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ダンス世界の旅(妄想編)

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DANCING 世界のダンス―民族の踊り、その歴史と文化 ジェラルド ジョナスさんの著書に基づきながらお話を進めていきます。
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2020年9月の記事一覧

一番下に身分されていた歌舞伎

女性御法度の令、表向きは公衆道徳の維持のためであるが、 別の要因としては、歌舞伎人気が高まるにつれてそれを制する女性に多額の富と権力が与えられる事を懸念していたともとれる。 日本に深く根付く父権社会の支配である。 しかし、歌舞伎はあまりに人気があって、歌舞伎舞台から女性を追放しても元服前の若者によって演じられつづける。今度は役者をすべて男性にしたのだから。それまで以上に芝居は脚色され刺激的なものになっていった。 1652年、歌舞伎は再度、幕府からの介入をうけ、成人男性のみで

歌舞伎の創設者はロザリオの女性

17世紀初頭、京都周辺の神社を舞台にしていた出雲阿国という若い女性が、京都の鴨川の河原で踊りを披露して観客を魅了していた。まさにストリートダンスである。彼女が考案したかぶき踊りの始まりである。 当時、占い師、手品師、大道芸人などは河原を住家としていた。 神社での阿国の初舞台は、踊りを中心とした舞台で神や仏を喜ばせ、参拝者を楽しませるものであった、 阿国の踊りは必ずしも貞節さの奉納ではなり得なかったが、阿国の魅力は広まっていった。 ちなみにこの頃、神社・仏閣を修繕するための寄

常に新しい古典芸能

古典の踊りが歴史をこえて残り続ける為に必要なものは、その語彙、外観的見映え、演目など、継承する価値があるものを代々伝えていく手段に講じなければならな。 目まぐるしく変化する時代に、音楽、踊りも流行により変わる。 本質やルーツも大事だが、文化として継承して若い人に伝え続ける必要がある。 バレエにおけるその手段は学校であろう。なかでも、主導的立場にあるバレエ団が運営する学校が最もよしとされる。 そうした学校は、古典的スタイルを身につけた若いダンサーを輩出する場として重要なのであ

日本の歌舞伎

日本の歌舞伎はバレエと正反対の方法で古典的な地位を獲得した。 バレエは上流階級から中流階級へと社会構造を下降しながら浸透していった。 歌舞伎は下から上へと受け入れられていった。 歌舞伎の起源は、元々朝廷で抱えられていた荘厳な舞楽(雅楽の舞)ではなく、民衆の娯楽から生まれたもので、現在は双方がユネスコ無形文化遺産として認定され日本を代表する芸能である事は興味深い。 歌舞伎の語源の「傾く」(かぶく)は中心から外れた状態というニュアンス、室町幕府の役人や一般大衆からの指示と、演者と

日本の伝統芸能のダンス

皆様 大変ご無沙汰しております。自粛明けより忙しい日々を過ごしておりましたが、日々の世情にも慣れ、生活も少しづつゆとりがでてきました。 世界のダンスの連載、リスタートを切るにふさわしい題材を考えておりました。 今回は「日本の伝統芸能の踊り”歌舞伎”」をテーマにして華やかに連載したいと思います。 全何回になるのかわかりませんが、お付き合いいただけますと幸いでございます。このグローバリゼーションの世で、外国の方に日本の事を聞かれる事もよくある話かと思いますので、何卒お役立てくださ