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一番下に身分されていた歌舞伎

女性御法度の令、表向きは公衆道徳の維持のためであるが、
別の要因としては、歌舞伎人気が高まるにつれてそれを制する女性に多額の富と権力が与えられる事を懸念していたともとれる。
日本に深く根付く父権社会の支配である。
しかし、歌舞伎はあまりに人気があって、歌舞伎舞台から女性を追放しても元服前の若者によって演じられつづける。今度は役者をすべて男性にしたのだから。それまで以上に芝居は脚色され刺激的なものになっていった。

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1652年、歌舞伎は再度、幕府からの介入をうけ、成人男性のみで演じられるように命じられている。舞台で男性が女形をやる事は、誰も不思議がることはなかって、というのも能や舞楽などの伝統芸能にそれは幾たび登場しすでに当然のことであったためである。

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歌舞伎の起こりは17世紀初頭、100年以上続いた戦乱の後、徳川家康が実権を握った。無力な宮廷貴族に取り巻かれた天皇は京都で象徴的な政治権を維持していたものの、首都は江戸におかれ、すみずみの国にまで支配の手が伸びる。17世紀半ばまでの鎖国政令の実践、国内における階級制度。社会的背景が異なる人々が相互に親しく交わる事を禁止されたのだ。
それほど個々を孤立させる幕府の努力は効果を示さなかったとされるが、
このことが幕府250年の統治を現実のものにした。

将軍が国民に課したのは身分制度である。明らかな武家制度であり、道端ですれ違うだけでもその身分は判然されるものであった。※なんと最近の教科書には士農工商という言葉は使われていないのですね。
大名領主が社会構造を左右し、その下に位置づけられるのが武士である。
彼らは戦うことで報酬を得ていた。大名や侍などの武士階級が、当時支配権をもつ特権階級で、儒教を模範として徳を重んじる思想のもとに成り立っていた。その下には3つの階級がが置かれる。まず、農民である。かれらが耕し育てるものが当時の身分構造を支えていた。次に僧侶や熟練工、職人など、その下に商人である。利益追求活動や金貸しなど公的に軽蔑されてはいるものの、経済活動には不可欠として黙認されていた。
社会のピラミッドの最下層には、汚い仕事に従事するものが位置づけられた。
動物の毛皮剥ぎ、皮なめし業、娼婦、そして歌舞伎である。

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※「将門」1836年、江戸の市村座で初演される。クライマックスの十二代目市川団十郎演じる侍VS六代目中村歌右衛門演じる妖術遣いの舞姫の華麗な戦い。古御所の屋上で繰り広げられているのも興味深い。娘が呪文を唱えると古城か崩れ落ちるが、これを歌舞伎の特殊効果で「屋台崩し」と呼ばれている。

これらの人々は社会から迫害され、他の社会階級の人たちと極力接触させないように幕府の計らいがあった。16世紀末、幕府は娼婦を認可し、特定の区域に閉じ込めた。これが遊郭である。歌舞伎もまた1657年指定された場所のみでの舞台上演が認められた。逆にいうと認可のない場所や、この区域から外に出ることすら禁止されたのである。

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そんな歌舞伎だが庶民には愛され続ける。ここから歌舞伎は発展する。


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