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あたしとあたし以外のひと

この夏は暑い暑いと言いながら、たくさん遊んだ。
この気温で、脳がぼーっとしてしまうから仕事どころじゃない。夏休みってマジで必要だよな、と思う。

先週末は、長野県・南佐久郡川上村にあるキャンプ場「istイスト - Aokinodaira Field」に行ってきた。八ヶ岳にほど近い場所に位置する。
「Backpackers’ Japan」が手がけたキャンプフィールドで、このたびは友人たち5人とコテージ「Hut」に宿泊した。

自然の中に身をおいて(Hutの前の池にはアヒルの親子が泳いでいた)、友人たちとさまざまな話をした。涼しくて空気もおいしいから、アタマも冴える。

友人のイシザキさんが「みんなとやりたいゲームがあって」と、トランプのような箱をテーブルに置いた。
「インサイダー・ゲーム」というカードを使ったゲームだ。
小さなカード(札)を引いて、ゲーム進めるマスター(MASTER)を決める。また別のカードを引き、お題をマスターが確認。そのお題について、そのほかのひとたち(庶民/COMMONS)はマスターに質問をしていく。
「それは、概念ですか?」
「いいえ」
「それは、物体ですか?」
「はい」
「それは、奈良の大仏より大きいですか?」
「いいえ」
……という具合に。

そうやって、たくさん質問を重ねていって、
「それは、レシートですか?」
「はい! 正解」
となる。
ただし制限時間内(わたしたちの場合は6分)にお題を当てられなければ、マスターの勝ちとなる。

さらに、ただお題を当てればいいわけではなく、質問をする庶民のなかにインサイダー(INSIDER)という、実はお題を知っている人がいるのだ。インサイダーは、正解に近づくような絶妙な質問をしなければいけない。直球過ぎたらバレるし、だまっていたり遠回りしすぎたりしても制限時間がいっぱいになって、負けてしまう。
お題を当てたら、庶民とマスターは、誰がインサイダーなのかを話し合って決める(最終的にはそれぞれにインサイダーだと思う人をせーので指す。これは制限時間なし)。
これが、意外と難しい。相手をよく知っていたとしても、けっこう外れる。

誰が、どの役割になるかも大きくゲームを左右する。わたしがマスターをやったときは、お題の「サバンナ」の実態がよくわかっておらず、知ったかぶりをしたせいでゲーム自体が混迷した……。質問に対して情感をのせた答えをし、一同をうっとりさせるマスターもいた。

***

インサイダー・ゲームも、行き帰りの車中での会話も、テンション上がって買いすぎた食材も、それらを無駄なく使った料理も、ミュージシャン・小田晃生さんのライブも(これが旅の目的。小田さんが奏でるギターと歌、秋の近づく夜風、鈴虫の声がまじりあってそれはもう……)、焚き火も、朝ビールを外で飲むことも、ぜんぶが好きで、気分が充足するものだった。

旅の終わり、「これって、なんだろう?」といつも考える。が、楽しかった出来事たちをひとつひとつ思い出しては満足し、ろくに思考せずに「ああ〜最高だった」とそこで終えていた。

だけど、ふと思った。
この旅をともにしたひとたち、わたしが好きでいるひとたちに共通するのは
「自分と自分以外」をわきまえているひとたちなのではないかと。

「あなたとあたしは違う人間。それを前提にして、楽しみましょう」
こういうひとたちなのだ。
ああ、あと「ことばを大切にする」っていうのもあった。
だから、ゲームを一緒にやろうと持ってくる友人がいることに感激するし、一斉にゲームに夢中になれる。

自分と自分以外というのは、冷たく突き放しているのではなくて、「その前提があるからお互いが分かり合うためになにができるかを一緒に考えようね」というぬくもりのある考え方。

どんなときも自然体でいれるひとってあんまりいなくて、こういう条件があるからこそ、リラックスしてのびのびとできるんじゃないか。

少なくともこの週末、わたしはリラックスしてのびのびと過ごしました。


写真=石崎 嵩人

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