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夜の夜市に行ってくる(台北・臨江街觀光夜市③)

台北の街に夜の帳が下りる。
何と言っても夜は台北の時間だ。
そして夜市の夜市たる所以がその時間にはある。

朝の夜市は街の人が買い出しに来る朝市だった。
昼の夜市は生活する人たちで溢れるエネルギッシュな場所だった。
夜の夜市を見るときがやってきた。

三度目のあの市へ

しばらく別の場所を歩いていた私は、夜になり、三度目の臨江街観光夜市へと赴いた。

最寄りの信義愛和駅を降りると街はすっかり真っ暗で、美しい朧月が空には登っている。
朝や昼とは印象が違う。

私はまるで蛾のようにあかりを求めて彷徨った。
土地勘もついてきたので、繁華街である「通化街」と夜市までたどり着くのにさほど時間はかからなかった。

夜の通化街

夜の夜市

夜の夜市の人だかりは朝や昼の比ではなかった。

ぼんぼりや裸電球の明かりがついた細長い路地に人が押し寄せ、思い思いに買い物や食い物に興じている。

物凄い熱気の夜市

朝や昼にあったナッツ屋や青果店は鳴りを潜めている。
その代わり、今まではみなかった食い物系の露店がいつの間にやらできている。

その雰囲気はさながらお祭りの屋台や学園祭の模擬店だ。
しかし、冷静に考えると、我々日本人が一年に一度くらいやって悦に行っているようなイベントをこの人たちは毎日やっているということになる。
エネルギー量の違いを見せつけられる。

まだ腹はそこまで空いていない。
ちょっと歩いてみよう。
何なら何周もしてみよう。

雑踏の肖像

細長い臨江街の真ん中は怪しげな露天商の区画となっている。
ワゴンに怪しげなサンダルや鞄を入れていたり、地面に絨毯を敷いてその上に商品を並べたりする。
誰が買っているのかは知らないが、きっと誰かは買うのだろう。

だがおそらく彼らの商売は違法なようで、何周かすると、毎回、別の店に入れ替わっている。
なんとスピーディーな場面転換だろう。

衣料品コーナー。謎のワゴンがある。

細い道の両サイドにはずらりと食べ物の露店がならぶ。
愛玉(アイユー)などのスイーツ系から、牡蠣を使った料理、魯肉飯までさまざまな食い物が、さまざまな香りを漂わせている。

羊肉串を喰らいながら

歩き始めは空腹も感じていなかったが、この悪魔的空間を前に、徐々に腹が減ってくる。
何かないか、と店を物色しながら歩くと、「羊肉串」というのが目につく。
私は羊肉が好きだし、肉を串にさして焼く料理にも目がない。
これは「買い」である。

兎にも角にもジェスチャーで「串をくれ」と店主に伝える。
店主は頷き、あつあつの串を手渡した。
正確な価格は忘れたが、安かった。
安かったが故に、肉も分厚いわけではなかったが、スパイスが効いていて美味かった。

羊肉串は棒切れのようだがうまい。

一度食い物を食うと、人は食い物をひたすらに求めるようになる。
私はそろそろ夕飯にしようと思った。
今宵の気分は羊だったのか、すぐに目に入ったのは「羊肉飯」である。
露店形式ではなく、しっかりと建物を持った店だった。

羊肉飯屋にて

中国語圏の旅で楽なのは、漢字を見ればその意味がなんとなくわかることだ。
逆に大変なのは、意味はわかるのに読みはさっぱりわからないということだ。

注文するにせよ、口に出さねばならないが、今回の場合、「ヒツジニクメシ」というわけにもいかない。
「魯肉飯(ルーローファン)」からの類推で、「ヨウローファン」だろうか。

考えていても埒は開かないので、私はポケットからメモ帳を引っ張り出し、「羊肉飯」と書き殴った。
中国を旅した日本人がおそらく隋の時代から行ってきたであろう伝統的コミュニケーション技法、筆談を発動するときが来た。

店先にいた気の良さそうなおじいさんにメモ帳を見せる。
すると、おじいさんはニコニコ笑いながら、
「アア、ヤンローファン」という。
「ヨーローファン」なんて言わなくてよかった。

席につき、しばらくすると、今度はおばあさんが丼を持ってきた。
ご飯の上に牛丼のように、薄くスライスされた、茹でた羊肉がのっている。

一度口に運ぶと、強すぎず弱すぎずちょうどいい肉の香りが口に広がる。
ご飯部分は、大量の肉に埋もれているようで、なかなか到達できない。

味はというと、少し薄味である。
テーブルにはいくつか調味料がおかれている。
たぶん、好みの味にして食うのだろう。
私は食べる辣油のような薬味をドバッと入れた。

これがミスだった。
辛味のおかげで味が締まった一方で、猛烈な辛さが私の口全体に襲いかかったのだ。
体中から汗が吹き出し、口から火が出そうだった。

しかも、もう一つ誤解があった。
この丼は薄味なのではなかったのである。
肉のタレ(しかも辛い)が丼の奥底に控えていたのだ。
混ぜて混ぜてちょうど良い味にするのが正解だったらしい。

だが、そんな痛恨のミスを繰り返したのにも関わらず、この羊肉飯の印象は悪くない。

ほのかな羊の香りが食欲を誘い、味も深みがある。
ふとした瞬間に、また食べたくなる味だった。
日本で魯肉飯が食えるなら、そのうち羊肉飯も食えるようになってほしい。

羊肉飯の旨味と、自業自得の辛味を交互に受け取りながら、汗を拭き拭き、私は丼一杯平らげた。

おばあさんに代金を払い、
「謝謝、好吃(ありがとう、おいしかった)」と伝えると、満面の笑顔を浮かべて、
「謝謝」と返してくれた。

口の中はヒイヒイ言っているが、いい時間を過ごせた。

原住民山猪香腸

腹ごしらえもしたので夜市に繰り出す。
口の中の辛味を誤魔化すため何かを探して歩いた。

原住民山猪香腸
という言葉が目に入った。

台湾といえば、中華系の国というイメージが強いが、今でも東部や山には原住民と呼ばれる人たちが住んでいる。
山猪はおそらくイノシシで、香腸はソーセージだ(なんとダイレクトな表現だろう)。
つまり、原住民のイノシシソーセージ。
食べてみたくならないはずがない。

原住民山猪香腸。
本当に原住民が食っているのかは知らない。

私は焼かれているソーセージを指差し、一本もらった。
見た目は普通のソーセージである。
一口齧ると、甘めの味付けで、肉はワイルドだ。
歩きながら食うにはもってこいだ。

通化街のバーベキュー

夜市を歩くうち、夜市から少し離れた通化街に来ていた。
ここもここで盛り上がっているが、今夜は早めに店じまいのところも多そうだ。
やっていたところで、私の胃の容量は腸で一杯になったので挑戦できなかったのだが。

店の軒先で店主やその家族と思しき人たちが肉やら何やらを焼いて食っている。
それも一軒や二軒ではなく、飲食店から商店まで、さまざまな店の前でやっている。
一体どんな風習なのだろうか。
図々しく、「何やってるの?」と聞けるほどの語学力と度胸があればなあ、と思いつつ歩いた。

後で知ったのだが、この日は中秋の名月の日。
確かに月は美しかった。
台湾では中秋の名月の日に、団子ではなく、バーベキューを楽しむという。

私は楽しい気分に浸りながら、十五夜の夜市を後にした。

中秋の朧月

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