最近の記事

卓球界に蔓延する過剰なへりくだり?

1.卓球界における過剰なへりくだり かれこれ20年以上卓球を続けているが、練習や試合をする上で、過剰なへりくだりだと感じる瞬間がよくある。  以下では、言葉遣いという観点から、過剰なへりくだりと感じる実例をいくつか挙げる。 (1)カウントをとる際の「〇ー〇『です』」  「ツーフォーです!」の「です!」は何を丁寧にしているのだろうか。  高校生の頃から聞くようになり、最初は真似して言っていたかもしれないが、謎の違和感があるし面倒だしで、途中からはやめた。  先輩に対する敬意

    • 備忘録「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んで

      1.本を手に取った理由  まずはSNSで話題になっていることと、荒木博行さんがvoicyで紹介していることをTwitterにて知った。これからvoicyを聴いてみる予定。  荒木さんのvoicyでの紹介をSNSで知る⇒購読⇒voicyで聴く、というサイクルが定着しそう。  読書の機会はコロナ禍以降多くなったものの、体重が乗っからない時期もあり、その悩みを解決してくれるかもしれないと思ったため購読。  また、著者の三宅さんはほぼ同年代。自分より下の年齢の方が本を執筆されている

      • 備忘録「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」を読んで

        0.この本を手に取った理由  これまで20年以上続けている卓球に抱いている感情は何なのか、それは衝動なのだろうか。また、より偏差値の高い大学に行って、大企業に就職して、結婚して、子どもを産んで、家を構えて、、、という綺麗に思われているレールから逸れてしまっているような気もしている(それで構わないと思っている割合も高い)ので、自分自身が衝動に憑りつかれているのか。また、衝動を見つけることで、より良い人生を歩んでいきたいと思い購入。  また、帯が私の大好きな漫画である「チ。~地

        • 備忘録「体験格差」を読んで

          1.「体験」の重要性 体験は、子どもの社会情動的スキル(非認知能力)に影響するとされている。体験の機会がある人とそうでない人では、注意力、秩序、柔軟性、課題に対する粘り強さ、学習における自主性、学習に対する意欲等に差が出るという 「社会情動的スキル」  一貫した思考・感情・行動のパターンに発現し、学校教育またはインフォーマルな学習によって発達させることができ、個人の一生を通じて社会・経済的成果に重要な影響を与えるような個人の能力 (忍耐力・自尊心・社交性、目標を達成する力、

        卓球界に蔓延する過剰なへりくだり?

        • 備忘録「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んで

        • 備忘録「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」を読んで

        • 備忘録「体験格差」を読んで

          備忘録「俺たちの箱根駅伝」を読んで

          各自の自主練メニューを選手へ手渡した後の甲斐真人の言葉 ・ランナーは、クリエイターじゃなきゃダメだ。現状を疑え。どうすればもっと良くなるか、あるいは、もっと良くなる方法が他にあるんじゃないかーそういうことを常に考えてほしい ・考える力は、打開する力になるからだ。いくら戦略を立てても、予定調和は常に成立しない。大なり小なり、必ず予測しなかった何らかのトラブルが起きると思った方がいい。そのとき、君らは自らの力でプランを組み立てる必要がある。狂った計画の中で、どこで抑えるのか、どこ

          備忘録「俺たちの箱根駅伝」を読んで

          年代別の卓球大会に出場し、感じた異常性

           先日、卓球の東京選手権という大会に出場した。  昨年は出場権があったものの、コロナの影響により大会が中止となったため、今年念願の初出場となった。  卓球には年代別の大会があり、東京選手権についても30代の部~90代(!)の部がある。全カテゴリーの頂点を決める全日本選手権は誰もが憧れる舞台だが、東京選手権や他年代別が用意されている大会も非常に狭き門であり、各県から代表は2名のみである。  私自身は30代の部に出場し、結果3回戦敗退。目標の成績には到達しなかったものの、年代別だ

          年代別の卓球大会に出場し、感じた異常性

          ドクメンタの小さな奇跡

           「ワールドカップは四年に一度、信州の諏訪市で開催される御柱祭は六年に一度だ。一年に一度やってくるのは誕生日だが、では、五年に一度やってくるイベントは何か。藤間は一戸建てのダイニングテーブルで缶ビールに口をつけながら、架空のクイズを頭の中で出している。『五年に一度のものは何でしょうか。』」  伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」の短編の一つである「ドクメンタ」の冒頭文であり、まさにこの「ドクメンタ」が、ドイツで五年に一度開催されている現代美術の展覧会のことだが、今作品で

          ドクメンタの小さな奇跡