見出し画像

ローマ帝国とキリスト教時代の踊り手

ローマ人は、合唱行進と剣舞を除いて、ダンスは好まれていなかったとされる。その後、ギリシャの影響を受けて、子弟をダンス学校に入れ優雅な身のこなしを学ばせようとした。しかし、紀元前150年ごろ公共道徳を守ろうという人がローマ人が軟弱にならないようにと、学校を封鎖した。

過去を見てもそうだが、これくらいでダンスは止められない。異邦人奴隷によるダンスは、ローマ帝国が支配する地域ではどこでも誰でも熱狂の渦を作った。

厳しい共和主義的考えを持つキケロ(150ー43B.C.)は踊りは真の人間がやるものではない「まぁ、酔っているか、気が触れているなら別だが」と断言している。その後、ローマではパントマイムが大流行した。どういったものかはわからないが、別の書籍で、王や官僚のマネをして笑いを誘っている記述を見たことがある。(プリニウスはおすすめの漫画です)そういったことから、だんだんの猥雑なものになったであろう。それをもちろん厳しく非難したが、ここでもその人気を抑えることはできなかった。

画像2

ローマ帝国における身体表現について、対照的なルキアノスの言葉を引く。

「踊りは愛と同じくらい深い」なんとも明快な言葉だ。これは新約聖書のサロメバプテスマの話(マタイ伝14:6-8)を例にとればわかるであろう。

画像1

※現代でも演じられるサロメ戯曲

このように、ローマ時代では、愛、肉欲、暴力と常に結びついてきた。神秘宗教との結びつきも深まり、これと区別するためにキリスト教会はダンスを宗教儀式に取り入れなかった。キリストが人間の肉体をとってこの世に現れたのにも関わらず、キリスト教は肉体に対して、愛と憎しみの両面を持つ。

初期のキリスト教者は、キリストの再臨が近いと信じて、貞潔な生活を望み。肉体を清めることよりも、肉体を超越することを望んだのである。性的禁欲が理想であると独身で生涯を通したパウロはこう行っている。「結婚するがよい。情の燃え上がりよりは、結婚するほうがよいからである」(コリント人への第一の手紙7:9)

画像3

このように、初期教会の神父たちは肉体は霊に劣ると考えた。新プラトン主義の書物にも正しく清められた肉体のみが、神の栄光の為に聖なる舞を踊ることができるとされている。

古代ヘブライ人と同じく、キリスト教徒も異教徒のダンスを、『黄金の子牛』・『サロメ』を引き合いに、悪いダンスだとして、間違ったときに、間違った目的で踊られた踊りと非難した。しかし、ダビデ王やミリアムのダンス、また、詩篇やエゼキエル書などを無視するわけにはいかなかった。

パウロは聖書の中で、「自分の身体は、神から受けて、自分の内に宿っている聖霊の宮」(コリント人への第一の手紙6:19-20)と教えているし、マタイ伝(11:17)ルカ伝(7:32)は、共に「私たちが笛を吹いたのに、あなた達は踊ってくれなかった」とイエスが言ったと伝えられている。

画像4

※これは現代なので注意。昨今を賑わすバンクシーと並び称される、コスモ・サースンの食堂に描かれた作品。面白いから載せたけど、これを称えるキリスト教の凄さを感じる。(まぁ。賛否はあるでしょうが笑)

また、異教徒がキリスト教へ流入した際も、踊ることを禁止するよりも、洗練された『洗礼』のダンスを考案して踊らせることにした。

キリスト教はキリスト教以前の神話や、シンボルを用いて布教する方法を見つけていたのである。やはりそれは集団のダンスであり、男女は別々に、行列や円をなすものであり神を畏敬する気品に満ちたものであった。「祝福されるものの踊り」、「天使の踊り」などの上演を通じて聖書や教義を説明することもできるし。とくに輪になって踊る天使のダンスは、キリストの復活を祝って天国で踊る天使のダンスを模したもので、踊り手たちは、賛美歌を歌いながら、手を叩いてリズムをとり、飛び跳ねたり足を踏み鳴らしたりした。そして、聖なる踊りに女性が参加したとは考えにくい。

画像5

※『神秘の降誕』1500年から1501年に描かれた、イタリア・ルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェリによる絵画であり、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある。淫らなイメージを豊かに描いていて、まぐさ桶内の聖家族の上で天使たちが踊っている。

なぜなら、女性が踊ることは男性に向けての誘惑とされていたからである。大司教バシリウス(344-407)は「天使の輪舞を、真似することは喜ばしい(中略)」という一方で、復活祭を祝って酔いつぶれることを非難する説教の中で、「女たちは輪になって、足を動かし、飛び上がり、気が狂ったように踊る。これはだめだ、祈るときにはひざまづくべきである」と言った。

ここで、キリスト教の相反する二元論的な考え方と、それによる統率。また、すざましい神への崇拝から、時代と共に広がった許容の広さと浸透力をダンスの歴史を通じても垣間見ることができるのである。

画像6

歴史とはなんとも興味深いものである。

※この作品もコスモ・サースン。

2004年にローマ教皇の前で若いダンスグループがブレイクダンスを披露したというニュースを見たときに思いつき、
「キリストが現代に蘇った場合、どのように現代文化と交信するのか問題提起している」として審査員から高い評価を受け、複数の候補者の中から壁画を描く権利を勝ち取る。
こうした作品に対して、キリスト教会側の反応はどうかと言うと、意外にもかなり高評価のようです。
クリフトンの教区の広報担当者は、英国でも少なからず宗教離れが進む中、若い人への教会のアピールという点で、人々の注目を集めることに期待しているとのこと。ちなみに、この建物の反対側にはバンクシーのグラフティが描かれています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?