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ソーシア政権の終焉とオースマス新監督への期待

先日、エンゼルスのマイク・ソーシア監督の退任とブラッド・オースマス新監督の就任が発表されました。そこでソーシアがエンゼルスにもたらした黄金期とその後の衰退、そしていかにして19年もの長期政権を築き上げたのかを近年のエンゼルスの歴史とともに辿ってみたいと思います。

・リーグ優勝目前からの悲劇とその後の暗黒期

1961年の球団拡張で誕生したエンゼルスは1980年代になると名将ジーン・モーク監督に率いられ、1982年にはリーグ優勝まであと1勝というところまで到達します。さらに1986年にはリーグ優勝まであと1球まで迫ります。しかし、守護神のドニー・ムーアが逆転2ランを被弾。ファンからの酷いバッシングを浴びたムーアは翌年大不振に陥り解雇、自ら命を絶つという悲劇が起きてしまいました。そこからエンゼルスは十年以上に渡って暗黒期を迎えます。この時期に毎年のように監督を交代したことが後のソーシア政権の長期化に繋がったのではないでしょうか。

・ソーシア就任とワールドシリーズ制覇、黄金期の到来

2000年、ついにソーシアが監督に就任します。就任後2年は3位に沈みますが、3年目の2002年にはワイルドカードから勝ち上がり球団史上初のリーグ優勝&ワールドチャンピオンに。ワールドシリーズではバリー・ボンズや新庄剛志が所属していたサンフランシスコ・ジャイアンツを4勝3敗で下しての悲願達成でした。特にソーシアの機動力野球は「スモールベースボール」と呼ばれ、その采配とカリスマ性に注目が集まりました。その後は2009年までの7年間で5度の地区優勝と黄金期を築きます。

・低迷期とディポトGMとの確執

2010年代に入るとオーナーのアルトゥーロ・モレノの方針でジョシュ・ハミルトンCJ・ウィルソンアルバート・プホルスと次々に大型契約を成立させますが、補強とは裏腹に勝率5割前後を彷徨い地区優勝から遠ざかるようになります。さらにはハミルトンの解雇をきっかけにソーシア率いる現場の選手とジェリー・ディポトGMの間に軋轢が生まれ、権力闘争に敗れたディポトは大型契約の失敗を理由に辞任(事実上の追放)してしまいます。新しくGMに就任したビリー・エプラーは編成に関してもソーシアの顔色を伺う場面が多くなり、ますます権力を握る結果となりました。

・ソーシア退任とオースマス新監督への期待

2010年代後半に入りデータ全盛期となったMLBでは、監督の権限が徐々に小さくなっていきます。前述のような経緯で監督以上の権力を握ってしまったソーシアは徐々に時代に合わないものになっていきました。2002年、マネーボール元年に頂点に立った監督が、その後のデータの隆盛とともに時代に合わなくなっていったのはなんという皮肉でしょうか。最近では監督の手腕への疑問の声も多く、契約最終年の今季は開幕当初から退任の噂が囁かれ、最終的には自ら身を引く形となりました。しかし、ソーシアが球団初のワールドチャンピオンをもたらし、黄金期を築き上げた実績は色褪せることはありません。また、在任19年で最下位が一度もなかったことも特筆すべき実績でしょう(同時に解任される理由もなかった)。

ソーシア監督全成績

2000年 82勝80敗 3位
2001年 75勝87敗 3位
2002年 99勝63敗 2位 ワールドチャンピオン
2003年 77勝85敗 3位
2004年 92勝70敗 1位  地区シリーズ敗退
2005年 95勝67敗 1位 リーグ優勝決定シリーズ敗退
2006年 89勝73敗 2位
2007年 94勝68敗 1位 地区シリーズ敗退
2008年 100勝62敗 1位 地区シリーズ敗退
2009年 97勝65敗 1位 リーグ優勝決定シリーズ敗退
2010年 80勝82敗 3位
2011年 86勝76敗 2位
2012年 89勝73敗 3位
2013年 78勝84敗 3位
2014年 98勝64敗 1位 地区シリーズ敗退
2015年 85勝77敗 3位
2016年 74勝88敗 4位
2017年 80勝82敗 2位
2018年 80勝82敗 4位
合計 1650勝1428敗 平均順位 2.3位

ソーシアの反動というわけではありませんが、オースマス新監督には現場の指揮官としての手腕ではなく、現場とフロントとの潤滑油のような役割を期待されていると考えられます(当然のように編成に口を出す権利もないでしょう)。実際、選考の際にもデータを扱えるかどうかは重視されており、エプラーGMもそのように考えていることは明らかです。ファンになってから初の監督交代で期待と不安の入り混じるような気持ちですが、今年もアストロズの優勢が続きそうな状況ですので、どんな結果になろうとも温かく見守りたいと思っています。


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