ホワイト(企業)じゃん!」とか「え!そんなに残業するんすか!わ、ブラックすね」とか、かく言う私も冗談混じりにサラリーマン時代には言ってましたが、よくよく考えてみたら「ブラック」とか「ホワイト」と言う定義もいまいちわからないし、それこそ今、ここまで良くも悪くも「人それぞれな社会」になってる以上、「一日8時間、週5日がベストバランスです!」というような画一的な基準なんて厳密には設定不可能、という結論に、個人的に至りました。だって、超ホワイトを目指して血眼になってる会社の管理部が「休め!帰れ!記録出せ!」とパワハラまがいの脅しをかけて自由に働きたい社員のモチベーションを下げてることだってありうるわけですよ。これではお互いが不幸です。

すなわち、働き方改革の本筋って、一定の保証、安全ネットはあった上で、本人がどう働きたいかによって選択肢を与えられる社会にし、なるべく効率よく都合に合わせて働いてお金もらう人と労働力を対価としてもらう人のギャップを無くし、お互い不幸になってしまう自体は避けたいですよね、ということなのでは、と勝手に解釈しています。(まあ、きっと実際うまくいかないことも多々ありますが、基本的な理想はそうなのだと思っています。)

残業は本当に「悪」なのか

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会社員として働いていた時はとかく、「今日も残業だ!」とか「土日仕事だコラ!」とか、いわゆる「1日8時間労働、週5日」から外れていると「アタシは人より働いている=ノー残業でアフター5楽しんでる人ウラヤマ」みたいな心理が少なからず働きました。でも、本当にそうでしょうか。

ぶっちゃけ、私忙しいの好きなタイプなんで、残業そんなに嫌じゃないんです。(つか数年ノー残業の会社にいましたが合わなくて辞めたほどです。)むしろ、仕事中めっちゃノってきて「ウヒョー!!」ってなってる、スポーツ選手で言うところの「ゾーン入ってる」みたいな時に「いや、ここから先、残業になるんでやめてもらえます?」って言われたら嫌です。そして、じゃあ、次の日朝9時から「ウヒョー!!」の続きにできるかって言ったら、なりません。(なんならウヒョー!!状態から帰宅しても気になって夜眠れない…みたいな。)さらに、出社してデスクの前に座っている間だけが仕事中とも、タイムカードに記録された時間だけが仕事中とも言い切れません。常にネタを探しますし、取引先の方とご飯行っても、家族と話してても「へぇ!それこのプロジェクトで活かせるかも!」と考え始めて、気づけば休日そればっかり考えてる、みたいなこともあります。勤務時間を超えて働かせるのは「悪」ですが、限度はあれど、勤務時間を超えて働くこと自体が「悪」とは言い切れないと思っています。

就業時間は抑止力としてやっぱ必要

とは言え、過労死や追い込まれて自殺、なんて悲しいことも事実起こっています。だから就業時間は最低限の抑止力として、規則の中に必要だとは思います。私も忙しいの好きとか言いながら、就業時間という一定のルールが全くなかったら、限界を超えて働き過ぎてしまい、心身ともにヤバイ状況に陥ってしまうでしょう。ですがこれまでのどの会社も週休二日制だったので少なくとも土日前の金曜になるべく終わらせようと努力していました。

「定時帰宅じゃなきゃいや!」とは言わないタイプの人の方が「こんな風に働きたい」と言う基準がない故に危険なのだと思います。企業は標準化して効率を上げ、さらに成長することが基本命題です。コンプライアンスも厳しい昨今、昭和サラリーマンのように24時間戦い抜く者がえらい時代は終わりました。ですが、それでも成長は迫られます。その結果として、残業がパワハラ気味になるのが問題の一つなのだと思います。上司は自分の管理能力を問われたくはないですし、部下に業務を最後まで遂行させるのが仕事ですから、終わってないなら残ってでも仕上げろ、とせざると得ません。そしてさらに厄介なのが、上司に言われたりしていないのに、なんだか空気を読んだ結果(責任感も大いにあるとは思いますが)、仕事を残して帰ることができない、ということもあるでしょう。ここでもし就業時間が無かったら、それはもう地獄絵図なのではないでしょうか(まあ就業時間規定はあっても守られず過労や自殺に追い込まれてしまうパターンもあり、悲しい限りではあります)。規定の時間があるからこそ守られているものも大いにあると思います。それがあるから残業を断る権利も本来はあるのです。

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で、どう働きたいの?個人の判断力が問われる

最後に、働き方が選べるいい時代になってきたなと思うと同時に、個人の判断力も問われるな、と思っています。会社というシステムは働き方の一つに過ぎず、その中でさえ色々と選べるようになっていますし、フリーランサーという立場へのツールもたくさん出始めています。それだけに「自分が本当にどうなりたいか」「何がしたいのか」と同じく、「どう働きたいか」ということを明確にビジョンとして持っていないといけない時代になっていると思います。ヤンは残念ながら「サラリーマンに戻ることは今後ない」ということ以外は決めていませんし、絶賛ギター弾きながら暗中模索中です。

ですが、来年夏にMBAを卒業するまでには将来を見据えた地図をアウトラインだけでも描いていたいと思っています。

皆さんはどう働きたいですか?


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