要領が悪くて困る

 要領が悪くて困ります。
 たとえば、目玉焼きを作ろうとして、フライパンを出して、油をひいて、火にかけて、それから冷蔵庫を開けて………卵がない。こんな具合です。フライパンを出す前に卵があるかどうか確認しておくべきだったのに、要領が悪くて、順番を間違えてしまいます。こんな時には、急いでフライパンを洗います。失敗の痕跡を消すのです。フライパンを洗って、棚に戻します。全て、なかったことにします。それから、さて、どうしようか、改めて考えます。もともと、ごはんを食べようとしていたのでした。ごはんが少しだけ残っていて、何かおかずになるものが欲しかったのです。冷蔵庫の中を探します。要領が悪いのです。壊滅的に悪いのです。フライパンを洗う前に探しておくべきでした。失敗の痕跡を一刻も早く消したくて、先のことを考えていませんでした。冷蔵庫の中にベーコンがありました。先に見つけていれば、フライパンを洗う必要はありませんでした。洗ったばかりのフライパンを出します。油をひいて、コンロの火をつけます。それから、冷蔵庫を開けてベーコンを出します。馬鹿なんです。さっき冷蔵庫の中にベーコンを見つけた時に、出していませんでした。フライパンを洗ってしまっていたことを後悔して、自分の要領の悪さに落胆して、そのはずみで冷蔵庫の扉を閉めて、そのまま、ベーコンを出すことを忘れていました。すでにフライパンは火にかけてあります。ここでも順番を間違えています。火をつけるのは後にするべきでした。卵の時とは違って、今度はベーコンがあることはわかっていたので、火をつけておいてもいいと思ってのことでしたが、ベーコンは焼く前に切らなければならないものだというところまで考えが及んでいませんでした。ベーコンというものは、どうした理由があるのか知りませんけど、やたらと細長い形をしています。売り場で見かけるベーコンの多くが似たような形をしているので、何かわけがあってそういう形に切りそろえているのでしょうけど、食べやすさを追求した結果の形ではなさそうです。そのままの形では食べづらそうです。だから焼く前に一口サイズに切り分けておきたいのです。なので、一旦、火を止めておこうと思いますが、すぐに考え直します。魚を三枚におろすわけじゃない。キャベツを丸ごと千切りにするわけじゃない。たった二枚のベーコンを一口サイズに切るだけです。それほど時間はかからないはずです。切り終わった時に、ちょうどフライパンがいい具合に温まっているかもしれません。そんなふうに順調に行ったら、ここまでの手際の悪さの埋め合わせができます。よし、火を止めずにベーコンを切ろう。そう決めてから、包丁を出す。まな板を出す。そもそも切るための準備ができていませんでした。予定外のことに時間がかかってしまいました。こうなったからには、やっぱり一旦、火を止めておくべきなのかもしれません。でも、諦めたくないのです。要領が悪くて失敗ばかりなのは嫌なのです。たまにはうまいことやってみたいのです。やればできるはずです。できそうな予感がします。ちょっと急げばいいだけです。予定していたよりもちょっと急げば、包丁とまな板を出していた分の遅れくらい、簡単に取り戻せます。そんなわけで、急いで、ベーコンを二枚、あのパッケージの中から、フィルムを二枚貼り合わせて真空パックみたいにしてあるあのパッケージの中から、取り出そうとしますが、これが簡単には取り出せないものだということを忘れていました。あのパッケージは、フィルムを大きく剥がしておけばベーコンを取り出しやすくなりますが、残ったベーコンが乾燥しやすくもなります。乾燥するのは嫌なので、端のほうを小さく剥がしてありました。そこから無理に引っぱり出そうとすると、ベーコンが途中で千切れてしまったり、あるいは、使わない分のベーコンが貼りついて一緒に出てきてしまったりします。そういう事態を回避するには、菜箸などの長いものを、取り出したい二枚のベーコンとその他のベーコンとの間に差し入れて、引き剥がしたのちに引っぱり出すしかありません。手間がかかります。急いでいるのです。早くしないとフライパンが熱くなりすぎてしまいます。悠長なことをしている場合ではありません。菜箸など使わずに一気に引き抜こうと思います。もしかしたら、奇跡的に二枚だけきれいに引っぱり出せるかもしれません。急いでいる時には運が味方してくれそうな気がします。こういう時に味方してくれなくて、一体いつ味方してくれるのでしょうか。引っぱり出します。だめでした。全てのベーコンが貼りついて一緒に出てこようとしています。仕方がないので、菜箸を使います。半分出かかっている全てのベーコンを、菜箸でパッケージの中に押し戻します。もとの状態に戻りました。仕切り直しです。取り出したい二枚のベーコンと他のベーコンとを、菜箸を差し入れて引き剥がします。他のベーコンを菜箸でおさえ、二枚のベーコンを引っぱり出します。引っぱり出したベーコンをまな板の上に広げます。さっそく切ろうと思って、一度包丁を手に取りますが、すぐに置きます。使わないベーコンを冷蔵庫へ戻しておきたいのです。ベーコンを冷蔵庫へ戻して、振り返った時に、フライパンから、白い煙がもうもうと立ちのぼっていることを発見します。あわてて火を止めます。火を止めた後で、フライパンを持ち上げてコンロから離します。こういった、どうでもいいところでも、たびたび順番を間違えます。フライパンを戻します。天井に煙が薄く層を作っています。換気扇を回します。フライパンを見つめて立っています。今にも油が発火するのではないかと心配しています。発火に備えて濡れ布巾を用意しておこうとか思いません。ただ心配で、心細くて、立ちすくんでいます。しばらくして、フライパンの上に手をかざしたり、フライパンを持って油を回したりして、発火の恐れのなくなったことを確認します。それから、ベーコンを切り始めようとしますが、その前に、さっき包丁や菜箸を出した時に、それは同じ引き出しから出したのですが、引き出しの中が散らかっていたことを思い出します。今やらなくていいことです。わかっています。わかっているのに、片付けます。ことさら時間をかけて丁寧にします。そうするのにはこんな理由がありました。さっきフライパンの上に手をかざした時、熱を感じました。だから、すぐに火をつければ、いつものようにフライパンが冷めた状態から過熱を始めるよりも、もっと短い加熱時間で済むはずです。でも、どのくらい短くすればいいのかわかりません。油の中の気泡の具合から適温を見極められるほどの技能を持ち合わせているわけではないので、いつもと違うことをするのは、なんか、難しそうです。だからフライパンが完全に冷めるのを待ったほうがいいような気もします。でも、どっちみち適温を見極められないのだから、冷めるのを待つ意味はなさそうな気もします。冷めるのを待つか、待たないか、決めかねて、それで、引き出しの片付けをしながら決断を先送りにしているのでした。こうして、もたもたしているうちに、フライパンが冷めてしまえば、もう決断する必要はなくなります。引き出しの片付けを終えて、ベーコンを切ります。焼きます。切って、焼く。滞りなくできました。たまには、こういうこともあります。やればできるんです。でも、どうしてできたのか、理由はわかりません。だから後が続きません。焼き終わってから、なぜか包丁を持って、置いて、まな板を持って、置いて、フライパンを持って、置いて、引き出しに手を伸ばして、戻して、これは何をしているのかというと、次に何をするつもりだったのか忘れてしまって、とりあえず近くにある物を次々と手に取っては、あれでもない、これでもない、どれだったのか思い出そうとしているところです。やがて換気扇のスイッチに手を伸ばした時に、換気扇のスイッチとはなんの関連もないことですけど、そうだ、お皿を出そうとしていたんだ、と思い出します。焼き上がったベーコンを載せるためのお皿です。ベーコンを焼いたんだから、お皿が必要になることくらい当然のこととしてわかっていなければいけないはずなのに、うっかり忘れていました。こうなってくると、もはや要領の悪さの問題だけでなく、記憶力や認知機能の問題もあるような気がしてきます。年のせいでしょうか。いいえ、若い時からこうでした。お皿を出して、ベーコンを載せます。それから、お皿をテーブルへ持って行こうとしますが、まだ何かを忘れているような気がします。今度は無駄に動かず、じっとしたまま思い出そうとします。箸を用意しなければいけないということに気づきますが、忘れていたことを思い出したという手応えがありません。他に忘れていることがあるはずです。もうしばらく、じっとして考えます。何も思い出せません。もしかしたら、何かを忘れているような気がしたのは認知機能の異常による気のせいで、本当は何も忘れていないのかもしれません。そう思って、思い出すことは諦めて、ベーコンの載ったお皿をテーブルまで持って行きます。お皿をテーブルに置いた後になって、ケチャップを出そうとしていたことを思い出します。今度は手応えがありました。やっぱり忘れていたのです。ベーコンにケチャップをつけて食べるのが好きなのに、そんなことさえ忘れてしまうのだから、もう目も当てられません。しかも思い出したのはお皿をテーブルへ運んだ後です。台所までケチャップを取りに戻らなければなりません。先に思い出していればよかったのに、思い出すのはたいがい後です。時には変なタイミングで思い出すこともあります。ケチャップを取りに台所まで戻る途中で、ごはんの用意がまだだったことを思い出します。そもそもの目的が、炊飯器の中にちょっとだけ残っていたごはんを食べることだったのに、忘れていました。それをこのタイミングで思い出します。悪いタイミングです。ケチャップを取りに戻る途中で思い出したので、そのはずみで、ケチャップのことを忘れてしまいました。ちなみに、箸のことはもっと前に忘れています。台所へ戻って、食器棚からお茶碗を出します。お茶碗にごはんをよそって、電子レンジで温めます。ごはんをテーブルまで持って行って、さあ食べよう、と思ったところで、箸がないことに気づきます。台所へ取りに行きます。箸を持って戻って来た後で、そうです、ケチャップのことを思い出します。ケチャップは冷蔵庫の中です。台所まで取りに行かなければなりません。行こうと思って一歩踏み出した時に、ベーコンのお皿を持って行ったほうが効率がいいということに気づきます。つまり、お皿を持たずにケチャップを取りに行った場合、ケチャップを持ってテーブルまで戻って来て、ベーコンにケチャップをつけて、その後また、ケチャップを冷蔵庫に入れるために台所へ行かなければなりません。要冷蔵のものを出しっぱなしにはできないからです。ケチャップを取りに行って、戻って、冷蔵庫に入れに行って、戻って、つまり、二回も往復しなければなりません。ベーコンのお皿を持って台所へ行けば、台所でベーコンにケチャップをつけて戻って来ればいいだけなので、一回の往復で済みます。すでに、お皿を持たずに台所へ行こうとして一歩踏み出していましたが、まだ一歩だけです。一歩引き返せばいいだけです。一歩引き返してベーコンのお皿を持って行けば、一回の往復で済むのです。たった一歩引き返すだけでいいのです。でも、引き返しません。お皿を持たずに台所へ行ってしまいます。たとえ一歩でも、一度動き出してしまったら、簡単には引き返せません。
 ………こんなふうに右往左往して、ごはんを食べ始めるまで結局、三十分くらいかかっています。何をするのでもこんな具合です。どうして無駄に時間がかかってしまうのか不思議でしたが、こうして書いてみると、理由がわかるような気がします。

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