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ヴァイキング関連まとめ

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考古学発見からの考察、その他
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#歴史

ヴァイキング時代の典型的な家屋について

ヴァイキング時代(793年頃~1066年頃)のスカンディナヴィアでの典型的な家屋には下記の3つがあります。 10世紀のスカンディナヴィアでは上記の図7.8 Cが主流となっていたようです(アングロ・サクソン地域では6世紀初めから標準型)。Bは納屋、作業場など。 リンホルム・ホイエはヴァイキング時代の墓地遺跡(船型墳墓の集合地)です。 柱に施された細やかな彫刻が見事な広間は、王または侯(ヤール)の館にあったものでしょうか。 ヴァイキング時代を舞台にした海外ドラマ『VIKI

ハラルド美髪王(ノルウェー)とアゼルスタン勝利王(イングランド)

9世紀前半、群雄割拠のノルウェーに、圧倒的なカリスマ性を持つ強力な王が現れました。〈美髪王〉と綽名されたハラルド1世(ハーラル1世)です。 ヴェストフォルドの王であった彼はホルダランドのエイリーク王の娘ギュザに求婚した際、「ノルウェー全土を支配する王となられましたら、わたくしは貴方の妃となりましょう」と、つれなく断られたことで奮起、各地を征服し、領土を広げていきました。最後の戦いとなったのが、有名なハヴルスフィヨルドの戦いです。 そして、ついにノルウェーの大部分を治める王に

ヴァイキングの結婚指輪

海外ドラマの人気シリーズ『VIKINGS』や『ラスト・キングダム』の影響もあってか、北欧諸国をはじめ欧州ではヴァイキング時代のマーケット等を再現したフェスティバルの開催や、出土品のレプリカジュエリーや日用品などを販売するショップが以前より増えています。 ジュエリーの幾つかはカップルで楽しめるようなペアアイテムも多く、ルーン文字を刻印した結婚指輪もあるようです。 先日、SNSでも話題になっていたのですが、そもそもヴァイキング時代に結婚指輪はあったのでしょうか。 一概に否定はで

楯の乙女 ― ヴァイキングの女戦士

2017年9月、スウェーデンで発掘されたヴァイキングの上級戦士(指揮官クラス)墓に埋葬されていた人物が最新のDNA鑑定の結果、女性であったことが判りました。 最初に発掘されたのは1880年代で、当時は有力な首長クラスの男性の墓だと思われていたようです。 場所はヴァイキングの交易都市ビルカ、時代は10世紀中頃。 剣、斧、弓矢などの武器と2頭の馬、ゲーム盤と駒 (ネファタヴルでしょう) がともに埋められていました。 彼女は神話に登場するヴァルキュリア(ヴァルキューレ)のよ

ヴァリャーギ(ビザンツの北欧人親衛隊)とルーン石碑

北欧人は、ヴァイキング時代以前からすでに東方へ進出していましたが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に滞在したスヴェア人(スウェーデン人)の存在が初めて知れるのは、839年のこと。 ビザンツ皇帝がフランク王国に派遣した使節団の護衛を務めていたようです。 その後、有名なところでは、ノルウェーのハラルド苛烈王 (1015頃~1066) が異父兄オーラヴ(聖王)が戦死した1030年のスティクレスタズの戦いの後、スウェーデン、ロシアを経由してビザンツ帝国に向かい、500

ハラルド美髪王の家系

ハラルド美髪王(ハーラル1世、c.850 - c.932)の家系とフラジル(ラーデ)の侯家との関係を中心にした相関図を作ってみました。 美髪王の妻は重要と思われる6人のみ記載、ほかにも兄弟多数とか端折ったところもありますが、此処に並んでいる人達だけでもいろんなサガに語られる沢山のエピソードがあります。 右端の〈徒歩〉のフロールヴはノルマンディー公ウィリアム(ギョーム)の先祖ロロです。彼とフラジル(ラーデ)の侯家は親戚だったのですね。 ノルウェー王家(美髪王の家系)とフラ

土の塊の中からヴァリャーグのフィギュア

今から6年前、2016年。 スウェーデン南東部、ストックホルムとエスキルステューナの間にあるクラハーマルという場所にあるヴァイキング時代の墳墓遺跡で大規模な発掘調査が行われた時のことです。 発掘チームが鉄以外の金属をマッピングした際、小さな不定形の茶色の塊が採取されました。 土に覆われていましたが、金属反応があったので丁寧に洗浄してみたところ、中から戦士を象った銀製フィギュアが姿を現したのでした。 戦士は長髪で、顎が長く見えるのはたぶん髭を伸ばしていると思われます。右手に