高校受験失敗

このストーリーは高校受験の失敗からスタートする。

地元の中学校の学力が低かったこともあり、私は中学でそれなりに勉強が出来た。高校受験では早稲田、立教、中央大の付属校を狙っていた。途中までは順調に学力が伸びていき、これらの高校も射程圏内に入ってきたと記憶している。でも、年末年始から受験まで学習を怠ってしまったのである。

早稲田に受かったらいいなぁとぼんやりと考えながら、あまり勉強はせずに最後の期間を過ごしてしまったように覚えている。トランプ占いみたいなものを何度も何度もやって、いい結果が出るまで時間を潰していた。

そんなことをしている人間が受験でいい結果を出せるわけはなく、狙っていた高校は全滅。人生で最も泣いたのは高校受験で落ちた時だったと思う。しゃっくりが出るほど泣いて、何時間もその状態が止まらなかったことを覚えている。

でも、考えてみれば当たり前のことで、最後の追い込みの一ヶ月半を殆ど勉強していなかったら、余程の天才ではない限り受験に失敗するだろう。

非常に嫌な思い出ではあるが、この経験は大人になってから生きているように思える。最後まで手を抜かずに出来ることを全部やるようになった。自因自果。最終的な結果は自分の行動が引き起こしているものであって、最後まで手を抜かずに頑張ればちゃんと結果もついてくるのである。

そして、滑り止めであった日本大学の付属校に通うことになったのである。

当初はすっごく行きたくなかったので、死んだ魚のような目をして通学していたと思う。朝、駅まで行って、高校に行きたくなかったので反対方向の電車に乗ったこともあるくらいだ。

高校1年の時に、元博報堂社員という珍しい経歴の若い先生がいた。たまたま私の家の近くに住んでいたので、遊びに行ったことがある。その先生は本が好きで大量の本を所有しており、その中から、何となく興味があって寺山修司の本をもらって帰った。
寺山修司の思考は高校生にとってはとても刺激的でかなり影響を受けた。寺山修司が運営していた劇団 天井桟敷のビデオも買って何度も観た。

その後、その先生に、寺山修司に非常に刺激を受けたこと、同じように劇団をやってみたいと思っていることを話した。それで、寺山修司と同じ早稲田の一文に行こうと考えていると相談すると、『演劇系であれば、日大芸術学部も有名なので、日大芸術学部に推薦で入ったらいいんじゃないの。日大芸術学部で成功しない人は、早稲田に行っても成功しないよ。』と言われた。

確かにな、と思って、それから日大芸術学部に内部進学することを考えるようになった。他の先生に相談すると、芸術学部に内部進学している人も結構いて、ツテもあるのでちゃんと対策すれば推薦がもらえるとのことだった。

すっかりその気になってしまい、高校3年生の夏までは芸術学部に進学することを考えていた。でも、突然、親から『芸術学部は学費も高いし、ろくに就職もできないだろうからダメだ。』とキッパリ断られてしまった。芸術学部は学費も高く、年間で150〜200万円くらいかかる。自分で払うことも考えてみたが、毎月15万円以上バイトで稼いで大学に通うのは無理だと思い、諦めてしまった。
今、考えると、芸術学部に行こうというのはある種の逃げだったのではないかと思う。他大学を受験して、リベンジを図りたい気持ちもあったが、特殊な学部に行くことによって、そういうところから抜け出そうという安易な気持ちもあったように思う。

そして、あまり考えもないまま内部進学テストを受けて、推薦に合格して、日本大学法学部に進学することにしてしまった。


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