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無職だった頃、マイクラに支えられていた

2018年の6月から半年間、僕は無職だった。大学在学中から働き続けていたバイト先がつぶれてしまったからだ。

もちろん、次の就職先を探さなかったのは怠慢以外の何物でもない。しかし、ほんのりと人生に絶望を感じていた僕は、新たなバイト先を探す気になれなかった。

そんな僕にも友達がいた。

頭がよくて、繊細な感性を持っている素敵な友人。彼は河島(仮名)といい、僕の高校の同級生だ。

彼は音楽をつくるのが得意だった。それだけで食べていけるわけではなかったらしいけど、自分の「好き」を仕事にしてお金をもらっていた。当時の僕はそれが羨ましかった。

僕と河島と、それからフジタ(仮名)というもう1人の親友の3人で、よくゲームをした。そしてやがて河島の彼女を加えた4人で、オンラインで通話を繋ぎながら夜を使いはたした。

◇◇◇

無職という焦り。心がほんのりと鬱に侵食されていく。実家で負い目を感じながらも、前を向くことができなかった。

引きこもるように自室で過ごした。

夜にみんなでゲームをする時だけが僕の幸せだった。フォートナイトやスプラトゥーンなど、技術が必要なゲームは神経を使った。勝ち負けがはっきりしているのも、良くも悪くも刺激的だった。

そんな中、僕は河島からマイクラに誘われた。

マインクラフト。「つくる」ゲームというのだけはなんとなく知っていた。しかし、詳しくは知らなかった。

河島は彼女とふたりで自分たちの国を作っていた。見せてもらったけど「すごい、すごい」という言葉しか出てこなかった。

世界のすべてが直方体のブロックで構成されており、それを壊したり積んだりしながら自分の世界を作っていく。

その日の夜にダウンロード版を購入して、僕も通話を繋ぎながらマイクラの世界に入っていった。

◇◇◇

「ここに牧場をつくりたい」

と言った。牛を飼うことでお肉やミルクが手に入る。そして牛たちは小麦を与えることで繁殖する。

その小麦はというと、水辺の耕した土に種を植えることで、時間が経つと収穫できる。

時間がかかるので、育つ小麦を待つ間に鉱石を掘りに出かけたりする(ちなみに僕たちはこの鉱石掘りを、皮肉と自虐を込めて「仕事」と呼んでいた)。とにかくやることがたくさんあった。

「牧場、いいじゃん」

と河島が言った。彼の言葉には関西訛りはあまりなく、この時期は僕もつられて標準語っぽく話していた。

何かをするのにいちいち許可をとらないと気が済まない性格だった。自分の決定に自信がなく、「怒られること」「許されること」の2つでしか考えられなかった。

でもこのゲームは何をしてもいい。畑を作ってもいいし、ひたすら冒険してもいい。大きなお家を作ってもいいし、木を植えてもいい。

「⚪︎⚪︎作ってもいい?」なんて馬鹿らしくて、僕はすぐにそんなことを訊かなくなっていった。

◇◇◇

フジタから後で聞いたのだけど、河島は「マイクラっていいゲームだな」とこぼしていたのだという。

勝ち負けがはっきりしているゲームは、河島の彼女の機嫌を損ねるかららしい。彼女の気分の浮き沈みが激しいのは仕方のないことなのだけど、僕たち3人は彼女の機嫌によく振り回された。

マイクラに勝ち負けはない。ひたすら自分の創造力のまま、興味の赴くままに世界を作るだけのゲームだ。

四角だけでできている世界なのに、雨はつめたいし、夕日はまぶしい。口に出したことはないけど、マイクラの夕日には何度も泣かされそうになったことがある。

◇◇◇

2018年の秋、僕は河島を裏切ってしまった。

本当にひどいことをした。許されざる行為だ。フジタだけが中立であり、僕たちを平等に扱った。

僕たち4人はバラバラになった。ゲームもしなくなったし、LINEで話すこともなくなった。

唯一、フジタとだけはたまに連絡をとるが、河島とその彼女が今どうしているかを僕は知らない。

2018年の暮れから僕は無職ではなくなった。新しいバイトを始め、少しだけ日々が充実するようになった。

◇◇◇

マイクラに「好きにやっていいよ」と語りかけられているような気がした。もっと自由でいい。自分の興味のままに。

あの時、河島を裏切らずにいられたらと想像することは今でもある。あの裏切りは必要だったとは微塵も思わない。当時の僕が何を考えていたのか今ではわからなくなってしまった。

6月にフジタと会う。フジタ経由で「河島はJAMさえ良ければ会ってもいい」と言ってくれていることを耳にした。本当にそう思ってくれているなら、僕は河島にも会いたい。

またみんなでゲームがしたいな。何かを自由につくるような。

スキしていただけるだけで嬉しいです。