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1/34の果てに

優勝から早いものでもう一週間近くが経とうとしているが、未だに何度もシャーレを掲げる姿を寝る前に見たり、何か新しい動画などないかTwitterを漁ったりしているのは私だけではないだろう。

結果こそドローであるものの、急遽始まったYSCC応援パブリックビューイングや、その後の感動的なセレモニーなど、非常に濃密な時間を過ごすことができた。自慢できるぜ、あの場に居合わせた8000人超。

このチームを昔から追ってる人こそそんな気持ちが強いかもしれないが、そもそもシャーレとか優勝とか、そんなものは無縁のチームであると思っていた。J3を脱出するにしても2位とかでしれーっと上がり、J2でものらりくらりとたまに上位に顔を出すクラブだと思っていなかったか。

そんな俺たちにあんな豪華なエンブレムとチーム名まで入った優勝ボードだったり、夢物語の中にしかなかったシャーレを掲げる北九州の象徴がいたりと、あの空間は夢だったのかもしれない。夢にしては観測人数が多すぎる。

池元友樹がシャーレを掲げた瞬間にはやはり何かこみ上げるものがあったし、玉井社長の涙のスピーチ、小林監督のお話、内藤洋平の心に刺さるメッセージと、本当に素敵な時間だった。

最後に全員のコールをしている時、弘堅がコールリーダーの方へ来て握手なのか声をかけたのかまでは見えなかったが、そんな姿はとてもグッときたし、コールリーダーがシャーレを掲げた瞬間にも言葉にならないような思いがあった。なんというか、いいものですね優勝というのは。

こんな嬉しい振り返りは既に散々やり尽くされていると思うので、しばらく筆を執ることはないと思っていたのだが、この感動的な試合の中で少し腑に落ちていなかったことがあった。そこに対して今週ぼんやりと少しずつ考えていたのだが、ようやくストンと落ちたのでちょっと話をさせてほしい。

もうカウントダウンはしない。今回のテーマ。

「1/34の果てに」

鳥取戦。ドロー決着となったものの、俺たちは舐めてかかっていただろうか? 選手たちも含め、そんなことは毛頭ないと思う。入り待ちでは熱気が凄まじく、今日は絶対負けないわと思うだけのパワーがあったし、選手たちも必ず今日勝って決めてやろうという集中といい顔が見られた。まあただ池ちゃんも言うように少し固くなっていた部分は否めない。

ではなぜ勝てなかったか。鳥取が北九州というチームを相手に、最大限のリスペクトを持って対策を取り、勝ちをもぎ取りに来ていたからに他ならない。

今シーズンの北九州は3バックのチームに対して攻めあぐねることが多い。個人的な感想だが、3バックの場合は守備時に両サイドがそのままラインに吸収されて5バックのような形を取ることが多い。サイドを有効的に使うことが多い北九州だが、5バックでサイドのスペースを消され、外に外に追いやられる形になるといまいちリズムを作ることができないということだと考えている。そうなった場合の“プランB”をまだしっかり持てていない。

夏場に少し失速が見えたのはこの辺りの対策を上手く取られるようになってきたというのもあると思っているが、そこに関しては主に髙橋大悟の加入でウィークポイントとしては目立たなくなった。髙橋大悟や野口のようなサイドプレイヤーが敵陣深くまで抉ろうとするも上記のような形でスペースが作れない。そうなったときに大悟の場合ゴールへと自分で向かうカットインという形がよく見られる。守備陣5枚でしっかりブロックを形成していたとしても、中に切り込まれるとサイドのDFは絞らざるを得ない。そうなると野口が使える裏のスペースができる。大悟には選択肢が増える。野口を使う、自分でシュートまで持って行く、町野や池元を使って裏に抜け出す。DFは選択肢が多い中でどれが来ても対応できるような位置取りをする。外に外に逃がせば怖くなかった状況とはまるで話が違ってくる。大悟の選択に対して「少し」遅れる。この遅れがサッカーでは命取りだ。

というように髙橋大悟の加入によりこのような形で攻撃パターンがかなり豊富になった。大悟がかき回すことで加藤弘堅の裏へのボールや楔も打ちやすくなり、ここのウィークポイントは見えなくなった。(この辺の戦術論に関しては私もプレイヤーでなくなってからもう長いので、あくまでサッカーを長く見てきた素人の意見に過ぎないと捉えてほしい)

しかし、今回鳥取は北九州のサイド攻撃を徹底的に集中して封じ込んだということと、髙橋大悟・加藤弘堅を自由にさせなかった。こういった場面でもサイドチェンジや裏へのボール、FWへの楔などでリズムを変えたり、スイッチを入れたりするパスで打開できることもあるが、優勝へのプレッシャーかイージーなミスが多かった。そこをもっと上手くやっていければ良かったのだが、鳥取も強かった。フェル爺が入ったときはやべえなと思ったもん。。

鳥取がしっかりと北九州をリスペクトしてくれていたということと、この一年間で北九州というチームはそうされるべきチームになったということである。あとは、“優勝見届人”鳥取としては何としてでも目の前での優勝を阻止したかったというモチベーションは高かったかもしれない。その戦いで勝ち点1に抑えたにも関わらず、藤枝がここへ来て0-3とは一体何の因果か。

前半から鳥取に上手くしてやられた形にはなるのだが、私は早い時間からビハインドの中で少し感動を覚えていた。

あの場にいたサポーターが誰一人としてこのまま終わるとは思っていなかった。私も含め、普通に逆転できると思っていたし、それだけの力が今の北九州には確実に備わっていると信じていた。去年までであれば、先制点を食らった時点でため息のような声が漏れ、どこからか「やる気あるんか!?」みたいなヤジが飛んでいたと思う。それがこの試合では全く聞こえなかった。私はゴール裏にいたが、まあそう簡単に優勝はさせてくれんよな~いい試練ですよくらいの雰囲気しかなく、気落ちする感じがなかった。それは今シーズンこのチームがしっかり戦い続けてきた賜物であるし、俺たちサポーターもこのチームを信じてきたからだろう。


さて、メインの話となるが、私の腑に落ちなかった点は一つ。

何故引き分けでよしとした? ということである。

やはり勝利でこの世にただひとつを歌いながら優勝の瞬間を見届けたかったという思いがあり、最後サイドで時間稼ぎをするようなプレーだったり、生駒の投入だったりと勝利より引き分けでOKとするような采配には少し疑問であった。もちろん今シーズンのコバさんの偉業が色あせるわけでもないし、いつもならディサロを入れて2点目を取りに行ったのでは? という単純な疑問だ。

優勝というのは34試合の積み重ねによるものなので最後が勝利で決めるか引き分けで決めるかなど何の関係もないし、町野の言うとおり「優勝したからいいんじゃないですか」ということである。

そこに関して少し腑に落ちず、今週ゆっくりと考えていた。その上で私の行き着いた回答がこちらである。

監督は100%優勝するための采配をしていた、ということだ。

鳥取戦の前までで藤枝には勝ち点差が5ポイントあった。考えるまでもなく、勝利すれば他に関係なく優勝が決まる。その状態で鳥取戦の前半を終え、藤枝は既に0-3のビハインドであった。これはハーフタイムの小林監督へのインタビューでインタビュアーが伝えているし、選手たちが後半入ってくるタイミングでビジョンに他会場の経過が映っていたのでみんなわかっていただろう。(余談だが、最終戦とかで他会場の経過は知らせてなかったみたいな話がよくあるが、ビジョンに映すか否かは監督とチームスタッフとの相談で決まるのだろうか? 気になる)

後半開始早々に北九州は追いつき、一気に逆転ムードが漂うも、鳥取がその後しっかりと立て直してからはカウンターの打ち合いであわやというシーンを何度も作られた。鳥取の最後の精度に助けられただけであり、大差を付けられてもおかしくはなかった。

この試合の北九州があまり上手く鳥取をいなせていないという中で、優勝は勝利で迎えたいからとディサロを入れて3トップのような形で最後まで攻め続けるという考えもあったと思う。しかし、これはけっこうな博打であったように感じる。フェルナンジーニョを中心に鋭い攻撃を繰り出す鳥取であったため、前がかりになればカウンターで勝ち越し弾を浴びる可能性は大いにあった。ディサロ投入で2-1にできる可能性ももちろんあるが、少しこの日のチームの出来では分の悪い賭けだったと言わざるを得ない。

サポーターはもちろん、選手たちの中でもこの試合を優勝の決まる特別な試合だと思っていた人もいるかもしれない。ただ、ここでの動きを考えるに、小林監督はこの試合を1/34としか見ていなかった、そう思うのである。

監督やスタッフが藤枝の経過をどれくらい確認していたのかはわからないが、前半0-3は普通一般にはYSのセーフティリードであると言える。仮に博打を打っても打たなくても、99%で幸せな未来は待っている。それでも、1%の悪夢がある以上、監督としては悪夢の芽を潰さずにはいられなかった。

少し抽象的な物言いとなったので具体的な話をする。北九州が最後前がかりになってカウンターを食らい、1-2での敗戦を喫してしまったとする。でも藤枝は負けただろう。ウチの優勝だ。

本当にそうか? 3-0は「一般的には」セーフティだが、相手はYSCCである。攻撃力の高さは言うまでもないが、その守備力には不安がある。後半、藤枝が1点を返したら流れが変わって一気に同点、逆転とまで行く可能性は他のチームを相手にするよりは遙かに高いと感じる。北九州が欲をかいたばかりに喫した痛い負けは、横浜で何かが起こっていた場合に最終戦の直接対決で優勝を決めるというとてつもない重さの試合を呼び込んでしまう“可能性”があった。

この藤枝大逆転のシナリオの上では、首位がプライドを捨ててでももぎ取った勝ち点「1」があまりにも大きな意味を持つことになる。この場合一試合を残して勝ち点差が3ポイントのため、鳥取戦での優勝は決まらなかった。それでも、3差であれば得失点差の関係で(オルンガでもない限り)ほぼ北九州の優勝が決まった状態での直接対決となる。負ければひっくり返る可能性のある試合とは大きく意味合いを変えるための「1」になる可能性があった。

結果としては99%を引き当てて藤枝との差は6に開き、優勝を決めた。99%を引き当てられるのならそれに越したことはない。それでも、“もしかしたら”があるのがサッカーだ。誰が一三スコアを予想したか? 長年第一線でサッカーを見ている小林監督だからこそ、この恐ろしさは拭えなかったのではないか。

よく名監督は“勝負師”と称えられることがある。言葉の感じから博打打ちのように聞こえてしまうし、今回で言うならば終盤ディサロを出して試合をひっくり返すような勝負師もいるだろう。それでも、本当の勝負師と言うのは最終的に、全てが終わったタイミングで自らの手に一番大きなリターンを得ている、そういう監督のことを言うのだろうと思った。

実際のところ、これは深読みで優勝するならせめて引き分けじゃないと……くらいの気持ちだったのかもしれない。ただ、小林監督ならそこまで先の先を見据えて、且つあくまでシーズン中の一試合に過ぎないという冷徹な目で采配を振るっていてもおかしくないことを俺たちは知っているだろう。


もう数日で、最後の1/34が来る。

この道のりを積み重ねたとき、俺たちは一体何を目にし、何を手にするのかまだわからないが、1/34の果てを見に行こうじゃないか。


できることなら静岡に駆けつけたかった。さわやかに行きたかった。

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静岡遠征民は何時間待ってもいいから絶対さわやかには行っとけ。頼むよ。


「1/34の果てに」おわり

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