【雑記】異世界おじさんでおじさんにわからされる【今更】

●異世界以外が面白い


最新巻発売&アニメ版無事(?)完結おめでとうございますってな訳で雑語り。

この漫画はとにかく『おじさん』がかわいい。(↑の女体化じゃなくて素のおじさんのほう)

全登場キャラの中でも『おじさん』が一番かわいい。ヒロインのお色気シーンよりもただのおっさんが一喜一憂しているところのほうが見てて嬉しくなってくるという本当に変な漫画であります。

そんな感じで自分にとってこの漫画は「17年間のブランクに戸惑いつつもなんだかんだで現代を謳歌する『おじさん』を愛でるための作品」であるわけなんですが、そんな中で凄いと思うのは「2000年以降の時代の変化をちゃんと取り扱っている」ところで、そんな作品って今まで見たことなかった。

『おじさん』が“回る携帯”を欲しがるシーンがめっちゃかわいくて好きなんだけど、この「ガラケーってかっこよかったよね」という視点ってなかなか出てこないと思うのです。

作者が今でもそう思えているのかはわからないけど「ガラケーがかっこいい」っていう感覚って普通だったらもう、そう思えていたこと自体を思い出せないレベルの感覚じゃないですか?少なくとも僕はそうです。

“価値観の変化”って言うと大げさかもしれないけど、たった十年そこらで僕らの感性ってここまで変わっちゃたんだなと考えると、僕は割と本気でゾッとしてきます。

何かのパロディだという訳でもなく現実の出来事を、それもここ十数年というかなり短いスパンで起こったことをそのまま持ってきたというのは本当に凄いと思うのです。しかもちょっとしたギャグとしてしれっと使っちゃってるし。

今までいろんな作品でさんざん使い古されてきたはずの性転換ネタも、バ美肉VTuberに引っ掛けると新しく見えちゃうもんだから面白い。

現実と作品世界とのタイムラグの少なさと独特の視点、そして「これは一体誰に刺ささってるんだろう?」というネタや粗削り感も含めていろんな意味で「これはなかなか普通の商業誌からは出てこないよなあ」なんて思うわけでございます。


●おじさんにわからされる


『おじさん』の生き方を見てると不思議と勇気を貰えませんか?僕だけですか?そうですか。『おじさん』が初めて魔法を唱えるシーンがめちゃくちゃかっこいいじゃないですか。僕は普通に泣きました。気持ち悪いですね。

その後、酷い仕打ちを受けたのにちゃんと人助けもする『おじさん』えらい。そして逆にまた怖がられる『おじさん』かわいい。最終的にはギャグシーンなんだけど、でもここにこそ作品の一貫したテーマや希望を感じる訳でございます。

「何か特別な力を得ても平凡を求めて、正義はないけど誠実ではあろうとする」

こういった主人公は今やありふれた設定なんだろうけども、その中でも『異世界おじさん』の『おじさん』の生き方は、現実の“俺ら”との「地続き感」が深くて、僕はそれが逆に新しく見えます。

「要領が悪くて、なんとなく孤独で、夢はなくて、ネット世代なのに何故かネットでもまともに人と繋がれなくて、漫画・アニメ・ゲームを生きがいにしてなんとか生き延びる。」

・・・なんか書いてて自分自身心が痛くなってきますが、今やかなり多くの人々が実はこうやって生きているんじゃないかと僕は思っています。「でもこれってネガティブなだけの話じゃないよな」とも思っていて、僕らだって作中の『おじさん』ほどじゃないにしろ、漫画・アニメ・ゲームが生きがいになっていたり、それで涙を流すくらいには感動したり熱くなったりするのは事実なわけです。

そこのところ、『異世界おじさん』では現実の出来事もそうですが、実在するゲームやアニメなどの名前をそのまま使っているところが秀逸だったと思うんです。

「ゲームが楽しい」「漫画が楽しい」「アニメが楽しい」

「異世界」とか「魔法」とか「美少女たちにモテモテ」とかそういうところじゃなくて、たとえそんなものが無くても世の中は楽しい。

逆を言えば「魔法」が使えたって異世界は異世界なりに過酷だし、自分自身の生き方を180度変えるなんてことはそう簡単にできるはずがない。

『おじさん』にとっての異世界は現実から逃避する為の場所ではなく、第二の人生というわけでもなかった。逆に過酷な異世界を生き延びて、現実へ帰る為の心の支えこそがゲームだった。

あれ?これってもはや全ての異世界転生モノに対する最終回答であり最終到達点なのでは?ハイ、言いすぎましたねすいません。

でも今ここまで書いていて、ふと気付いた事があります。『おじさん』たちの食事シーンって何故か妙に妙に心に残ってるんですよ。

「コーヒーが美味しい」「スーパーの高い刺し盛が美味しい」「ラーメンがうまい」「アイス最高」「ピザが美味しい」「お菓子美味しい」「ネルでコーヒー淹れたら超美味しい」

考えてみると『おじさん』たちにとっての一番の「幸せ」ってすべて僕らが一番身近に感じることができる「幸せ」だったりする。地味なシーンのはずなのに何か言い表せない感動がある理由はそこだったんですよ。

作中で『おじさん』の甥っ子の『たかふみ』は辛い現実から逃避する為に異世界の冒険譚を聞きたがるんだけども、そんな『たかふみ』の一番穏やかで幸せそうな場面もやっぱり食事シーンなんですよね。

だから読者の僕らも「いろいろあるけど現実のこの世界は死んでいる暇も無いくらいに楽しいことに溢れている」ということを自然と思い出せる。『おじさん』のようにたとえ損をしていたとしても「誠実に生きていれば何か良いことがあるかもしれない」と思えてくる。

二十年前のゲームで何か新しい発見をするかもしれないわけですよ(笑)

繰り返しになりますが、『異世界おじさん』は異世界で無双するだけの話じゃなくて、実は僕らが忘れがちな「日常の幸せを拾っていく」というテーマがあるからこそ面白くて楽しくて、だからこそここまでのヒット作になったのだろうなと勝手ながら思うわけでございます。

僕としては、せっかくネットで無料で見られるコンテンツなのにここまでドハマりしてしまって、コミックスを買わなくちゃいけない作品の一つになってしまったという事でちょっと複雑な気持ちにもなったり。まあこれもうれしい悲鳴であって、幸せなことなんでしょうね。

オワリ。

・余談①

ニコニコで見るのはやっぱいいよね。おじさんが最初にパンを食べてる場面で「クチャクチャ食べているのは長年意識不明だった為に顎が弱くなっているから」っていうのはコメントで解説がなければ気が付かなかった。(小学生並の読解力)

視聴者が情報を補強したり訂正したりするという文化はYOUTUBEにもあるにはあるけどやっぱりニコニコの方が強いよね。いろんな人が言っているけど、ニコニコはYOUTUBEのように「配信者と視聴者」が「アイドルとファン」のような関係になりきらないところが懐の深さだよね。

・余談②

僕にとってガラケーはこれからもノスタルジーの対象にならない気がするんだけどこれって自分だけ?

ゲームとかおもちゃって子供のころ遊んだ物はノスタルジーや当時のときめきを思い出せるけど、ガラケーは同じように子供のころ触ってるはずなのにノスタルジーを感じないどころかときめいていた事すら思い出せないんですよね。

これはただの個人差なのか、はたまた世代差なのか、単純な経過年数によるものなのか…探偵の皆さん調査していただけませんか?どうかよろしくお願いします。

・余談③

ここまで熱く語っといてなんだけど、自分はこの漫画、数年前から知ってはいて面白いなあとは思っていたんだけど数話だけ読んで実はそっからアニメが始まるまでスルーしちゃってました。

その当時に読んだ無料公開の話がたまたま割と普通の異世界バトルラブコメをやっていたっていうのと、漫画自体が当たり前だけどWEB向けの作りだなあと思ったのもあって「これは別に紙で読む必要はないか」と思っちゃってたんですよね…。いや~恥ずかしい。

だけどいざ去年からのアニメ版と、アニメに合わせて順次無料公開される原作を追っていったらまぁ~すんごく面白いこと面白いこと。

アニメの延期が続いたのもあって、もう我慢できず気付いた時には手元に紙で全巻揃っていました。(購入時衝動的に全巻棚からごっそり取ってレジに持って行った。その時の本屋の店員さんなんかすいませんでした)

アニメは演出とかテンポによって原作よりも面白くなってる部分も多くて楽しかったよね。

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