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DMTで見えるものとは

一般的に言われている事として、松果体は高次のものと繋がるものとして認識されている。

基本的なことを言うなら、松果体を開く事が出来れば脳内でDMTという物が分泌され、スピリチュアルな体験をする事が出来ると言う物である。

DMTという成分は、自然界に多くある。体内に取り込む事により、貴重な幻覚を見る事が出来、実際にこの研究が行われた事もある。

私はこのDMTの体験をした事があるが、興味本意ではなく、真剣に、だいぶ昔に遡る、20年ほど前だ。

個人的に貴重な体験だったので見た物を共有したい。

このDMTという物なのだが、多く知られている物ではアワヤスカなど植物のから採取される。インディアンの扱うペヨーテなどの他にも様々な植物がこの成分を生成する、菌類、キノコなどもそうなのだが、苔類などもそういう物を含むそうだ、

私が扱ったものが何だったのかはあまりにも遠い記憶なので覚えてはいないが、インディアン等が扱っていたようではある。

幻覚作用と言えば聞こえが悪いが、依存性もないのも確か、現に私はその一度きりの体験、常習性がないのは理解しているつもりだ。

その時感じた事としてまず肉体の拒絶反応だ、下痢はするし、吐きもするし、まぁ肉体というフィールドがそれに耐えきれないのだろうなと感じた。

しかし不思議な事に肉体と精神が切り離された感覚がある、五感というものがそもそも全てこの次元と切り離されている、視界には完全に異質なものが映り、手足の感覚もなく、ぼやけた方向感覚、違う感覚の聴覚、匂いはあまり覚えていない、完全に意識と呼ぶには程遠いフィールドに切り替わる。

よくこの状態を観察し、感覚の差を辿ったのを覚えている、それにもかかわらず、心の状態は安定し、満たされるという言葉すら生ぬるい感覚、居心地の良さと、安心感と、その状態の中に漂う自分の感覚が、ある周波数の中に存在していることを私自身覚えている。

現実社会の中でなれる感覚ではない、しかし本来がそれである事もその時感じた。

見た物を精査していきたい

まずDMT体験においてわかっていることは、

その人のトラウマになっているものが現れるという事、実際精神的依存を持つ疾患に対し、これを扱うこともある。

潜在意識下に潜む心の傷を浮き彫りにするため、マザーと呼ばれる存在が現れるという話もあり、これは実際よく知られているようだ。

動物霊などももでてくる事も、守護している存在、天使などの報告もある、不思議なもので、天使と言っても柔らかなイメージのそれではなく、旧約聖書に現れる天使のように禍々しい姿で現れることの方が多いようだ。

これは一般的な事例であり、もう一つの重要な要素が幾何学だ、神聖幾何学と呼ばれる物を見る事例はかなり多い、フラワーオブライフだとか、メタトロンキューブだとかたくさん種類があるようだが、おそらく見た人の周波数や、精神状態に左右する物だと考えられている。

インターネットという物が普及してたくさんの情報を得る事ができたものの、未だに見つけきれていない物がある、自分が見たもののような事例や、情報がどこにもない。みんな違う物を見ている。

そもそもあれが何なのかわからなかった、当時は単純に真理として捉えていたが、その姿形構造も何もわからなかった。

似たような情報さえあればあれが何なのか考える事も出来るが、それがない。


時がすぎ、量子力学を知り、ある学者のことを知った、ナシーム・ハラメインという人物だ、彼はwiki公認ではない、まぁ仕方ない、学会から嫌われ、異端児として、受け入れざる立場だからだ。

面白い事に彼の研究はトーラスというエネルギーが全ての根幹にあるというもの、

胡散臭くもあるが面白いエピソードとしてはあるスピリチュアル的体験を経てそのことを知ったという。

バックミンフラーのベクトル平衡体が可変可能なエネルギーの構造である事にヒントを得て、そのスピリチュアル体験によりトーラスというもののつながりがある事に気づいたと言われる。

彼は独自で研究を重ね、トーラスというエネルギーの偉大さを証明したが学会はあまり当てにしていないようだが、いつの時代も最先端とはそういうものだ、電子の持つネルギー密度は宇宙の密度より濃く、プロトンに至ってはブラックホールの表面にあるエネルギーの密度と同じ数値を表している。

これ等は彼による研究の賜物だ、初めはそれが何を意味するものかは、わからなかった、妹とこの神秘性について、話し合う事も少なくはなかった。

ある時彼女が言った、私が見たものの正体、あれは、トーラスでは無いのかと。

私はもちろんその真理を思い出しながら考えた、

一点から拡散された、蛍光色のエネルギーは、真逆の位置で収束しスタート地点に戻る。

何故こんな構造なのかわからなかったが、トーラスをイメージすると納得がいった。

何故今頃になって、そう思った、その時に全てに納得した。

結局DMT体験により他の人達が見ているものは、全てトーラスというなの真理の持つ構造の、ホログラムだったのだと、別に自分の周波数がどうのというつもりもないが、その禍々しいほどに、美しい光景は、そのことを裏付けるには充分なほどの存在感があった。

見えるものは真理又は、そのエネルギーから得られる幾何学、段階的な人の周波数により見える光景の違い、捉えるべき精神的ステップだったりと、その人それぞれに見合った物が、映し出される。

精神性を上げるごとにまた見えてくるものも変わっていくのだろうということがわかった。

しかしこれは単純に松果体を開くこととはまた違う、それのみでは危険であることが予測される、それはDMTを分泌出来ずに開いた場合に起こりうる危険性。

私が本来伝えたいのはここ、みんな、やたらめったらそれさえ開けばという感覚があるようだが、この危険性は精神性がどれだけ高かろうが、拭えない物がある。

又続きは今度。













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