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[第3話]すべてを吐き出してしまえ

吐くために食べる

きっかけは些細なことだった気がする。TVでそんなシーンを見たとか、道端で酔っ払いの嘔吐物を見たとか。(そうか、苦しかったら吐いちゃえばいいんだ)と思った。でも、こみ上げる吐き気に促されて吐くのとは違って、喉の奥まで指を突っ込んで、一度飲み込んだものをわざわざ吐き出すのは思っていたほど楽ではなかった。日ごろ排泄しているトイレに向かい合うのは抵抗があったし、吐き出すことですっきりするものの、胃酸が上がってきて気分が悪くなり、吐き出した後は疲労を感じてしばらく横になることも多かった。それなのに、食べるー吐くのサイクルは繰り返され、回数も増えていった。はじめは食べてしまったから吐いていたのに、いつの間にか吐くために食べるようになっていた。

苦しさと引き換えに得たもの

何がしたかったのか、今でもよく分からない。ただ食べている間(感覚的には飲み込む、詰め込むの方が近い)は、頭の中は空っぽで何も考えず、心も全く動かず、”無”になっていた。死にたくはないけど消えてしまいたい、そんなことを時々思っていた私にとって、その”無”の感覚が心地よかったのかもしれない。食べているものの味は分からない。そうあの合宿で無理矢理ご飯を詰め込んだ時みたいに、まったく味がしなかった。いや、その時の私は味わってたべることができなかった。知っている誰かが私のために作ったものを、吐き出す前提で食べるのは心が痛い。その点、既製品は吐く罪悪感を感じにくくしてくれた。作り手の見えない食べ物を詰め込めるだけ詰め込んで、罪悪感や自己嫌悪感と一緒にすべて吐き出した。張り詰めた苦しさから一気に解放される。太りたくない気持ちは確かにあったけれど、それだけが理由で吐き出しているわけではなかった。

見過ごされるSOS

すべては部活の燃えつき症候群からの受験勉強のストレス! であったのならば、私の摂食障害は18歳の夏に終わっていたはずだった。結局、学校推薦をもらい、学年で一番か二番に進路が決まった私は、年明けに受験を控える同級生たちからしてみれば最もストレスのない人だったに違いない。それでも過食嘔吐は治まることなく、心も体も疲弊して状態は悪化していた。こみ上げてくる胃酸で食道が荒れ、手には吐きだこができた。虫歯ができて歯医者に行ったら、歯の表面が溶けてきていると言われた。甘いものを食べ過ぎていないかな?と優しく聞かれたが、私には胃酸が原因であることが分かっていた。それを見透かされないように適当な嘘をついた。

たぶん父親は何も気が付いていなかった。日ごろ顔を合わせることがあまりないので不思議でもない。しかし母親はもう何か起きていることに気が付いていた。直接は何も尋ねてこないけれど、様子をうかがわれているのがよく分かった。聞いてくれれば答えられるのに、なんで聞いてくれないの?と思いながら、コンビニでまた味のしない詰め込み用の食べ物を買いにでかける。進路が決まった後の余裕ある時間を、そんなことに使っていた。

〜続く〜


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