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子どもたちに向ける眼差し


教育現場で子どもたちが指導者の言葉に従わないことがある、とたまに聞きますが、それには必ず理由があります、必ずです。その理由を理解し、共感することが教育者としての責務ではないでしょうか。単に子どもたちを非難するのではなく、その背景にある原因に思いを馳せることが大切。子どもたちはどんな人になりたいのかなと大人は問うけれど、子どもたちは今、多種多様な大人のロールモデルが居ない中(要するにつまらん大人ばかりに囲まれて)答えられるはずもない。

私自身、学校に末っ子と通っていて学校文化に対していろいろと悩ましいと思うことがありますが、大人が子どもたちと共に成長していく姿勢を持つことが大事だと感じているので、お互い学び合いなんだと思っています。分断ではなく共により良い学びの場を目指していけたらという気持ちで自分のペースで関わっています。

地域の大人として、人生の少し先輩だけどフラットに寄り添いたい。話を聞く時は、出来る限り自分のジャッジを手放し、子どもたちの現状を否定的に見る事なく、彼らの価値観や内側にある光を尊重することが大切だと思いながら子どもたちの話に耳を傾けています。


一方で、教師が余裕を失い、子どもたちに向ける眼差しが否定的になっていることが心配。教師が多忙でストレスを抱えていると、そのストレスは子どもたちに向かってしまう。大人が我慢すればするほど、そのストレスの矛先が弱い方、つまり子どもたちに向いてしまうのは世の常。

教育現場でのストレスを減らすためには、教師が安心して働ける環境を整えることが必要です。例えば、定期的に子どもたちと話し合える時間や子どもたちの気持ちを聞く機会を増やすことで、彼らの本音が聴こえると思いますし、教師同士のサポート体制を強化したり、国家が予算を増やし、教師と保護者、地域の人たちが協働して共に教育の現場をより良くしていくために、諦めることなく対話することが大切だと思います。そしてこれが1番重要で、教師が昼休憩を取ること。コーヒーブレイクタイムを持つこと。

大人たちは子どもたちと共に成長するプロセスにいるんです。教師も保護者も余裕を持ち、子どもたちに対して肯定的な眼差しを向けることができれば、教育現場も社会もより良い方向に向かうと思います。

 「学校にはもっと隙間の時間と空間が必要です。やってもやらなくてもいい、役に立たなくてもいい、できなくても大丈夫、ゆっくり待つことができる、仲間がいるから安心して楽しめるというように。また、おとなが楽しくなければ、子どもが楽しいわけがない。おとなが自由でなければ、子どもも自由にはなれない」

生き合う力を育む教育を求めて
久保敬さん

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