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Twitterの不毛な議論

変態と思われるかもしれないが、Twitterで大荒れに荒れているツイートを見ながら、
「なぜこうなったんだろう」
と考えるのが好きだ。
というのも、こういうところに人間関係を上手くやっていくためのコツや、情報化社会の中で上手く発信していくための教訓が詰まっていると思うからだ。

炎上というか、激しい議論になってるツイート

さて、昨日見かけたのがこういう感じのツイート。
(特定を避けるため、詳細は変えてある)

A「映画〇〇を見たんですけど、あまりに定番の流れ過ぎて、薄っぺらさを感じました。『はい、ここで感動してね』『はい、ここで泣いてね』と誘導・強要してくる雰囲気が露骨過ぎると興ざめしてしまいます。ああいう感動の押し付け映画はもういいかな、という気になりました」

(趣旨を変えずに文章は変えています)

うんうん。よくある。たびたび見かけるやつだ。

「炎上」というほどではないが、このツイートにはいくつかの怒りを込めた反論がリプライされていた。その中で特に私が注目したいのはこちら。

B「××が〇〇するシーン、私は普通に感動しました。強要されたという気はしませんでした。これを薄っぺらいと言われてしまうと、私の感情自体否定された気がします。大勢の人が感動したと言っているのに、それを否定する発言ってどうなんでしょうか」

(趣旨を変えずに文章は変えています)

まあ、文章の書き方は穏当だが、静かな怒りが込められている。

さて、このBさんのツイートに対して、さらにこんなリプライがあった。

C「人それぞれ、自分の好き嫌いに応じて作品を批評する自由があると思います。Aさんの投稿は表現の自由の範囲内であって、それを否定するBさんってどうなんでしょうか?」

(趣旨を変えずに文章は変えています)

んんん?
なるほど、Cさんの言い分も一理ある気がするし、一方で不毛な議論になっている気もする。

このCさんのリプライを見てふと考えたのは、
「このCさんの論理をそのまま活かして、Cさんの主張を否定することもできちゃうよな」
ということだ。

例えばこんな感じ。

D「Bさんのように、人の批評に対して反論する自由だって表現の自由の範囲内です。それを否定するCさんってどうなんでしょうか?」

(これは私の妄想)

これは無限に続けることができる。

E「Cさんのように、Bさんの言論に対して批判するのだって表現の自由の範囲内です。それを否定するDさんってどうなんでしょうか?」

(これも私の妄想)

うん。極めて不毛な臭いがしてきた。
全くもって無意味な議論だ。

一体どこから不毛になったのだろう。
どこまでが「発信する意義のある発言」で、どこからが「無意味な発言」なのだろう。

発信する意義のある発言とは

人が何らかの思想や主張を発言するのは、
「誰かに届けて、その意義を感じ取ってもらいたいから」
だと思う。誰かに届いて、その誰かが
「うんうん。参考になったなあ」と思ってくれる可能性があるなら、それは意義のある発言だ。

しかし、意義がある発言であっても、相手をむやみに傷つけてはいけないというルールがあるはずだ。

これまたしかし、
「勝手に受け取って勝手に傷ついている人」
にまで配慮しろと言い始めると、生きづらい世の中になってしまう。

例えば、〇〇軒のラーメンがまずかったというときに、

〇〇軒のラーメン、全然ダメでした。スープはドロドロで麺も固く、ひどかったです。

と口コミに書く行為は、店主を傷つけてしまうかもしれないが、人に届ける意義のある発言だ。「あっさり好きな人にここのラーメンは合わない」という重要な情報を伝えてくれている。

こういう意義ある発言に対して、

下の口コミではまずいという意見もありましたが、私は美味しいと思いました。スープはコクがすごくて、麺は固め好きな人にとってはちょうど良いと思います。

と反論の口コミを書くのも意義のある行為だ。届く人には届くからだ。

ただ、上記の反論口コミの中で、先の口コミを否定する発言を入れてしまったらどうなるか。

下の口コミではまずいという意見もありましたが、私は美味しいと思いました。スープはコクがすごくて、麺は固め好きな人にとってはちょうど良いと思います。美味しいと思っている人もいるのに、こういう否定的な口コミを書く人ってどうなんでしょうか。

うん。これは不要だ。
発信する意義のある発言に対して、事実上「発信するな」と言っているわけで、こういう他コメ批判は言わないほうがよろしい。

ここまで考えたことをルール化するとどうなるだろう。

1 基本的には何を発言しても良い。
2 ただし、誹謗中傷、プライバシー侵害、差別、卑猥な話は違法になる。
3 「人の意義ある発言を封じる発言」は違法ではないが望ましくない。

うん。こんな感じかな。

ルールに則って見てみよう

翻って、元の映画コメントを見てみよう。

A「映画〇〇を見たんですけど、あまりに定番の流れ過ぎて、薄っぺらさを感じました。『はい、ここで感動してね』『はい、ここで泣いてね』と誘導・強要してくる雰囲気が露骨過ぎると興ざめしてしまいます。ああいう感動の押し付け映画はもういいかな、という気になりました」

(趣旨を変えずに文章は変えています)

うんうん。良いんだよこのくらい。
これは普通のコメントだ。2にも3にも抵触しない。

ただし、映画を否定することを通り越して、誹謗中傷になっているようなケースだと話は変わってくる。

A「映画〇〇を見たんですけど、あまりに定番の流れ過ぎて、薄っぺらさを感じました。『はい、ここで感動してね』『はい、ここで泣いてね』と誘導・強要してくる雰囲気が露骨過ぎると興ざめしてしまいます。主演の××の演技はまるで小学校の学芸会レベル。脚本はその辺の素人に書かせたような薄っぺらいものでした。ああいう映画で感動してる人って、薄っぺらい人生送って来たんでしょうね。○○監督の腕も落ちたものですね。晩節を汚す前に引退をお薦めします」

(趣旨を変えずに文章は変えています)

うん。言い過ぎだ。これはもはや誹謗中傷だ。
普通に考えて、映画館で公開されている映画が「小学校の学芸会レベル」のわけがない。相手を必要以上に傷つけるための嘘が含まれている。
そして、感動した客に対してまで牙を向けている。

こんな感じで、ふと目に入ったツイートから「こうするとコミュニケーションがスムーズ」といえるようなルールを作って行けば、SNSの最適ルールが構築できそうな気がする。

また炎上ツイートを見かけたらここで考察してみたい。

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