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【悲報】2017年版のジャスティスリーグのCGがファンメイドのディープフェイクに惨敗してしまう

「オープニングのスーパーマン」の顔は、この映画の中で「最も多くスクショされた」シーンだと思われます。低品質なCGや、伏線かなと思わせておきながら一切回収されない台詞が、かなり叩かれたりミームとして定着したりしました。このシーンについて解説と、私の感想を述べます。

オープニングのスーパーマンとは?

文字どおり映画オープニングに出てくるスーパーマンです。

2017年に公開された映画『ジャスティス・リーグ』の開始7分間は全てジョス・ウェドンが脚本を変更して追加撮影したシーンが続きます。

1)スーパーマンを子供がスマホで撮影した映像
2)バットマンが屋上で強盗を利用してパラデーモンを捕獲するシーン
3)オープニング曲に合わせて描かれる悲しい街並み

これらは1つたりともスナイダーカットには出てきません。

物語は迷惑系ユーチューバーがスーパーマンに凸する場面から始まります。

映画が始まるといきなり縦長のスマホ画面です。どうやら子供が録画(ポッドキャスト?)しているものだと分かります。前作『バットマンVSスーパーマン:ジャスティスの夜明け』でスーパーマンは戦死しているので、それよりも前に録画されたという設定だと思われます。

子供は「胸のSの文字は意味は?」「カバと戦ったことはある?」といった無邪気な質問攻めにしてきます。そして最後に「地球で一番良い点は何?」という質問を投げかけられ、スーパーマンは少しだけ考え込んで、何か思いついて笑顔になった瞬間に、映像が一瞬乱れて途切れます

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私が加工したのではなくて実際の映画でマジで一瞬こうなります。

解説:叩かれポイントその1:口ひげ

ウェドン監督の追加撮影時にスーパーマン役のヘンリー・カヴィルは彼の次の出演作『M:I フォールアウト』のために口ひげを伸ばしていました。次回作の配給元のパラマウント社との契約でカヴィルは「剃ることは禁止」されていたので、ウェドンは口ひげがある顔で撮影し、後からCGで消す手法を選びました。これが大失敗だった。

追加撮影から映画公開までは時間もなく、突貫工事で作られたCGの品質はお世辞にも良いとは言えないものでした。せっかくのギリシャ彫刻のようなカヴィルの美しい顔は、不自然に歪んで不気味な顔になりました。そんな顔を観客は映画冒頭からマジマジ見つめることになってしまったのです。

やがて冒頭シーンのスクショが出回るようになってくると、すぐにツイッターで拡散されました。さらに映像が入手できるようになると、第三者がディープフェイク技術を使いヘンリー・カヴィルの顔を当てはめたものが拡散されました。結果はディープフェイク映像の方がはるかにマシだったので、ワーナーブラザースは「数千万ドルの追加予算を投入して何をやってくれたんだ」と大ひんしゅくを買うことになりました。

ディープフェイクといえば最近はスマホアプリにもある、自分の顔をデコレーションしたり、知人や有名人の顔に置き換えたりする技術のことです。今回シェアされたスーパーマンの映像は、さすがにスマホレベルよりは一手間かけているようですが、それでも個人が対応できる範囲内であることに変わりはありません。

なお映画公開から4年が経っていますが、ディープフェイクは人工知能(AI)を使って画像を作り出す技術なので、この数年間のAIの進化によって「高品質な」映像の作成が可能になった手法ではあります。(とはいえAIに計算させて画像を作るか、アニメーターさんが自分の脳みそを使って地道に描画するか、というだけの違いなので、当時の仕事の粗悪さを弁護することはできませんが。)

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人工知能(AI)を使い人物をすり替える技術がディープフェイク。

解説:叩かれポイントその2:カギ

胸のマークは彼の故郷の惑星では希望を意味するが、Sに見えることを言及されてスーパーマンは返答します。「希望というのは車のカギみたいなものさ。すぐに無くしてしまう。でも身の回りをぐるぐる探してみると…」この台詞が海外ファンを中心にネタにされました。

まずこの台詞はスーパーマンが途中まで話すも、子供には相手にされず次の質問で遮られてしまいます。ウェドンはこのシーンで観客に何を伝えたかったのでしょうか。笑

次に、スーパーマンが「希望」を車のカギにたとえてしまった点です。

ジャスティスリーグの前作にあたる『バットマンVSスーパーマン:ジャスティスの夜明け(以下BvS)』で、希望はとても重要なテーマでした。スーパーマンはこの世界に希望が見出せず悩み続けた挙句、死を覚悟します。そのとき彼は父親の亡霊に会い「俺もかつて絶望したが、希望を見つけた。それがお前の母親だ。彼女は俺が守るべき俺の希望であり、俺の世界だ」という言葉をかけられ、自分にとって希望とは何かに気づき精神的に成長してスーパーマンとして地球に戻ることを決意します。そして物語の最後に泣き崩れるロイスに対して「君が世界だ」と言葉をかけて、彼はドゥームズデイに特攻をかけます。そのくらい「希望」は重要なワードです。

さらに『BvS』の前作である『マン・オブ・スティール』では、実は全く同じ会話があります。その時は軍事施設の尋問室でロイス・レインに「胸のSは何?」と聞かれて、彼は「これはSではない。私の惑星の文字で希望を表す記号だ。これは川の流れをベースにデザインされている」と返答しているのです。車のカギを探し回る人をベースにデザインされていません。なぜ彼は相手によって答えを変えたのでしょうか。

さらに話を『BvS』に戻して、未来から現代へワープしてきたフラッシュがブルースに対して「ロイス・レインが鍵だ!」と叫ぶ台詞がありました。そのため、ジャスティスリーグで「ウェドンが書いた台詞はこれに対するアンサーであり伏線回収なのではないか」というネタが生まれました。

ウェドンがどこまで考えていたのかは謎ですが、「ロイス=車のカギ」という方程式を作ってしまったのは、まあいじられても仕方ないでしょう。彼はライトな作風を目指して、彼なりに工夫したのだとは思いますが、台詞の推敲や過去作へのリスペクトが足りなかったのは否めません。

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私の感想

ここまで叩かれる理由を説明してきましたが、実は私は、このシーン単体ではそんなに悪いと思っていません

あくまで「このシーン単体では」なので、そこらへんは誤解しないでくださいね。以下で理由を説明していきます。

当時の時代背景から考えてみよう

もう一度、時を2017年11月23日まで戻しましょう。私はまだウェドンがこの作品に酷いことをした事実を知りません。ザックが降板したことに対する不安はありましたが、ワーナーブラザース(以下WB)はザックの意匠に従って作品を仕上げると声明を出していたし、この時点ではまだウェドンとWBを信じていました。

ゼロベースのフェアプレー精神でこのオープニングを初めて観たときに私が考えたのは「なるほどそう来たか」くらいのものでした。

『BvS』の作風が深刻で難解で暗くて重たいのは事実です。それは芸術性を追求した結果であり、それこそがオリジナリティであるというのは私を含めた「比較的ディープなファン」には十分理解されていましたが、BvSが公開された2016年当時はまだ「スーパーヒーロー映画は明るくてナンボ」という考え方が客層やマーケットでは支配的でした。(実は明るい映画の代名詞だったMCUはルッソ兄弟がウィンターソルジャーやシビルウォーやインフィニティウォーでシリアス路線を開拓していくのですが…皮肉なものです)

映画も商売である以上、利益を求めなくてはなりません。MCUが大成功しているのを横目に見て、より数字につながりやすい「ファミリーに好まれる要素」を足したいというWBの意向には一定の理解ができると思います。実際に「僕らもBvSではやりすぎたと思ったから、ザックと相談してジャスティスリーグでは少し明るく軌道修正した」という脚本家クリス・テリオの言質もあります。

明るくするための解決策として、スーパーマンと子供の微笑ましい会話を入れるのは悪い手ではないと私は思いました。

初回鑑賞時の時点で私はこのシーンがウェドンによるものだという確信はありませんでしたが、これからスーパーマンの失われた世界を描く前に、スーパーマンが世界の子供達にとって大切な存在だったことを示すシーンから始めるのはアリだと、私は今でも思います。

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日本語字幕のせい?

初回鑑賞時に顔面の違和感があまりなかったのは、日本語字幕で観ていた影響も大きいかもしれません。

私は字幕が出るとどうしてもそちらを読んでしまうので、画面への注意がおろそかになります。しかもこのシーンは子供がスマホで撮影した設定だったので、画像が粗かったり手ブレで視線が固定されなかったりするものでした。(アラを誤魔化すためウェドンはわざとやっていた可能性もあります)このためスーパーマンの顔がそこまで崩れていると初回視聴時に私は感じませんでした。もしかしたら最初の数分間の私は「無事に公開されて良かったーっ」て涙ぐんでいたせいかもしれません。笑

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カヴィルの顔が好きで映画を見に行った人はすぐ気づいたでしょうね。苦笑

なお後日ツイッターで出回るキャプチャや、自宅で字幕なしで見たときに、私も「この映像は不自然で低品質だな」と思うようになりました。

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初回鑑賞時から納得できなかった部分

シーン単体で見ればまだ問題ありませんでしたが、映画が進むにつれて私の不信感は募っていきました。そして映画が終わる頃には「あの冒頭のシーン不要だったじゃねえか!」と不満を抱くようになりました。これは初回視聴時の感想です。

その理由はスーパーマンが一番大事なものを結局最後まで言わなかったからです。

子供「ねえスーパーマン、地球で一番良い点は何?」
スーパーマン「そうだな、う〜ん。あっ」(ピコーン!)
『ザ…ザザ…ブツリッ!』(なぜか映像が突然切れる)

映画館でこの時の私:
お、これは映画の最後に何が一番良いのか言ってくれるぞ。ワクワク。

映画館を出る時の私:
映画の冒頭であんな前フリをしたら、そりゃ最後までには「あの時なんて言ったのか」を示す展開にすべきだろうが。伏線回収して感動を盛り上げるためでなければ、何だったんだ、あの会話は???

といった感じで、すごく基礎的なレベルで物語の体裁をなしていない映画に仕上げたウェドンに対する違和感と不満がこのとき生まれました。

やがて海外から情報を仕入れ、これは『ジョスティス・リーグ』という名前の別作品であるという海外ファンの常識を知り、それから数年間と続くことになる「スナイダーカットを求める長い戦いの日々」が始まるのでした。

ジョス・ウェドン監督の名前にちなんで「ジョスティス」と呼ぶそうです。

さて、時は流れ。

2021年、いよいよスナイダーカットが公開されました。

ウェドンの撮影素材を完全に取っ払って、当初のスナイダーのビジョンだけでつないだスナイダーカットにはこんな酷いシーンは一切ありません。ストーリーの大枠こそ同じですが、全く別の映画になっています。

スナイダー作品が好きな人はもちろん、アメコミ映画が好きだけど2017年版ジャスティスリーグを見てつまらないと思ってしまった人にこそ見てほしいです。映画好きであれば嫌いになる要素なんてほとんど無い、本当に高品質な作品に仕上がっているので皆さんスナイダーカットを見ましょう。

了。


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