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ダンス世界の旅(妄想編)

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DANCING 世界のダンス―民族の踊り、その歴史と文化 ジェラルド ジョナスさんの著書に基づきながらお話を進めていきます。
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2020年5月の記事一覧

逆転劇インドの踊り

19世紀末期、イギリス人が一方的にインドの社会に偏見をもち、非道徳習慣を改めさそうとしたこともあって、寺院に常駐するダンサーの地位は奈落に落ちる。 マハトマ・ガンジーは言う。「残念ながら、わが国の寺院の多くは売春宿も同然だ」とある。公徳心のある市民たちのキャンペーンで寺院のダンスは禁止された。しかし、そこで踊られていたダンスは今も残っている。 わずかなダンサーたちが、芸をはぐくみつつ、まことしやかに伝え続けたのである。その後インド独立運動(1947年インド独立までの一連の

眉毛の動きだけで七種類

観客の心を高揚させなくてはならない。つかの間の歓喜だけでだけでなく、万人に共通する「宇宙の心理」を引き出す。 そのような言葉をサンスクリット語ではラサと呼ぶ。 それは8つに分類される。愛、ユーモア、哀愁、怒り、英雄的感情、恐怖、嫌悪、驚き、そして最後に平和が入り、現在は9つになっている。 劇の狙いは観客をラサにすること。その他の33の感情は個人的な感覚である。ラサは美味しいものを食べることに似ていると言う。インド南部はスパイスが豊富で香りもきつい、また何種類もの味が含ま

神々の踊り

第二章 踊りの神 インドでは神々が踊る。ヒンドゥー教の偉大なるシバ神は、破壊と創造を司る神であり、インド全土で崇拝されている。シバはナタラージャ(舞踊の神)という別称をもち、踊りによって宇宙を創造したとされる。宇宙創造の時のシバの姿の代表がこれである。 4本の腕を持つシバの姿は片手に太鼓(原初の創造の音)もう一方に火の玉を持つ(宇宙を破壊する火)二つの手が天秤の役割を果たし、破壊と創造の同時進行を意味する。第3の手は天に向けられ、我々は恐れてはいけないとメッセージを送る。

インドの踊り

アフリカ大陸サハラ砂漠南部と同じく、インドの宗教も祭礼を行う際には、踊る肉体が重要な役割を果たす。 ヨルバ族は、人間の世界と神々の世界がしっかりとした通路で繋がっていたが、ヒンドゥー教では、二つの世界は本質的に一緒だと考える。 本来、万物は一つであるということを、踊りを通じて確かめることができる。古代から続く多様な神や宇宙について包括したのが、ヒンドゥー教であり。キリスト教やユダヤ教のように、はっきりとした始まりや創設者もいないし、経典も存在しない。 2000年以上の期

帰らずの門

ヨルバの降霊の儀式にふれるならば、『エグングン』と呼ばれるダンスにも触れるべきだ。※写真は帰らずの門 (前述は軽くしてある。現在では、ベナンのウィダーという町で年一回行われる、約5000万人と言われるブードゥー教信者が一同に世界中から集合するお祭りのようです。1月10日スタート後一週間続くらしいです。) それらは、ヨルバ族によって定期的に行われる舞踏劇である。頭からつめ先まで全てを覆い、凝った衣装で仮面者が先祖を称える。 一度この衣装になると、仮面者は蘇った先祖だとされ

踊りっぱなしギネス記録はナイジェリアの女の子で137時間

西アフリカのヨルバのダンスは、空中への上昇を目指すのではなく、生命の源である大地を踏みしめている。 この点から、バレエとは逆の発想ではあるが、霊的な世界と無縁だとは言えない。 ヨーロッパにおける聖と俗の分裂は、ヨルバ族には無く、生きているものが住む現世と、神、先祖、霊が生きる、もう一つの世界があると考えられている。この宇宙観は二つの世界が密接に関わっており、見えない世界の大元に神聖な創造者がいると考えられ、生命の源と考えられている。 そんな見えない世界と交流する踊る肉体

社交ダンスの歴史

いつの時代も民衆は踊るのであるが、ヨーロッパで肉体を痛めつける、苦行が行われていた(キリスト教的な肉体の清め)そんな中、『舞踏病』と呼ばれるものが爆発的に流行した。 1,374年晩夏から秋にかけて、アーヘン、ケルン、そしてライン川沿いの都市に半狂乱の男女が出現した。彼らは、半裸で狂ったように踊り、空中高く跳びはねたり、突然身体をひどく痙攣させたりしながら、時に訳のわからないことを叫んで口から泡をふいて倒れた。その場にいた人々は悪魔に取り憑かれていると思っただろう。 医学史

カーニバルの起源

神に祈る時ですら、踊り手たちははめを外していまう。 影響力のあるアウグスティヌス(354-430)もその意見の持ち主の一人だった。彼は若い頃ローマの剣闘士競技を楽しんだと告白しているが、踊りに対しては、激しく放蕩なものとしての見方である。賛美歌を聴きながらでも踊ることは禁止されたが、それでもダンスを非難することはできない(聖書と矛盾が生じる)彼は、しぶしぶ「踊るものには、踊らせよ」と最小限の許可を与えていた。彼の理想は、殉教者キプリアヌスのような肉体を清めるような踊りで、ま

ローマ帝国とキリスト教時代の踊り手

ローマ人は、合唱行進と剣舞を除いて、ダンスは好まれていなかったとされる。その後、ギリシャの影響を受けて、子弟をダンス学校に入れ優雅な身のこなしを学ばせようとした。しかし、紀元前150年ごろ公共道徳を守ろうという人がローマ人が軟弱にならないようにと、学校を封鎖した。 過去を見てもそうだが、これくらいでダンスは止められない。異邦人奴隷によるダンスは、ローマ帝国が支配する地域ではどこでも誰でも熱狂の渦を作った。 厳しい共和主義的考えを持つキケロ(150ー43B.C.)は踊りは真

ギリシャのダンス

ギリシャ神話では、オリンポス山の神ゼウスは、踊りによって生き延びたとされる。幼少であったゼウスを殺そうとする、父の手から逃れ、ゼウスは泣き始めていた。その鳴き声が漏れないように、クレタ人たちは盾と剣を使った踊りで掻き消したとある。 ※ゼウスは雷を使う天を司る絶対神、兄弟にポセイドン(三又の矛で海の神)とハデス(姿を消す帽子を持つ冥界の神)がいます。 ギリシャ語では、歌、踊り、楽器演奏を含め『ムスィク』という。(紀元前から6世紀の間?)プラトンやアリストテレスも、踊りの建設

相反するダンス

ダンスは身体表現である。それは各民族によって変わる。 そして、それは宗教の影響を強く受ける。 インド、西アフリカの人々は踊りを通じて祈ることは以前お伝えしたが、それらを起源とし。インド、東南アジア中国や日本へ、南太平洋の島々まで。西アフリカのヨルバ族のダンスは、奴隷船に乗りカリブ海、アメリカだけでなく世界中に影響を与えた。20世紀の社交ダンスにさえヨルバの影響は残っている。 ヒンドゥー教・ヨルバ教と異なり、ユダヤ・キリスト教圏では踊りを通じて祈ることや踊る肉体に対して相

ジンバブエ(ダンスは戦にも使われていた)

ダンスの定義は様々である、世界中の文化に見られる様々なダンスは、古典的な西洋思想の考えでだけではあまりに狭い見方であろう。 プラトンやアリストテレスは、ダンスを何かの模倣(再現的)の芸術と同一に考えていた。アリストテレスは「ハーモニーの欠けたリズムだけがダンサーの模倣手段である。人や物事に向き合うその人のリズムによって、その人が何をしているのか、何に苦しんでいるのか、その人の性格までを表現するからである」ダンスは見解の違いから、競うものにすぎないとしても、自然を「写し取るも

インド・ケラーラ州

トランス状態・・・・いつもとは異なる精神状態。  とある。 トランス状態にあるダンスはネイティブアメリカンに見られる儀式にもあるが、それは非日常的で、酩酊、夢遊病、睡眠状態といった制しきれない行動と同程度で思われている。これは科学的には完全に解明されているものではないが、全大陸488の社会を調査したチームは、少なくとも437の社会に変性意識状態(トランス)に至る方法を持っているとの事。 トランス状態を経験した人は、超自然的な力や存在に憑依されているという。 こうした経