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読書日記『やりがいのある仕事という幻想』森博嗣著

働くってそんなに大事?
言ってみたい、そんな言葉。
ハンモックかなんかに身体を委ねて自然の中でゆっくり時間が経つのを楽しみながら。
内容に関しては大方の予想はつくのだが、自分に置き換えてみたとき、この環境を変えようという気持ちに偽りはないのか自問してみようと思い手に取った。

まえがきからして、パンチが効いている。
「人はそれぞれ違う」森博嗣自身が世間とは違う世界観を持っている。
「人は働くために生きているのではない」そりゃそうだ。
「職業に貴賎はあるか」ないはずだ、ないと信じている。あるのは自分自身がそう思っているだけだ、という話がこれから展開されたのには驚いた。

いつもながら軽快に世の中を静観する人である。仕事のことで悩む人が多いということに対して、仕事ってそんなに大事なのか、というところから問題提起している。そうはいっても、稼がなきゃ飯が食えない、ちょっとでもいい暮らしがしたい、便利なサービスを使うにもお金がいるし、と普通は考えるだろう。だが、極論にはなるが、稼がなくても食べていけるし、いい暮らしがしたいというより人に「羨ましがられたい」だけなのであり、本当に必要なものだけに対価を払っていけば無駄もない。ととてもドライなお考えなのである。そういうところがスカッとするのではあるが。

「やりがい」についても考えさせられた。

 「今は辛いかも知れないが」なんて言うけれど、仕事というのは基本的にずっと辛いものである。また、「そのうち楽しさがわかる」などと諭したりするけれど、思い込みならば、誰だってどこにだって楽しさは見出せるだろう。
 いったい誰が困るのかというと自分である。また、「そんなことで、日本はどうなる?」なんて大局を見ているような振りをすることもあるけれど、そもそも日本はどうなるのか誰にもわからない。この頃はどんどんじり貧になっている。でも、今の若者の責任ではない。どちらかというと、「やりがいを持て」「仕事にかけろ」と言ってきた年寄りたちの読みが甘くて、今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。

手応えのある仕事というのは簡単には終わらず、ちょっとした苦労が伴うニュアンスだが「やりがい」とは違う。本当に素晴らしい仕事というのは準備を進めて余裕を持って終わるようなものであり、手応えはいらない。ただし、こういう仕事ができるようになるには、たくさんの失敗をして、知識を蓄積し、誠実に進める意識を持ち、さらに自分の仕事を洗練させようと自己鍛錬に励むことが必要で、ここにこそ「やりがい」や「手応え」があるのではないかと説いている。仕事そのもにあるわけではないというのは発見だった。

第4章では森先生のところにきた相談に答えている。
その中に、Q 人に頭を下げるのに疲れた、という相談がある。その答えがすごく心に沁みた。

 僕が知っている偉い人、たとえば、仕事で成功して、お金持ちで、優雅な生活をしていて、地位もあるし、人望もある、という人は、とにかく頭ばかり下げている。けっして威張っていない。これが「強く生きている」ことではないかと思うのだ。
(中略)
 だから、堂々としていて、言うことが自信に満ちあふれている、という人に出会うと、「この人はなにか後ろめたいことを隠そうとしているな」と思える。
 商売というものは、お金をもらう方が頭を下げる。それは、「いただきます」とか「ごちそうさま」と同じ意味であって、つまり、得をしたから感謝で頭が下がるということだ。
「そんなへこへこしたことは嫌いだ」という人はプライドが高いのかも知れないが、その程度のプライドは、この際あっさりと捨てた方が賢い。本物のプライドというものは、頭を下げ続けて初めて獲得できるものだろう。

人の評価は仕事で決まるわけではない。社会に出て、いろんな人に出会うと、本当にその通りだと思う。だからといって、なぜ自分が評価されないのだ、と腐っていても人生が面白くなろうはずがない。自分の価値は自分で決めていけばいい。背中を押してもらった気はするが、飛び出す勇気は...

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