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責任の所在

もう16年も前に自分が書いた某SNSへの投稿を見返していると、こんなものがあった。

去年のこと。

牛丼屋さんで「しょうが抜いてください」と注文したときに、店員の女の子が普通にしょうがを載せたやつを運んできた。
それもしきりに首をかしげながら。

他ならぬ、運んできた店員が首をかしげてるとは、どういうことなのか。
普段はそんな小さいことでいちいち文句言わないんだけど、目の前に置かれた瞬間に
「しょうが抜いてって言ったはずだけど」
と言ってみた。そしたら店員は、
「ええ、私もそう言ったんですけど……あっちが……」
といって奥の厨房の方を指さした。

俺はしばらく呆気にとられてしまって、「あ、そうなんだ……」と何だか納得させられてしまい、それ以上文句も言えずにしょうが入りの丼ぶりを食べて店を出た。
外に出てから急におかしくなって吹き出してしまった。

「自分は悪くないんです。裏方のミスです」とはっきり言ってしまう面白さもあるけど、何よりも、奥にいた店員に作り直しを命じるんじゃなくて、お客さんに『変ですよね』と同意を求める本末転倒さが面白い。
裏方と一体になって、お客さんをもてなすのでなくて、お客さんと一体になって、裏方のミスについて『変ですよね』『変だよなあ』と不思議がる気持ちを共有する。
これって、新しい接客方法じゃない?
これぞお客の視点に立った接客ではないか!
事実俺は、あの瞬間、彼女と気持ちを一つにできたわけだし。

多分「ふざけるな!」って怒鳴られる可能性のほうが高いけど。

あんなふうに「組織」を無視した生き方ができたら気持ちいいだろうなあ。
「彼が勝手にミスりました。私は関係ありません」とか。
「何か本社の方が不祥事してたみたいですね。全く嘆かわしいですなあ」とか。

それじゃ社会が立ち行かなくなることはよくわかってるけどね。

2007年1月29日の私の投稿「責任の所在」

いま思い返してみても、もちろんこの接客はあり得ないものではあるが、
「仕事の上でちょっと似たようなテクニックを使うことはあるんじゃないか」
という気がする。

・その取引先とは余程の信頼関係が構築されている
・上層部が私とは異なる判断をしている
というときに、あえてその取引先の前で、社内上層部への批判とも取れる発言をすることで、
「あなたとは組織の立場を超えた会話ができるくらいに個人的な信頼を寄せているんですよ」
という姿勢を見せるというテクニックだ。

具体的にはこんな感じ。

取引先「いやー、おたくさん、○○の生産をまた減らすんでっか。そしたらうちとの取引はまた減ってしまいますな。商売あがったりですわ」
私「いやー、本当ですよね。全くもう、うちの幹部は見る目がないというか・・・。○○の需要は今後も続くはずですよね」

(あくまで例である)

誓って言うが、適当に話を合わせているわけではなく、心底からそう思っているのである。ただ、
「ちょっとくらい上層部の悪口を言って、この人の気持ちをつなぎ止めておきたい」
みたいな思惑もないではない。

こんなテクニックを考えるようになった自分は、ずいぶんと汚れてしまったものだ。

あのとき、牛丼屋さんで私に接客した女性店員も、今は30代半ばのはずだ。老獪な社会人になっているのかなあ。

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