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ドクメンタの小さな奇跡

 「ワールドカップは四年に一度、信州の諏訪市で開催される御柱祭は六年に一度だ。一年に一度やってくるのは誕生日だが、では、五年に一度やってくるイベントは何か。藤間は一戸建てのダイニングテーブルで缶ビールに口をつけながら、架空のクイズを頭の中で出している。『五年に一度のものは何でしょうか。』」
 伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」の短編の一つである「ドクメンタ」の冒頭文であり、まさにこの「ドクメンタ」が、ドイツで五年に一度開催されている現代美術の展覧会のことだが、今作品で舞台となっている「五年に一度」は、免許更新だ。
 主人公である藤間はルーズな性格であり、免許更新のギリギリの最後の日曜日に更新するタイプ。もう一人の登場人物である女性も同様にルーズな性格であり、ギリギリに免許更新に行くタイプ。藤間と一日ズレの誕生日のため、二人は五年後に再び免許センターで遭遇することとなる。二人の共通点はルーズな性格だけでなく、その性格が災いし、同様の悲劇が起きてしまうことだ。これ以上はネタバレになるため避けるが、アイネクライネナハトムジークは仙台が舞台となっており、「ドクメンタ」も仙台市泉区にある宮城県運転免許センターをイメージしていると思われるため、宮城県在住の方は、是非免許更新の待ち時間の際に「ドクメンタ」を読んでいただきたい(2、30分程度で読み終わる。)。

 僕の伊坂幸太郎との出会いは23歳を迎えたばかりの春だ。大学を卒業し、入社1年目に宮城県多賀城市の配属となった。初めに配属された部署では、先輩や上司が厳しくも懇切丁寧に、根気強く仕事を教えてくれた。お陰様でで順調なスタートを切ることができたが、同年度2月に転機が訪れた。他部署に配属となり、また仕事を一から覚える必要があったのだが、仕事を丁寧に教えてくれる先輩や上司はいなく、質問をしようとしても「今忙しいから」の一点張り。仕事が進まずキャパオーバー、仕事中に1、2時間何も手につかないこともザラにあった(今もよくあるが)。中学3年の受験時期に初めて胃を痛めて以降、ストレスで胃痛が酷くなることが定期的にあったが、この頃は胃痛で夜眠れない日が続いた。遂には3月初旬、当直中(当時所属していた部署は、月に1~2回会社に寝泊まることがあった)に胃痛がピークに達し、救急車で運ばれた。「十二指腸潰瘍」の診断、10日間の入院生活を送った。そんな中家族がお見舞いに来た際に、母親から手渡されたものが、伊坂幸太郎の「ガソリン生活」だった(母親が伊坂ファンであることをこの時に知る)。
  昔から国語が苦手で、活字はほぼ学校でのみの接触。小説は1冊読んだことがあるかどうかのレベルで、当時は文学からは程遠い生活を送ってきた。丁度友人が持ってきてくれた「H2」も読み終えてしまったタイミングであり、気乗りはしなかったものの「ガソリン生活」を手に取り読み進めてみた。内容は覚えていないが、「小説ってこんなに気軽に読めるものなんだ! 」と感心したことを覚えている。以降、伊坂作品の8割程度を読了するくらいには伊坂ワールドに魅了され、現在では新作品が出るたびに購読している伊坂ファンだ。 今思えば、オススメしてくれた本が伊坂作品で良かった。

 そんな伊坂ファンである僕にとって、宮城県運転免許センターでの免許更新は立派な聖地巡礼であり、宮城県民のみに許された特権である。その優越感に浸るべく、免許更新の待ち時間に「アイネクライネナハトムジーク」を再読しよう!と免許更新の数か月前から意気込んでいた。しかし免許更新の前日を迎え、アパートの本棚を一生懸命探したのだが、一向に本が見つからない。迷った挙句、渋々Kindleで620円を支払い購入した。
 いよいよ迎えた免許更新。主人公と同様ズボラな自分、誕生日の1か月後ギリギリの日曜日ではないが、有給休暇を取り、前々日の金曜日の免許更新となった。9時頃に宮城県運転免許センターに到着し、入口をバックに、Kindleで購入した「アイネクライネナハトムジーク」の表紙を撮影。やはり電子書籍は味気がないな、と文庫本を失くしてしまったことを後悔。受付を済ませ、待合所の椅子に腰掛け、電子書籍を開く。
 数年前に一度読んでいたが、内容はほぼ忘れていて、新鮮な気持ちで読み進めることができた。周囲の雑音と、小説のリアルな描写により、現実と小説の境目が曖昧になっていく。免許を持つ誰しもが五年に一度訪れる場所。こんなにもありふれた場所で、この小説のような素敵な出会いがあると良いな、と読書に耽ける。
 数分後、ふと辺りを見渡すと、見たことのあるシルエットが目に入った。マスクをしており、確信できなかったためLINEしてみると、こちらに気が付いた。前職場で一緒に働いており、先月久しぶりに飲みに行ったばかりの後輩だった。偶然にも双方金曜日に有給休暇を取得し、免許更新のタイミングが被ったのだが、後輩は、誕生日の1か月前の余裕を持った免許更新だった。「何仕事サボってるんですか」と、社会人2年目とは思えぬ落ち着きを持つ彼と、小説と似た境遇に興奮している自分とのコントラストが、なんだかおかしかった。

 「妻に出ていかれたサラリーマン、声しか知らないあてにこする美容師、元いじめっ子と再会してしまったOL・・・・・・。人生は、いつも楽しいことばかりじゃない。でも、運転免許センターで、リビングで、駐車場で、奇跡は起こる。」(アイネクライネナハトムジーク内容紹介文)
 免許更新前日にKindleで再購入していなければ、あの時に入院していなければ、、、。伊坂幸太郎の沼にハマってしまっている僕は、全てが伏線のように見えて仕方がない。小さな奇跡だが、三連休のスタートダッシュには上出来だ。620円にしては、安すぎやしないか。

 帰路に着き、ラインの通知が鳴る。
 
 後輩「また5年後に免許センターで!」

 ・・・そうか、僕がズボラじゃなければ、自分の約2か月後に誕生日を迎える、律儀で几帳面な後輩と免許更新のタイミングが被らないのか。

 ズボラであることにコンプレックスを抱いている自分にとっては、少し救われるような出来事だった。

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