Twitterの不毛な議論
変態と思われるかもしれないが、Twitterで大荒れに荒れているツイートを見ながら、
「なぜこうなったんだろう」
と考えるのが好きだ。
というのも、こういうところに人間関係を上手くやっていくためのコツや、情報化社会の中で上手く発信していくための教訓が詰まっていると思うからだ。
炎上というか、激しい議論になってるツイート
さて、昨日見かけたのがこういう感じのツイート。
(特定を避けるため、詳細は変えてある)
うんうん。よくある。たびたび見かけるやつだ。
「炎上」というほどではないが、このツイートにはいくつかの怒りを込めた反論がリプライされていた。その中で特に私が注目したいのはこちら。
まあ、文章の書き方は穏当だが、静かな怒りが込められている。
さて、このBさんのツイートに対して、さらにこんなリプライがあった。
んんん?
なるほど、Cさんの言い分も一理ある気がするし、一方で不毛な議論になっている気もする。
このCさんのリプライを見てふと考えたのは、
「このCさんの論理をそのまま活かして、Cさんの主張を否定することもできちゃうよな」
ということだ。
例えばこんな感じ。
これは無限に続けることができる。
うん。極めて不毛な臭いがしてきた。
全くもって無意味な議論だ。
一体どこから不毛になったのだろう。
どこまでが「発信する意義のある発言」で、どこからが「無意味な発言」なのだろう。
発信する意義のある発言とは
人が何らかの思想や主張を発言するのは、
「誰かに届けて、その意義を感じ取ってもらいたいから」
だと思う。誰かに届いて、その誰かが
「うんうん。参考になったなあ」と思ってくれる可能性があるなら、それは意義のある発言だ。
しかし、意義がある発言であっても、相手をむやみに傷つけてはいけないというルールがあるはずだ。
これまたしかし、
「勝手に受け取って勝手に傷ついている人」
にまで配慮しろと言い始めると、生きづらい世の中になってしまう。
例えば、〇〇軒のラーメンがまずかったというときに、
と口コミに書く行為は、店主を傷つけてしまうかもしれないが、人に届ける意義のある発言だ。「あっさり好きな人にここのラーメンは合わない」という重要な情報を伝えてくれている。
こういう意義ある発言に対して、
と反論の口コミを書くのも意義のある行為だ。届く人には届くからだ。
ただ、上記の反論口コミの中で、先の口コミを否定する発言を入れてしまったらどうなるか。
うん。これは不要だ。
発信する意義のある発言に対して、事実上「発信するな」と言っているわけで、こういう他コメ批判は言わないほうがよろしい。
ここまで考えたことをルール化するとどうなるだろう。
うん。こんな感じかな。
ルールに則って見てみよう
翻って、元の映画コメントを見てみよう。
うんうん。良いんだよこのくらい。
これは普通のコメントだ。2にも3にも抵触しない。
ただし、映画を否定することを通り越して、誹謗中傷になっているようなケースだと話は変わってくる。
うん。言い過ぎだ。これはもはや誹謗中傷だ。
普通に考えて、映画館で公開されている映画が「小学校の学芸会レベル」のわけがない。相手を必要以上に傷つけるための嘘が含まれている。
そして、感動した客に対してまで牙を向けている。
こんな感じで、ふと目に入ったツイートから「こうするとコミュニケーションがスムーズ」といえるようなルールを作って行けば、SNSの最適ルールが構築できそうな気がする。
また炎上ツイートを見かけたらここで考察してみたい。
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