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『スカンジナビヤ伝承文学の研究』を読む

5月に古書店で購入した、松下正雄著『スカンジナビヤ伝承文学の研究』。
北欧古典の翻訳や著作で有名な谷口幸男氏の幾つかの著書で参考文献に挙げられていた本で、以前から気になっていました。
1965年発行ということで内容に古さはあるだろうと思いつつ、目次を見たところ、スカルド詩人好きとしては嬉しすぎる内容。

函と目次

北欧の神々は(おそらくギリシアやローマ、エジプトなどの神々と比較して)あまりにも人間に近く、生贄を捧げて怒りを和らげなければならなかったり、神々を冒涜する者には復讐を辞さず、様々な人間の感情や欲望を投影した存在であることなど、スカンディナヴィア古来の信仰に関する分析には頷ける部分が多いです。

それらの解説も踏まえて、エッダの翻訳と解釈も数篇あります。
著者は最初、英語で書かれた古ノルド語の学習書 Gordon, "An Introduction to Old Norse" を翻訳出版したかったらしいので、古ノルド語をかなり研究されていたと思われます。

北欧神話のフェンリル狼に関して、スノッリ・ストゥルルソンの Fenrisúlfr なる名称の使用法についての記述があります。
スノッリは〈詩人のためのハンドブック〉とも言われる『スノッリのエッダ』(3部作。新エッダともいう)の作者です。
著者は、Fenrisúlfr は本来 "a wolf descended from Fenrir" を意味する名称であったが、スノッリは「詩語」としてこの形の名称を Fenrir そのものを意味する語として採用していると言っています。
従って、スノッリの意味するところは "the wolf named Fenrir" 或いは "the wolf Fenrir" というもので、Fenris- は同格を表示する属格と見たのだということでしょう。
実際、Fenrisúlfr という名称は10世紀ノルウェーのスカルド詩人たちも用いています。

初めて北欧神話を読んだ中学生の頃は古アイスランド語の知識など全くなかったので、Fenrisúlfr が属格だと知らなくて、フェンリスはフェンリルの誤字だと思ってたのを思い出しました。


伝承文学の研究とタイトルにあるだけに、期待通りスカルド詩に関する記述が多いですが、なかでも特に興味深かったのは、ハラルド苛烈王と王のスカルド詩人の一人、ショーゾールヴの関係。

ハラルド王とショーゾールヴは、王と詩人というよりも、寧ろ詩人と批評家の関係であったようです。
ハラルド王は自らも優れた詩人であり、一流の鑑賞眼と批評眼とを持ち合わせていたので、己の宮廷詩人には大いに期待していたのでしょう。
ハラルド王には他にも何人か詩人がいましたが、とりわけショーゾールヴを気に入っていた節があり、微笑ましく思いました。

北欧古典の中でもとりわけスカルド詩は難解で、頭韻や脚韻はもちろん、比喩(ケニング)の奥深さは読み手にも(北欧神話などの)知識がなければ意味がわからないほど。

ケニングの例をあげると、

海の馬=船
戦の火=剣
傷の雨=血
槍の乙女=ヴァルキュリア
フレイヤの涙=黄金

エッダ詩なども韻律の形式は決まっているけれど、ケニングは多用されていません。
スカルド詩は特に10世紀以後の詩人たちが技を競って難易度の高いケニングを用いたのではないかと言われています。

ショーゾールヴは苛烈王のために作った Sexstefja (Six-refrains) という詩を残しているのですが、大部分は失われているそうで残念です。

ショーゾールヴ・アルノールスソンは『フラート島本』(中世アイスランドの写本。最も大きく、美しい挿画で彩られている)によると、貧しい農民の子であったようです。恵まれない環境で育った彼が王の詩人にまで上り詰める出世物語、書いてみたくなります。


松下正雄『スカンジナビヤ伝承文学の研究』創文社、1965年。

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