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ヴァイキング時代の窓ガラス

デンマーク国立博物館の X(旧Twitter)で興味深い研究論文についてポストされていました。
「これまで中世の教会や城にしかなかったガラスをヴァイキングは窓ガラスに使っていた」というものです。

窓ガラスは、これまでスカンディナヴィアでは1050年以前につくられていたとは考えられていませんでした。

スカンディナヴィア地域での窓ガラスはキリスト教の普及により教会建築などに使用されたのが最初だと考えられてきたのですが、キリスト教以前の異教時代の遺跡からガラスビーズや飲み物を入れるグラスの破片などとともに平面ガラスが出土していることから、ハイタブ(ヘーゼビュー、現在はドイツ)、ビルカ、ウポクラ(スウェーデン)、ティソ(デンマーク)などで出土した平面ガラスの欠片をあらためて調査したようです。

これらの地域はヴァイキング時代には交易の中心地として栄えており、輸入ガラスをリサイクルしたり、新たに製造する工房がありました。

ビルカで出土したゲーム(ネファタヴル)用の駒


論文ではエジプトなど外国から来たもののリサイクルガラスと、ヨーロッパ北部を起源とするガラスの原料など詳細を分析。
ハイタブ、ビルカで出土したエジプト産のガラスは5~6世紀のもので、これらは11世紀頃まで西ヨーロッパの広範囲で見つかっています。
また、9世紀にエジプトでつくられたガラスはティソで出土しており、こちらも11世紀まで西ヨーロッパで時折発見されているそうです。


面白そうな論文だったので、ヴァイキング好きにとって関心が高い部分を抜粋してまとめてみました。
(ガラスの原料分析などは私の能力では翻訳が難しいので省略しました。すみません。興味のある方は文末のリンクからもとの論文をご確認ください)


ガラス窓は、1世紀の初めからローマ時代の中近東やヨーロッパのガラス工房で作られていた。
初期のガラス窓はローマやポンペイ、ヘルクラネウムの発掘調査で知られており、公共建築物、上流階級の邸宅、温室、浴場などで発見されている。
また、スイス、フランス、ドイツ、英国にも、ガラス窓のある初期ローマの建物がいくつか存在する。木や金属の窓枠にガラスが嵌め込まれたもので、場合によっては窓を開けて換気することも可能であった。

英国では、ローマ時代とアングロ・サクソン時代の建物にガラス窓が見られる。しかし、考古学的発掘調査によると、西ローマ帝国崩壊後の数世紀にはガラス窓が発見されることは珍しく、この時代につくられたものが英国やヨーロッパ北部の建物で発見されたという論証はない。
アングロ・サクソン時代のイングランドでガラスの炉が考古学的に初めて見つかったのは、7世紀後半にベネディクト司教がイングランド北部ノーサンブリア王国のウェアマスに石造りの教会と修道院を建てさせた時のものである。
現代の文献資料によれば、675年にベネディクトはフランスのガラス職人を招き、教会、回廊、修道院の食堂の窓を作らせた。
また、688年にウェセックス王イネがグラストンベリーに修道院を設立した。 ここでは4つのガラス工房跡が発掘され、シリンダー方式で窓ガラスが製造されていた。


スカンディナヴィアにおける異教時代の遺跡、ヴァイキング時代の交易センター、墓地から発見された驚くほど多くの平面ガラスの破片は、興味深い新たな姿を描き出している。
このような初期の平面ガラスの発見は偶然にしてはあまりにも多く、フランク王国やアングロ・サクソンの宮殿や教会にあったのと同じように、キリスト教以前のスカンディナヴィア、ヴァイキング時代の大邸宅や異教の神殿にもガラス窓が存在したのではないかと思われる。
興味深い疑問は、なぜ平面ガラスがヴァイキング時代のキリスト教以前の遺跡や交易センター、墓から発見されるのか、ということである。
これらの遺跡のほとんどは、考古学者がガラス窓の遺構が見つかるとは考えもしない場所にある。 しかし、ガラス窓が一般的でなかったとはいえ、ヴァイキング時代の権力者の邸宅や異教の神殿でガラス窓が使われていなかったとは限らない。

他にもいくつかの考古学的発見から、スカンディナヴィア南部の王侯貴族がフランク王国、アングロ・サクソンの王国、ビザンツ帝国の美術品や工芸品から多大な影響を受けていたことがわかる。
今回の研究結果は、キリスト教以前の出土品にガラス窓がないという考えは考古学者が歴史的に偏った先入観に惑わされた結果であることを示している。 それゆえに、出土した平面ガラスはヴァイキング時代より後の時代に窓ガラスとして使われたものに違いないと誤って推定されてきたのである。

鉄器時代やヴァイキング時代には、ガラスが魔法の材料と見なされていたことを示す証拠もある。 『古エッダ』には、魔法のガラスの空(glerhiminn)のことが書かれており、祭壇に置かれた石に生贄の動物の血を注ぐとガラスになると書かれている。
古ノルド語の文献には、ガラスは魔法の効果を持つルーンを刻むことができる素材であるとも記されている。

スカンディナヴィア南部では、おそらくガラスの価値が高かったため、ガラスは特に人気のある商品となり、その所有者は自分の特別な特権的地位を強調するために使用することができたのであろう。

ヴァイキング時代のいくつかの遺跡からは、多数の平面ガラス、つまり窓ガラスの破片が発見されているが、これまでの研究では見落とされることが多く、それらは近代の廃棄物と見なされてきた。

王侯貴族の建物とされた遺跡は、政治的・儀礼的に目立つ建築物が多く、時には非常に大きく堂々とした邸宅であったことから、これらの建物では魔法的な意味合いだけでなく、ステイタスを示す意味合いでもガラス窓が実際に使用されていたことが示唆される。


結論として、ガラス窓の破片が(視覚的にも化学的にも)確認できることから、ガラス窓の使用は中世のキリスト教教会建築の一部として導入されたと考えるべきではなく、ヴァイキング時代の壮麗な広間や神殿の一部としてすでに知られていた可能性が高い。


論文(英語)はこちら
DANISH JOURNAL OF ARCHAEOLOGY 2023, VOL 12, 1-26, https://doi.org/10.7146/dja.v12i1.131493







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