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読書日記『生命科学的思考』高橋祥子著

はじめに:生命の原則に抗って生きるために

我々ヒトは生命であるため、ヒトが起こす行動や行動によって起こる課題を解決するためには「生命」の仕組みを知ることが役に立つことから生命原則について客観的に知っておく。遺伝子は決まっているからそう簡単に変われないかというとそうではない。生命の原則に抗うには多くのエネルギーを消費するが、主体的に抗うには主観が重要になる。
どうやら科学か非科学かといった単純な話ではなさそうだ。

第1章 生命に共通する原則とは何か

私たちが日々生命活動を行う中で遭遇する「一見生物として非効率、不自由に見えるもの」がなぜ存在するのかを、その背景にある根本的な生物の仕組みから理解しようとしている。
ここでは生命について、あるいは死についてどのような原則があるのかが解説されている。そして非効率な「感情」という仕組みがある理由について考察し、重要な働きがあることに気づく。
もう一つ重要な指摘が、視野についてである。視野には空間的視野と時間的視野があるが、空間的視野については、非常に狭い視野で物事を考えていると、いつまでたっても解決策を見出すことができず、挙げ句の果てに考えることをやめてしまう最悪の事態になることがある。解決策は視野の外にあるのに。思考を止めることは生物のエネルギー効率を考えれば効率的だが行きたい方向に行くためにはエネルギー効率という意味で生物の基本的な性質に意図的に抗ってでも思考する必要がある。時間的視野についてはビジネスの問題を考えるときにしばしば論点となることから容易に理解できる。

第2章 生命原則に抗い、自由に生きる

人間は、長い歴史の中の一部に過ぎないということはない、主観的な意志を活かして行動できる生物である。
私たちが認識している時間とは、「比較対象」と「主体」によって変化する。
比較対象とはどんな変化が起きているかの違いで、1.自然変化、2.環境変化、3.行動変化、4.生命変化がある。例えば、楽しい時は時間が経つのがあっという間、というのは自分の行動量が多いのに、相対的な自然変化量が小さく感じられることだという。

時間のすごし方は個人によって違うため、他人や、他の対象と比較するのではなく、自分自身にとって重要な時間の使い方とは何かに集中することで、真にやるべきことが見えてくる。
人生の充実度について考える場合に、仕事の効率や生産性を他人と比較したり、自分と同じ年齢の人とどちらがより活躍しているかを比較することにあまり意味はありません。それよりも、自分が生まれてから死ぬまでの「生命変化」や自分の「行動変化」を軸に自分がどうありたいかを考え、どう過ごすかを決めるほうが生きやすくなる。

第3章 一度きりの人生をどう生きるか

覚悟は葛藤を凌駕する。どういうことかというと、不確実な未来に対して葛藤するくらいなら、自分の選択を信じる覚悟を持つことで無駄な懊悩はなくなるという。覚悟を決めるほどの目標が見つからなければ、カオスな環境に身を置けば「なぜ」という疑問が湧いてくる。これが主観的命題になる。
課題を認識するということは、行動を起こした結果想定される良い未来と、現状のまま行動を起こさなかったときの未来との間の差分の大きさ、つまり「未来差分」を認識することだ。未来差分を描くことは現在のエネルギーの糧となる。その初速の上がり方を決めるのが情熱である。
生物は平衡状態を保っている。人がエネルギーを消費する努力をしなければならないのは、個体にとっての平衡と外界の環境にとっての平衡状態が異なるから。常に変化する外界の平衡状態に合わせて生命を維持するためには常にエネルギーを摂取する必要があるのだ。

第4章 予測不能な未来へ向け組織を存続させるには

ここからはビジネスにも応用できる内容となっている。
なぜ組織に生物の本来性という考え方が必要か。それは組織を構成する人自体が生命原則に従った生命活動を行なっているから。
組織を永遠に成長させることは稀である。それでもうまくいっている組織は外界の変化に適応しながら新たな取り組みを作り出している。
多様性については、その捉え方自体が間違っていると説く。そもそも土台は同じだということを忘れてはならない。
そして、成長と進化は異なる。とても見逃されがちだが重要なことだと思う。

第5章 生命としての人類は未来をどう生きるのか

ここでは個人の人生や組織だけでなく人類全体に目を向けてみている。特に著者が取り組んでいる遺伝子という言葉の意味を正確に知ることができ、科学の価値について再考させられる。そうして生命原則を意識して思考することで主体的に思い描いた未来差分を解決していくべく行動していくことができるのだ。

変革をどのように受け入れ、どのような良い未来を思い描き、どう前に進むか。それこそが「思考」であり、人類の唯一の希望であると私は考えています。本書で述べてきたとおり、思考停止に陥って生物的な本能のままに生きるのではなく、「生命原則を客観的に理解した上で主観を活かす思考法」で思考し、行動し、情熱を注ぎ続けるものとして、これからも人類が存在し続けてほしいと私は切に願っています。

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