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読書日記『ブルシットジョブの謎』酒井隆史著

デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の訳者の一人としてブルシット・ジョブとは何か、この構造を生み出す社会背景などを解説しています。

ブルシットジョブにはいろいろな種類があります。

権力を誇示するためだけに存在する仕事
 誰かを偉そうに見せたり
 偉そうな気分を味わわせる
 それだけのために存在する仕事

人を欺くことを強要される仕事
 多くは役に立たないが
 報酬が多いため、
 より当人を苦しめる

組織の中の欠陥を修正する仕事
 雇用者が無能であるのに
 問題解決をしようとせず
 もっぱら対処にあたる人を雇う

書類穴埋め人
 仕事をしたように
 体裁よく書類を作成する
 実際は中身がなくて後ろめたいのに

タスクマスター
 不要な上司(笑) 

一言で説明するならあざむきながらする仕事です。
とりつくろわなくてはならない仕事です。
ありませんか?
仕事があまり忙しくなくて余裕ができても、忙しいふりをしなければならないこと。
そこには労働時間内は働かなければならない、という雇用関係があるからなんですね。
そして、仕事をしているフリをするために仕事が生み出されていくのです。
穴を掘っては埋める、ということを繰り返していても生産性は上がりません。
それどころか働く人のやりがいはどんどん失せてしまいます。

本当はそんな演技をしなくても仕事がないときは休息すればいいという主張も見えてきます。
それを阻むのは労働慣行、資本主義だといった背景はなんとなくわかりました。
ネオリベラリズム、マルクス主義の活用、この辺りは自分の知識不足でほとんど理解できませんでしたが、宿題としたいと思います。

途中まで読んで気がついたのですが、
「クソどうでもいい仕事」と「クソ仕事」は違う
この勘違いに気づいたことは収穫でした。
クソ仕事はかつて「3K」とよばれたようなキツい労働のようなものであって、高度成長期まではこの仕事に就けることがむしろ誇らしかったのかもしれません。
これに対してクソどうでもいい仕事は、無意味で価値のない仕事。だから稼ぐことができてもどこかやりきれない葛藤が生まれます。
私の仕事は大部分がクソどうでもいい仕事だということが判明しました。
もしかしたら、精神的にツラいと感じている人の中にはブルシットジョブをすることに対する違和感を抱えているせいだという人も多いかもしれません。

ところで、ブルシットジョブ現象では、必要のない仕事を生み出してそこに高い報酬を支払われることがよくあります。反対にエッセンシャルワークは貢献度の高い仕事でありながら報酬が低くなっています。必要だから生まれた仕事というのは、意味のない価値を乗せる必要がないからなのですね。
同様に、無償の家事労働についてもそこに価値をつけたがらない立場の人がいるから軽視されてしまうのでしょう。

時間指向ではなくタスク指向の方が理想的な労働ですが、そうなってしまうのは世の中のしくみに問題があるとしています。
解決策の一つとしてグレーバーはベーシックインカムを提案しています。
最低限の生活が保障されていれば、人はクソ仕事をしなくなるので企業は自動化を進めます。その代わり、やりたいことは無償でもやるようになっていきます。

さらにベーシックインカムを導入すれば、ブルシットジョブ現象が形成するサドマゾヒズム状況も脱出できるとグレーバーは分析しているようです。
厳格なヒエラルキーの下で、
 ヒエラルキーのためのヒエラルキーを好む
 閉鎖的である
 モラルの倒錯性が強力である
などの条件を備えた日本はサドマゾヒズムの温床になりやすい。
その問題点は、容易に抜け出せないことにある、というのは頷けます。
辞めたいのに「辞めたい」と言えないことがわかっているからますますサディズムが横行してしまうのですね。

この本はグレーバーの『ブルシット・ジョブ』の入門書ということですが、ガチガチの理系人間には難解すぎました。

それでも、やりたくない仕事で苦しい思いをしている人が大勢いることを知り、変わっていける未来を創造する力にわずかでもなれればいいと感じました。

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