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ギリシャのダンス

ギリシャ神話では、オリンポス山の神ゼウスは、踊りによって生き延びたとされる。幼少であったゼウスを殺そうとする、父の手から逃れ、ゼウスは泣き始めていた。その鳴き声が漏れないように、クレタ人たちは盾と剣を使った踊りで掻き消したとある。

※ゼウスは雷を使う天を司る絶対神、兄弟にポセイドン(三又の矛で海の神)とハデス(姿を消す帽子を持つ冥界の神)がいます。

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ギリシャ語では、歌、踊り、楽器演奏を含め『ムスィク』という。(紀元前から6世紀の間?)プラトンやアリストテレスも、踊りの建設的で破壊的である大いなる力を認め、一方で、それは理性で安全に制御できないとする。曖昧なダンス観は、現代に到るまで西洋のダンス観の特徴と言える。

教養ある男子は優雅に踊れなくてはならない、という師ソクラテスの考えにプラトンは賛同した。それは、都市国家が危機に晒されたときに戦場で戦える、男らしく、逞しく、かつしなやかな身体をさし、武器を持って踊るダンス。すなわち『剣舞』(クレタでは戦争劇、スパルタで洗礼された)が理想のダンスとされた。

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一方で、合唱とともに行われる、制御された動きの美しいダンスを、プラトンは宇宙の法則が表現されているとして受け入れた。芸術の目的は善と美を見せることである。当時は「醜いダンス」を非難した。飛んだり跳ねたりよりも、しずしずと地面から足をあまり上げないステップが良く、一人のダンサーよりも、多くのダンサーの集団の方が良い。荒々しいダンスは、トラブルを起こすとされ、職業的なダンサーも俳優も禁じられていた。また現実が芸術により描写されると異質なものになると考え、実際に経験している訳でない職業表現者を一掃することによって取り除こうとした。

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逆にアリストテレスは、プロに評価を与えた。リズムカルなダンスを通じて、人間の行動と情熱が表現されると考えていて、ギリシャ市民はレベルの高いダンスを見るべきとするも、ダンスばかりに熱中すると生活が道徳的に墜落させるとして、職業ダンサーは奴隷、解放奴隷、異邦人に限るべしとされていた。

現代人には奇異なものと感じるだろう。文学や哲学が花開いていたギリシャ文化は、ダンスも同じように興味が持たれ、好ましくも恐れられたりもした。誰が踊り、誰が見るかによってダンサーの社会的地位は上下し、言葉と身体の関係はどうあるべきか、という議論が延々と続いた。

ギリシャ文化の多くはローマ文化へと引き継がれるので、ダンスもその例外ではない。ローマ文化は次号に渡すとして、もう少しギリシャのダンスを深掘りしてみよう。

今日のギリシャ人も踊ることが大好きで、毎週日曜日の昼間には集まって踊ったり、飲んだり食べたりをする。それを放映するテレビ局もあるようです。

主に民族舞踊が踊られ、昼から夜まで爆音の中で開催されているという。ギリシャ本土とそれを取り巻くすべての島々において、様々な様式や解釈があり、各地域ごとで、自らの方法で編み出した振付とスタイルを形作っている。

例えば、島々の踊りには美しく流れるような動きだが、一方で黒海近辺のポントス人の踊りは非常にキレがある。(トルコ付近まで行っちゃうので汗、今回はノータッチです。)ギリシャ地域全体には1万以上の伝統舞踊があるとされていて、その中にはギリシャ人の世界に取り入れられてきた、汎ギリシャ的な踊りもふくまれる。シルトスカラマティアノス、ピリッキオス、ハサピコ、シルタキなどなどがそれである。

シルタキは映画、「その男ゾルバ」で踊られたものとされる。

シルトス

これらは、我々も馴染みの深いフォークダンスにも取り入れられている。

『グリーク・ダンス』と総称してギリシャ伝統のダンスとされているようです。

綺麗な街並みと伝統に浸りながら、こちらの動画をまとめとして貼り付けて結びとさせていただきます。



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